三億秒後に願いは叶う

宮葉

Prologue: you onside

第1話

 大人になるって、砂時計を眺めないこと。

 僕達はより具体的な形に固執したがる。そうしなければならない強迫観念に支配されている。誰もが壮大な空想よりも、小数点以下の差異に目を凝らしてしまう。

 そんな細やかな視野に願いは届かない。僕達が見るべきものはもっと巨大で途轍もなくて、だからこそ百年かけてその一端に触れられるだけなのだ。


 砂時計をひっくり返す。砂粒達が流星のように零れ落ちる。たしか落ち切ったら三分だったと思う。いや五分かもしれない。けれどどちらでも良いんだ。この一粒一粒が積み上がる光景を見られる限り、僕は間違いなく此処にいるし、他の何処にもいられない。

 限界まで耳を澄まさなければ聞こえないほどか細く、それは音をたてる。さらさらと、あるいははらはらと。

 鼓動に呼吸を合わせるようにして、僕は目を閉じる。僕は今、その一粒達に思いを馳せる。

 決して届かない距離じゃない。最初の一粒と最後の一粒だって、三分か五分か経てば巡り会える。僕達だってそう出来ている。


 けれど。砂粒達が逆立ちをして上昇を試みないように。出来ることと叶うことは両立しない。いつかは巡り会えるけれど、最初の一粒くんが最後の一粒くんに会いに行くことは叶わない。ただ待つことしかできない。

 僕もまた、待つことしか選べない。僕は砂粒よりも大きいのに。壮大な空想だって思い描ける生き物なのに。

 さらさら。はらはら。僕はただ、この音に願いを込める事しかできない。


 僕はずっと、君の体温を抱き締めたかった。



 ――思い出の一番遠くにあるのは、小学六年生の時のこと。二〇二〇年の春。小学校の卒業を目前に控えた季節だった。

 僕は夜の海みたいに深い紺色が好きだった。

 学校に持っていくリュックも寝るときに着るジャージもみんなそういう色を選んでいた。何故かは分からない。ただ、水面を眺めることが趣味みたいなものだし、その延長線上にあるのかなと思った。

 帰り道の途中に大きな橋があって、下には川が流れていた。川の周囲は河川敷になっていて、夏になるとバーベキューや川遊びに興じる人が増える。橋の上は車がひっきりなしに往復しているけれど、歩道が広く設けられているので怖くはない。それに途中で立ち止まって川や遠くを走る電車を眺める余裕すらあった。


 僕は橋へ行く前に川まで降りて、石を沢山拾ってくる。そして橋の真ん中まで渡り、そこから川へ石を落としていく。石を持つ。真下を覗き込む。手を離す。石が落ちてゆく。どぷん、と水面が跳ねて、また何事も無かったように川の形へ戻る。

 それを延々と繰り返す。その間、僕は多分何も考えていない。何も考えない、という時間を得られるのはきっとその時だけだった。僕はいつも何かを考えていた。それが勉強のことや明日の体育のことだったら良いのだけれど、そういう十二歳らしい悩みとは縁がなかった。

 どぷん。どぷん。どぷん。僕の小さな掌では十数個しか持ってこられない。それで満足できた日はない。最低でも二往復してしまう。時計を見ると、時刻はまだ夕方の範囲内だった。低気圧が近づいているのだろうか、偏頭痛がにわかに脳を刺す。


 再び川へと降り、両手いっぱいの石をじゃらじゃら鳴らしながら僕は橋へと戻っていった。ここまではいつもどおりのルーティーンだった。

 橋の真ん中に来て、僕はびっくりした。同じクラスの子が、僕と同じように橋の下を眺めていたから。

 名前は律花リツカ君。素敵な名前に恥じぬ元気で思いやりのある人だと僕は認識していた。けれど活発でクラスの中心人物という、絵に書いたような人気者に対して、僕は体が弱くて運動もできず、ひっそりと本を読んだり外を眺めるばかりの陰気なやつだった。だから殆ど喋ったことがない。


「お疲れさん、水灯ミナト


 僕が来たことに気づくと、彼は橋の柵にもたれ掛かりながら笑った。笑うと名前のように花が咲く暖かさを感じさせる。


「り、リツカ君……帰らないの?」


「いや帰るつもりだったんだけどさ、お前見つけたから」


 彼は放課後に野球でもしていたらしい。僕の汚れ一つない紺色のリュックと違い、彼の身につけているものはみんな砂まみれだ。


「その石どうすんの?」


「あ、こ、これ……これは別に」


「投げんの? 楽しそうだな」


 僕は大量の石を持っていられなくなって、地面にばらりと下ろした。彼はそのうちの一つを拾って、投げていいかと訊いた。良いよ、と答えると、彼は助走をつけて力いっぱい遠くへ投げた。

 ふわあ、と小さな石は空を走っていく。中々落ちてこない。河川敷の一番奥までそれは飛んで、どぷん。きっとそういう音を立てて落ちたんだと思う。ここからじゃ聞こえないくらい遠くまで行ったから。


「おー、思いの外飛んだな」


「僕はあんなに投げられないなぁ……」


「そんじゃあ何して遊んでたんだよ」


「僕は、こう、こうやって」


 先程までやっていたように、石を掴んで、手を伸ばして、そのまま真下へ向けて落とす。どぷん。今度ははっきり聞こえた。それをただじっと眺める。


「これ」


「……ごめんミナト、どう楽しんだらいいんだ?」


「楽しいというか、落ち着くから」


「ふうん。ちなみに水切りは得意?」


「やったこと、ない」


「教えてやるよ。下降りよう」


 彼に手を引かれ、僕は河川敷まで着いていった。初めて触れた彼の手は、汗と砂で不思議な感触をしていたけれど、しっかりとした骨の形が皮膚に伝わると少し胸が熱くなった。格好良い。漠然とした気持ちをそう形容した。

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