第2話

「水切りはまず石の形が大事なんだよ」


 リツカ君は川辺の石ころをあちこち触り、いくつかのものを拾い上げた。


「こういう平べったい奴がよく跳ねる」


 サーフボードみたいに平らなものを僕に渡して、残った方で彼は川に向かって勢いよく投げた。ちゃっちゃっちゃっ、ぽちゃ。三回跳ねてそれは沈んだ。


「わ、凄い」


「三回じゃ大したこと無いよ。俺は最高で八回出来たことあるよ」


「八回も? どうやって」


「腰を低くして、アンダースローみたいにビシッと投げる感じかな。とりあえず投げてみろよ」


 言われるがまま、僕は腕を振るった。


「あ、左利きなんだ」


 リツカ君が言うように、僕は左手でそれを投げた。そう、左利きなんだ。特別感があるように見えるかもしれないけれど、漢字って右利きに最適化された書き順が殆どだから指が攣りそうになる。不便な事の方が多い。


 彼よりもずっと弱々しい速度で水面とぶつかり、そのまま沈んだ。石はちゃんと重さがあるんだから跳ねるとは思えない。なのに彼は容易く三回も四回も延命させている。そう、延命だ。石は水に沈めばもう誰の手にも届かないし見つけてもらえない。沈んだ先で青白い景色だけを見ていることしか出来ない。彼は三度、空を見せてあげられる。僕は投げた瞬間に空とお別れをしなくちゃいけない。それが何だか悲しかった。


 僕は川の石を全部無くす思いで石を投げ続けた。何度投げてもぼちゃんと音を立てて消えていく。それは橋の上から眺めていたものと同じ景色だ。けれど全然意味合いが違う。僕は今、音を立てて消える過程よりも一回で良いから心地良く跳ねる姿を見たくてたまらない。

 リツカ君は呆れることもなく、何度も僕にアドバイスをしてくれた。肘を下げてとか、角度はこうだとか、沢山のことを教えてくれた。


「口笛と同じだよ、突然出来るようになる」


「うーん、ほんとかな……」


「ほんとだって、練習しまくればな。俺は口笛も巻き舌も出来るようになったよ」


「えっ、まっ巻き舌もできるの?」


「べるるるるるるるるすこーに」


「……ベルルスコーニ? イタリアの大統領だった人だっけ」


「何か名前格好良いから覚えた」


 ――ちょうどこの前後に、ベルルスコーニ氏は政界に復帰した。なので度々ニュースに登場することになるのだけれど、僕は彼の巻き舌のせいでアナウンサーが名前を読む度に笑いそうになってしまった。そういう思い出もある。


 教えてもらう中で、彼はスローイングの仕方を伝えるために僕の手を取った。


「そうだなあ、肘をこう――うわっお前めっちゃ手ぇ冷たいな!」


 リツカ君は慌てて手を引っ込めた。


「あ、う、ごめん、冷え性なの」


「謝る事ねぇけど、平熱何度?」


「うーんと、三十四度八分とか」


「マジかよ氷じゃん……温かいもん沢山食べろよ?」


 他愛も無い雑談を彼は沢山してくれた。段々と僕も緊張が溶けてきて、少しずつ自然な笑い声をあげられた。

 一時間くらいかかっただろうか、ついに僕は二回跳ねさせられた。うおお、と歓声をあげる彼に、僕は繰り返しありがとうと伝えた。

 何がどうありがとうなのか分からないけれど、僕は嬉しかった。彼が笑っている。彼が喜んでいる。だから僕も笑うし、僕も嬉しかった。心から誰かと笑い合えるなんて、いつぶりだっただろうか。

 時計を見るともう十八時前だった。僕達は帰ることにした。僕は橋の向こうへ、彼は反対側へ。また明日。多分初めて、僕はその言葉を使うことができた。

 帰りたくはなかったけれど、でも足取りは少し軽かった。二回空を見られた石ころみたいに、僕のスニーカーも地面を軽やかに叩いて進んだ。

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