第9話

 ――冬休み。部活が休みで暇だと言うので、僕はカラオケに誘われた。

 連絡先を交換してからの二ヶ月間、僕らは頻繁にメッセージのやり取りをしていた。相変わらず教室では取り立てて話したりしなかったけれど、帰りの時間が重なったときとメッセージの中ではとてもお喋りだった。

 口笛の吹き方から振り逃げが成立する条件まで、彼から沢山の事を教えてもらった。その分僕も、沢山の知識を共有した。

 花の写真や鳥の写真が送られれば名前を教え、期末試験の対策も講じた。


 しかし、休日に遊びに誘われたのは初めてだった。普通の土日は部活動があるから、長期休みのときくらいしかオフは無い。だからこそ僕は退屈なはずの冬休みが途端に彩りを帯びたし、何を着ていくかで一時間悩んだ。

 結局、一番のお気に入りである黒のPコートを選んだ。ジーンズに足を通し、ハイカットのスニーカーの紐を固く結んだ。

 待ち合わせ場所である駅前のベンチに着いたとき、彼はまだ来ていなかった。約束の時間までまだ三十分はある。流石に早すぎたなと思い、すぐ側の書店で新書を買った。

 ベンチに腰掛けパラパラと読み耽っていると、とんとんと肩を叩かれた。顔をあげると、リツカ君がいた。


「よ、お待たせ」


 オーバーサイズのMA-1がよく似合う。ブーツを履いているからいつもより更に大きく見える。本を閉じて、僕はすっと立ち上がった。


「なに読んでた?」


「あ、えっと、科学の記事かな。例えば宇宙でガンを治せるかも、とかそういう内容」


「えっマジで? 宇宙でどうやって治すんだよ」


「簡単に言うと、ガン細胞同士がネットワークでつながって次の転移先を探したりするんだけど、それは重力のある環境でしか使えない可能性があるの。だから宇宙空間でならガンの侵攻を止めるれるかもしれない」


「はー、すっげえなあ。そんなのよく見つけるよなぁ」


「誰でも宇宙に行けるようになったら、なんて夢がもっと楽しみになるね」


 雑談は程々に、とりあえず部屋取ろう、と歩き出す彼に僕も付いていく。どのくらいの距離感で、どのくらいの歩幅で歩けばいいかが分からなくて、僕は何度も彼の腕にぶつかってしまった。

 その度にごめんね、と謝るけれど、彼はニヤッと笑うばかりだった。

 何でそんなに笑うのか、分からなかった。からかわれているのだろうか。だとしたら意地悪な人だ。意地悪だけれど、その笑顔のせいで僕も笑ってしまうんだ。


 この日のために僕は歌番組をたくさん見た。ミュージックステーションもうたばんもカウントダウンTVも全部チェックして、流行りの曲をおおよそ把握してきた。けれど歌えるほど覚えられなかった。せめてリツカ君の選曲についていければ、という思いだった。

 けれど彼が最初に選んだのは、意外にももっと前の曲だった。B'zの『May』。バラードだ。叶わない思いを引きずる繊細な歌詞がじわりと広がる。


「良い曲だね」


 歌が終わってから、僕はぽつりと呟いた。


「B'zは良いよなぁ」


「り、リツカ君はさ……」


「君付けやめろよ、何か距離を感じるじゃん」


「えっ、でも」


「駄目だよ、君付け禁止」


 僕はぐるぐる、ぐるぐると頭を回転させて、どうしたら良いか考えた。いきなり呼び捨てにするほどの勇気なんて持ち合わせていない。ありったけの思考の果てに導き出した答えは、


「じっじゃあ……リツ君」


 あだ名だった。一文字抜いただけ。でもあだ名はあだ名だ。


「ほぼ変わってねえじゃん! まあいいや、それで良いよ」


 それで、と話の続きを促された。


「あ、えと、リツ君はさ……初恋とか、もうしたのかなって」


 恋を歌う曲は、自分自身が本当の恋をしていないと中々共感できない。僕は本を読むたびそれを痛感する。いつだって想い人の姿を探してしまうだとか、その人に会いたくて非合理的な行動を取ってしまったりだとか。僕にはその選択がいまいちピンと来なかった。これまでは。今は少しだけ、分かる気がする。


「うーん……へへ、どうかな。秘密」


 またニヤリと笑った。やっぱり意地悪だ。


 ――笑ってくれれば、僕の世界は救われる。


 僕はどうか、彼がまだこの歌詞の意味を知らないままでいてほしいと思った。

 だから僕は仕返しに、ごく最近の曲を入れた。ヨルシカの『パレード』。抽象的で理解するのが難しいだろうと思って、僕はくすりと唇を緩ませながら歌った。


 ――心があるとするなら、君はそこなんだろうから。


 この言葉は、ほんの一粒でも届いているだろうか。さらさらと溢れる静かな言葉たちを。


「ヨルシカって女子たちがよく聞いてるけどさ、良い歌だなあ。俺も聞いてみるかな」


「うん、良い曲色々あるよ」


「何か他に好きなアーティストとかいる?」


「あ、それじゃあ……これ。最近覚えたの」


「おおっアジカン! 俺も好きだよそれ!」


 アジアン・カンフー・ジェネレーションの『君の街まで』。小学生の時、彼が歌っていた曲だ。歌詞を検索して僕も覚えた。


「揺らいでいるーううー、頼りない君もいつかはー、誰かを救うーううー、明日の羽になるかなー」


 一緒に熱唱したあとで、僕達は次々歌いたい曲を歌い、リクエストもし合った。 

 流れる曲の一つひとつを、僕は精一杯歌った。彼がたくさん喜んでくれると思ったから。

 彼が喜ぶのなら。誰かの笑顔の中でも、彼だけは特別な気がしていた。

 いつの間にか僕は、クラスメイトという大勢の中から一人、君だけを選ぶようになっていたんだ。リツ君。僕だけがそう呼ぶ事を願っていた。

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