第15話
――夏休みが明けて。二〇二二年九月。
放課後の過ごし方は何も変わらない。まっすぐに図書室へ向かい、夕暮れまで活字の海を泳ぐ。
二学期の始めは芥川龍之介の作品を読もうと決めていた。短編が多いので、次々と異なる世界観を体験できる。それに芥川は国語の教科書にもよく登場するので、彼の作品性を理解していけば試験でも苦戦せず済むかもしれない。
適当な文庫の適当なページを開く。『奉教人の死』。キリスト教信徒である少年に、傘屋の娘が恋をするお話だ。
周囲では二人が結ばれているのではないかと噂を立てるが、少年はそれを否定し続けた。信心深い人であるがため、教会の人々も彼の言葉を信じていた。
しかしある日、娘が妊娠する。そしてその父親は件の少年であると宣言した。
教会は彼を姦淫の罪で破門とした。身寄りのない少年は乞食に近い生活に追いやられるが、それでも教会へ祈りに通い続けた。
そんなある日、街で大火事が起こる。傘屋の娘も命からがら逃げおおせたが、燃え盛る家の中に赤子を置いてきてしまったことに気づき泣き叫ぶ。
そこへ少年が駆けつけ、火の海へと飛び込んだ。無事赤子を救出したが、彼は崩れ落ちた梁に押し潰され亡くなってしまう。
傘屋の娘は赤子を抱きしめながら、罪を告白する。この赤子の父は少年ではなかった。自らの恋心に応えてくれない少年への恨みで嘘をついたと懺悔した。
そして人々は、少年の「秘密」を目撃する。それは――。
がらり、と扉が開く音がして、僕は飛び跳ねそうになった。ここは人の出入りが少ないので、急に音がするとびっくりしてしまうのだ。
入り口に目をやると、リツ君がいた。
「……ミナト」
彼は所在なさげに視線を泳がせながら、僕の方へと歩み寄り、向かい側の椅子に腰掛けた。隣の椅子も空いているのにな、と少し残念に思った。テーブルを挟んで向こう側は、手の届く距離とはいえ遠く感じてしまう。
「あー、えっと、なんて言えばいいんだろ……」
言葉に詰まる喋り方は僕みたいに辿々しくて、思わず笑いそうになってしまう。僕は懸命に文字を紡ごうとする彼をじっと見守った。
「その、ありがとうな」
「えっ?」
「最後の大会、励ましてくれたじゃん。嬉しかった」
それと、と彼は続ける。
「ごめん。置いて帰っちゃって。せっかく来てくれたのにさ、俺悔しくて……」
「うん、うん……大丈夫、分かってるよ」
「ごめんな」
「大丈夫だよ、格好良かった。本当に」
「ありがとう」
「……良かった」
「えっ?」
今度は彼のほうが聞き返す。僕は大きく一つ息を吐いた。さっきまで読んでいた話の続きを、今この瞬間だけは気にもならなかった。
「会いに来てくれたから。すごく、嬉しい……」
「何だよ、照れくさいじゃん」
二人して俯いて、とりあえず笑った。言葉を紡ぐよりも、笑う事でお互いの思いは伝わると信じたかった。僕は君を嫌ったりなんかしないよ。それを知ってほしかった。
「にしてもあれだな、本当に静かなんだな」
「うん、いつもこんな感じだよ」
「みんな本読んで教養深めようぜー、って俺も全く読んでねえけど」
「無理に読まなくても……本って、必要な時に自然と見つかるものだから」
「そういうもんなの? じゃあミナトもそうやって読書家になった?」
「うーん……まあ、そうかなぁ。留守番していた時に本棚で見つけたの。『たったひとつの冴えたやりかた』ってお話」
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