第10話
「いやあ歌った歌った!」
「こんなにカラオケいたの、初めてだなあ……」
お昼のフリータイムをまるまる消費し、時刻は十八時になっていた。歌い続けて約五時間。くたくただし大音量の中にいたからか頭痛がしてきた。
けれど楽しい時間を不意にしたく無いから、僕は彼の笑顔に寄り添った表情をした。
「晩ごはんどうするよ?」
「あ、えっと……ごめん、そろそろ帰らないと」
今日は両親ともにお休みだから、貴重な貴重な三人で食べる晩ごはんなのだ。流石にそれを無下には出来ない。
名残惜しい気持ちはうんとあったけれど、僕はリツ君にごめんねと繰り返し謝った。ごめん、もっと一緒にいたいけれど。両親はきっと僕の帰りを待っている。いつもなら僕の方が帰りを待っているのだから、休日くらいはその望みを叶えたいと思っているかもしれないから。
「十二月ともなると、暗くなるのも早ぇなあ」
「そうだね、一日が短くなっちゃった気分」
「やっぱ夏のが良いなぁ、一日中遊べるもん」
「でもほら、む、虫とか出るし」
「何だミナト、お前虫苦手なの?」
「うん、怖い。リツ君は平気なの?」
「好きではないけどなー、家では虫退治担当だから慣れた」
僕なんて、お風呂場に虫が出たら半泣きで母を呼んでいる。数少ない、無条件で親に甘える瞬間だ。リツ君は立派だと思う。たかが虫一つでと言われたらそれまでだけれど、そういう小さな積み重ねがあるから日常は代えがたいものなんだ。ひとたび失ってしまえば、取り戻そうにも余りに多くの要素が含まれている。
彼は今回も橋の手前まで着いてきてくれた。またね、またね。仄暗い夕と夜の狭間で手を掲げる彼に、僕は小さく手を振った。彼はくるりと背を向け、すたすたと歩いてゆく。からりと、さらりと、冬の風みたいにあっさり離れてゆく。
こうしてまた遊べる日が来たら。でももしかしたらこれが最初で最後かもしれない。彼は友達に恵まれているから。僕なんかに固執する理由はどこにもない。
「リツ君!」
僕は思わず彼を呼び止めてしまった。
リツ君はちゃんと僕の声に気がついて、歩を止め振り返ってくれる。
けれど僕は何を言えばいいか分からなくて、いくつもの感情で喉元が渋滞を起こしていて、しきりに目を泳がせる。
「……あの、野球、頑張ってね」
辛うじて絞り出した言葉に、彼は流星みたいに弧を描く笑顔で応えた。
「おう、来年の夏は絶対勝つから見てろよ!」
ぐっと拳を掲げて、彼は帰っていった。その背中は大きくて、それは多分オーバーサイズの洋服のためではなく、彼自身の健やかな骨格がそうさせていた。
リツ君は僕に無いものを、僕には得られないものを沢山持っている。羨ましいとか妬ましいなんて気持ちは一つもなくて、それをもっともっと知りたいと思った。
僕は帰る前に橋の下まで降りて、石を一つ拾い上げた。
サーフボードみたいに平らな石で。肘を下げて。角度は二十度くらいで。かつて彼に教えてもらったことを一つひとつ思い出しながら、川に向かって目一杯投げた。
ぴょん、ぴょん、ぽちゃ。
やはり彼のように鮮やかな水切りは出来そうにない。けれど二回くらいならもう出来るみたいだ。
僕だって、少しずつ変わっていくのだ。成長期は中々来ないけれど。僕だって、いずれは大きくなっていくはずだ。
彼と肩を並べて歩けるくらいの、大人びた身体になりたいな。
「乾かないように思い出を、無くさないようにこの歌を」
橋の上を歩きながら、僕は口ずさむ。
ヨルシカの『パレード』。
「忘れないで、もうちょっとだけでいい」
一人ぼっちの、パレードを。
ただいま。両親がおかえりと微笑む。このパレードは、今はまだ僕だけの秘密だ。
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