第39話

side アルシェード


「……これで、よし」


 扉を閉めてから、僕はそう呟いた。


 オルトの時の事を考えると、ライオスはビビアを説得して僕の信頼を取り戻すように誘導するはずだ。


 それが成功しようとしまいと、僕にデメリットはないので構わないけど……


「(……っと、予定もあるし歩きながら考えよう)」


「警備、お疲れ様。頑張ってね」


「はっ!」


 部屋の前に立っていた衛兵を軽く労ってから、最初の目的地であるお父様の執務室に向かう。


 さて、ライオスによるビビアの説得だけど、失敗してもデメリットはなく、成功したらメリットがある。


 多分、ライオスはオルトとビビアを僕のストッパーとして使いたいんだろうけど、それは悪手だと言わざるを得ない。


 勿論、彼らは僕が過激な行動に出たら止めようとするだろう。しかし、僕がライオスとの距離を詰めるのを止めようとはしない。


 なぜならば、彼らは僕からの信頼を取り戻していく過程で、彼に恩義や好感を抱くはずだ。


 そして、彼らは僕がライオスに好意を抱いているのを知っている。


 ライオスも身分差とかで遠慮してるみたいだけど、何だかんだ言って満更でもないし、そんなのどうにかする手段なんていくつかある。


 だから特に反対する理由を持たないオルトとビビアは彼の思惑とは真逆に、僕の恋路を応援してくれるだろう。


「貴族の令嬢を悪の手から救い出した平民の少年が、その令嬢の騎士となり最後には結婚する……うん、王道の成り上がりじゃないかな?」


 少し未来の事を夢想していると、正面から中年の男が歩いて来た。


「アルシェード様、おはようございます」


「ああ、ジェニロフ、おはよう」


 廊下の脇に退いて、僕に朝の挨拶をしたジェニロフは留守番組の統括であり、僕がこれから執務室で話をしようと思っていた相手だった。


「何か良い事が御座いましたか?」


「分かるかい?」


「ええ、見るからに上機嫌で廊下を歩いていらっしゃったので」


 僕の質問にジェニロフは微笑ましいものを見たといった表情で、そう答えた。


 自分でも上機嫌なのは分かっていたけど、他人から見て簡単に分かるぐらい顔に出てたのはちょっと反省しないとかも……。


「そんなに分りやすい表情をしてたかい?ちょっと反省しないとだね」


「いえいえ、将来のための練習である事は分かっておりますが、いつも気を張っていては疲れてしまいます。ここは屋敷の中ですし、肩の力を抜かれても良いと思いますよ。それに先日、あの様な事がありましたから、アルシェード様のそういった表情を見る事が出来、大変嬉しく思います」


