第4話
――次の朝、僕はいつものように紺色のリュックを背負って校門をくぐった。昨日の偏頭痛が示した通り、その日は雨だった。だから僕も周りの子たちもみんな傘を差していた。
雨の日は憂鬱だ。じめじめしているのもそうだけれど、気圧の変動で頭痛がしてしまう。生まれつき身体が弱いからか、気候の変動にとても敏感なのだ。
透明なビニール傘にぽつりぽつりと雨粒が跳ねて、弾ける水滴はどことなく昨日の水切りを思い出させた。僕はそこかしこにある水溜まりに跳ねる雨粒たちを眺めながら歩いていた。
不意に背中をぽんと叩かれ、僕はびくりと身を縮こませた。振り返ると、鮮やかな黄色の合羽を着たリツカ君が笑っていた。
「おはようさん」
「あ、お、おはよう」
僕は顎の下までぴっちり閉じられた合羽をじっと見つめた。傘よりも合羽のほうが合理的だし濡れにくいけれど、みんなどこかそれをダサいと思いがちだ。古臭いとか脱ぐのが面倒くさいとかあれこれ理由を付けてはいるけれど、街で見る中学生や高校生はみんな傘を使っていて、幼稚園児たちは合羽を着ていたりする。だから子供っぽく感じてしまうのだろう。
しかし彼は全く恥じることなく着こなしている。それが意外だった。
「合羽ってそんな珍しいか?」
「あ、ううん、ごめん」
「実は俺、水溶性なんだよ。合羽着てないと溶けちまう」
それは冗談なのだろうか。上手い返し文句が思いつかなくて、僕はまごついてしまう。視線が左右に揺れている事に気付いたのか、彼は両腕を広げて話を続けた。
「それに見ろよ、両手が自由! めっちゃ楽なんだよこれ」
にひひ、と綺麗な歯を覗かせる。つられて僕も笑う。それは条件反射としての、相手が笑えば僕も笑うという定義付けの成果だろうか。あるいはリツカ君には、笑顔を引き出す特殊能力があるのだろうか。その代償に水溶性の生き物になったんだ……とか、彼ならそういう空想を受け入れてくれそうな気もする。
けれど言葉にはしない。僕はまだ、彼との接し方を学習出来ていないから。
リツカ君は不意に視線をよその方に移し、わっと駆け出していった。あ、と小さな声を漏らしながら、僕は手を伸ばした。けれど彼を引き止める理由がない。持ち上げた腕の行き先を見失ってしまう。
どうやら仲の良い友達がいたようで、玄関口でわちゃわちゃしている。まあ、昨日遊んだ程度で仲良くなれたら苦労しない。僕は数あるクラスメイトの一部に過ぎない。
しかし腕を下ろそうとしたとき、彼が振り返った。
「悪い、先行くわ!」
ぶんぶんと手を振りながら僕に呼びかけた。
僕のこと、気を使ってくれたのだろうか。嬉しさ半分、戸惑い半分。どれが正解か分からないまま、行き場のなかった手を小さく振って返した。
「揺らいでいるーううー、頼りない君もいつかはー、僕らを救うーううー、明日の羽になるかなあー」
何かの歌を奏でながら、彼は合羽を脱いで下駄箱へ向かっていった。知らない歌だけれど、とてもいい歌詞だと思った。
僕は傘を差したまま、今起きたことを理解しようとしていた。
彼がもし水溶性なら、僕は何で溶かされるだろうか。もしも彼のように気兼ねなく触れ合える生き方を手に入れられるなら、水に溶けたって良いんだけどなあ。
目の前の水たまりをひょいと避けて、僕もじめついた校舎へと歩いていった。
それともう一つ。
「揺らいでいるーううー……ええと何だっけ……頼りない、君もいつかは……だっけ」
彼の歌を覚えよう、と思った。
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