「こういうのは日頃の練習が大切だからね。でも、その言葉に甘えてたまには肩の力を抜くことにするよ」


「アルシェード様は相変わらず努力家ですな。臣下としては頼もしい限りです」


 ジェニロフが苦笑して頷いた。もしかしたら、休養日の僕のやんちゃ振りを思い出しているのかもしれない。


「僕なんて、まだまだ未熟だよ。と、そうだった。執務室でジェニロフから色々と報告を聞く予定だったよね?早速行こうか」


「……私とした事が、アルシェード様をお迎えに上がろうと、ここまで来たのを忘れてしまっておりました」


「構わないよ。僕が君が気にするぐらい機嫌よく歩いていたのが悪かったんだから」


 僕が目を細めてとジェニロフは僕が言わんとする事が分かったのか、少し狼狽した。


「アルシェード様、ですから……」


「あはは、ちょっとした冗談だよ。君も肩の力を抜けって言ってたじゃないか」


「……少しばかり、余計な言葉を口にしたかもしれません」


「口は災いの元らしいから、気を付けた方が良いよ。では、行こうか」


 僅かに肩を落としている様子のジェニロフを伴って廊下を歩きだす。


「(……さて、ジェニロフは何処まで信用して良いものか)」


 僕の右斜め後ろを追随して歩く気配を感じながら、考えを巡らす。


 ジェニロフは居残り組の纏め役なだけあって、代々バルツフェルト家を支えてきた重臣の家の出だ。


 先日の騒動においては僕が行方不明になった責任を、騒動の首謀者であるハイアンに取らされて空き部屋の一つに一時的に軟禁されていた。


 僕たちに開放されてからは、同じく軟禁されていた者達を指揮して屋敷にいたハイアン派の排除・捕縛を行った。


 僕が寝た後、オルトに監視を頼んでいたけど、こっそり逃がすなどといった動きはなかったそうだ。


 ここまでの情報で普通なら、ジェニロフを信用しても良い人物だと判断するだろう。


 でも、僕には信用出来なかった。


「(……僕、随分と疑い深い性格になっちゃったな)」


「そういえば、結局、何があったのですか?」


「あ、言ってなかったね。ライオス、僕の騎士の目が覚めたんだよ」


「ほう、それは目出度いですな!一度、折を見てご挨拶に伺っても宜しいですか?」


「うん、事前に教えてくれれば、良いよ。それから――」


 代々家に仕えてきた家の人間だから大丈夫?いや、歴史を紐解けば、そういった人物が裏切った話はいくつか出て来る。


 人質の他にも、金、名誉、女、人が裏切る理由なんて探そうと思えばいくらでもあるだろう。


 加えて、ジェニロフはお父様の騎士ではない。


 彼は今は亡きお爺様の騎士だ。


 つまり、彼が裏切っていたとしても、それを感知出来る人物がいないという事だ。


 ジェニロフが、敵が用意した万が一の場合の埋伏の毒ではないと誰が断言出来るだろうか?


「(そもそも、何でお父様は騎士を誰一人としてバルツフェルトに残さないで、ジェニロフに任せたんだろう?彼の息子が騎士として従軍してるからかな?)」


 普通は最低でも一人は騎士を残して、その騎士に領地を任せるものだ。それを騎士ではないジェニロフに任せるのは少し不自然だ。


 息子が従軍しているからと言って絶対に裏切らないというのは、お父様にしては楽観的過ぎる。


 そんな事を考えている内に執務室の近くまで辿り着いた。


「どうぞ」


「ありがとう」


 警備の衛兵が開けてくれた扉を通って執務室に入ると、お父様の執務机の前にある机の上にそれなりに分厚い書類の山が載っていた。


 その机を挟む形で設置されている二つのソファの片方に座る。


 傍から見れば、ジェニロフと二人きりになる状況だけど、オルトには先行してこの部屋に隠れて貰っている。

 万が一の状況への対策もばっちりだ。


「ジェニロフも座りなよ。ねぇ、お父様の執務机を使って良いって言われてなかったけ?ここじゃ、やりにくいんじゃない?」


「いえ、私如きが使う訳にはまいりませんので……」


「頑固だね。まあ、それは僕がどうこう言う事じゃないか。それじゃあ、早速本題を、と言いたいところなんだけど……その前に聞きたい事があるんだ」


「何をお聞きしたいのですか?」


「領主が領地を離れる時、後継者が政務を出来る状態にない場合は、騎士を最低一人置いて領主代行にするのが普通だよね?何で、ジェニロフが代行をしているの?」


 お父様に何か意図があるなら、代行であるジェニロフが知らないはずがない。


「なるほど、それに関してですか……」


 ジェニロフが苦虫を嚙み潰したような顔をして、言い淀む。余程、言い辛い訳があるらしい。


「アルシェード様にこの様な事を言うのは失礼だと思うのですが、他言無用でお願いいたします」


「分かった」


「……ハイアンがノーマンド様に怪しい動きをしている者達がいるから、と献策なされたのです」


「あぁ、なるほどね」


 言われてみれば、納得出来る話だった。


 騎士が一人もいない状態は謀反を決行するハイアンに有利な状況なんだから、奴が関わっていてもおかしくない。


 そして、他言無用と念押しするジェニロフの気持ちも分かる。

 こんな話が広がったら、お父様は敵にまんまと騙されて隙を晒した愚か者になってしまう。


 そうなれば、他の貴族に馬鹿にされるのは勿論の事、家臣達の中からも不安を覚える者達が出て来るだろう。


「(……これ以上はここで考える必要はないね。知りたい事も知れたし、さっさと本題に入ろう)」


「確かに他言無用にする必要があるね。


「はっ、無論でございます。例え、口が裂けても口外いたしません」


「頼もしいよ。さて、本題に入ろう。まずは、捕虜から新たに得られた情報はないかい?」


「それにつきましては――」


 僕は一旦思考を棚に上げて、ジェニロフからの報告に耳を傾けた。

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