第38話

「……先程は庇おうとしてくださり、ありがとうございました」


 アルシェードが扉の先に消えた後、ビビアが開口一番にそう言って頭を下げたが途中で彼女本人に止められてしまったし、俺は感謝されるような事はしていない。


「いや、余計なお世話だったみたいだし、感謝はいらないよ」


「それでも、感謝を。そして、これからはあの様な温情は不要です。浅ましい裏切り者には不相応な温情を既に頂いております」


 下げた頭を上げ、俺の目を真っ直ぐと見詰めるビビアの瞳には確かな決意の色が見え、凛とした声音は僅かな揺らぎもない。


 言うべき事は言ったとばかりに、彼女は俺から視線を切りテーブルの上に乗っている食器をワゴンへと片付け始める。


「温情、か……でも、それが罰になってるだろ?」


 ビビアの片付ける手が、ピクリと一瞬止まる。


「ええ、温情であり罰です。苦しくても逃れる術のない罰……アルシェード様の采配は的確だったと言う他ありません」


「アルの性格が悪いって言うのは、間違ってるんだろうな」


「……そうですね。アルシェード様が、あの様になってしまったのは私が原因ですから、あの方が悪し様に言われるのは間違っています」


 解雇、領地からの追放、鞭打ち、禁固刑、そして死刑。


 例えば、ビビアに下された罰が挙げた五つの例のどれかであったなら、彼女はそれを粛々と受け入れて、心の中に巣食う罪悪感を多少なりに減らす事が出来ただろう。


 だが、アルシェードはそれを許さなかった。


 理由があるにしても、罰は侍女としての地位が一段下がっただけ、侍女からすら外されないという誰から見ても甘過ぎるものだった。


 その理由にしたって、アルシェードの側近である俺の家庭教師というものだ。

 侍女から外しても出来るものであるし、ビビアは将来的にバルツフェルト家内への影響力をある程度持つ事が出来る。


 ビビアにとってのメリットが大き過ぎる。これでは彼女が罪悪感から逃れる方法がない。


 きっと彼女は罪に対して十二分な罰を受けたいのだろう。


 しかし、十二分な罰が与えられる事はなく、膨らみ続け心を蝕む罪悪感を減らす方法が、アルシェードの口から放たれる言葉の毒を聞く事ぐらいしかないのではないだろうか?


 それが心を深く抉る言葉で更なる罪悪感に駆られたとしても、アルシェードから許されずに責められているという事実を認識する事は、罰を受けたいビビアにとっては一時的に心を軽する事に繋がる。


 真面目な印象があるし、もしかしたら罪悪感を減らそうとしている自分への嫌悪感も感じているかもしれない。


 身近にいる人間が精神的に追い詰められていくのは見たくはない。


 ストレスを極力減らしつつ、何か不味そうな兆候があったりしたらフォローするか。


 まあ、その兆候をビビアに完璧に隠されたら取っ掛かりがないのでどうする事も出来ないが……。


 取り敢えず、ビビアが今どういう考えを持ってるのか、もう少し確認しておいた方が良いか。


「そういえば、ビビアはアルシェードからまた信頼されたいと思ってるのか?」


 この質問の答えによって、俺が取れる手段が変わって来るな。


 また信頼されたいなら、俺がアルシェードとの仲を取り持ち、オルトに頼んでビビアの相談に乗って貰ってストレスを溜めないようにしないとな。


 信頼されたくない、と言われた場合は正直どうしたら良いのか分からないので、こっちはオルトに丸投げ状態になりそうだ。


「されたくない、と言えば噓になるでしょう。ですが、もう私にはその資格はありません」


「一応、聞いておくけど、何でだ?」


 目を伏せ、諦めた様子のビビアに向かって問いかける。


「質問を質問で返すのは失礼だと思うのですが、二つの同じくらい大切な物を天秤にかけて片方を選んだ人間が、同じ状況に立たされた時、どちらを選ぶと思いますか?前回選んだ物か、切り捨てた物か」


「難しい質問だな。俺はそういう状況を経験した事がないから、状況によるとしか」


 前世でも今世でも、同じくらい大切なものを天秤にかけた経験がないから、明確な答えを出す事が出来ない。


 とはいえ、口ではああ言ったが、おそらく――


「……正解は前回選んだ方です」


「理由は?」


「一度選んでしまうと、その同じくらい大切だったはずの物に優劣がついてしまうのです。それは一度ついてしまえば、取り消す方法はありません……そして、真に信頼を取り戻そうというのなら、私は家族を切り捨てる覚悟をしなければならないでしょう。私には……その覚悟がないのです」


「……」


 意気消沈した姿に、俺はかける言葉を直ぐに見つける事が出来なかった。


 彼女が言った事を否定する材料を俺は持っておらず、それどころか納得をしていたのだから。


 俺にはビビアと同じ状況を体験した事がないが、それでも彼女の言っている事は筋が通っているものだと分かる。


 家族を捨てられない気持ちも理解出来てしまう。


 もし、母さんが生きていて、アルシェードと母さんのどちらかを選ばないといけないと言われたとしたら、俺はアルシェードを必ず選ぶと言える自信がない。


「(俺にはビビアの事をとやかく言う資格はなさそうだな。まあ、母さんは約束を破る事に厳しかったから、選んだらそんな風に育てた覚えはないって怒られそうだけど)」


 怒った母さんの顔を思い出したせいで、懐かしさと寂しさで少しセンチメンタルになりそうだったが、今はそんなものに浸っている暇はない。


 結局のところ、ビビアの選択はYESでもNOでもない未練タラタラで中途半端な答えだった。


 一番、対応に困る状態と言える。


 だが、その中途半端な答えはアルシェードへの情と罪悪感がある証拠だ。それを責める事は出来ない。


 あの質問に信頼を取り戻したいと即答する輩よりは信用出来るのは確かだ。


「(駄目そうならオルトに丸投げするか……前世を含めた俺よりも長生きしてるし)」


 そんな割と最低な事を考えながら、かけるべき言葉を探していく。

 頭を悩ませていると、とあるキャラクターのセリフを思い出した。


「なあ、弱点を突かれて裏切る可能性がある人間こそ、最も信用と信頼を置けると思うんだ」


「……それは何故でしょうか?」


 ビビアが驚き、不思議そうな表情をして俺の顔を見た。借り物の言葉ではあっても、説得力を持たせるために自信満々に言葉を続ける。


「弱点が分かっているならそれを事前に押さえておけば良い、もし、弱点を押さえておけないのであれば、裏切る事を念頭に置く事が出来るから」


「なる、ほど……それは確かにそうですね」


 ビビアは正に目から鱗が落ちるといった様子で、頻りに頷いた。


 実は最後の方だけ内容を変えていて、本当の内容は『裏切る事を前提として策に盛り込む事が出来き、裏切りすらも罠に利用する事が出来るからだ』である。


 このセリフを言ったのは当然悪役だが、頭が切れる黒幕系の人物だったのでその言葉には一理あり、説得力もあるのだ。


 これは結局のところ、自分の能力を信じているのであって他人を信じているかと言われれば微妙なところだが、それも信用や信頼の形の一つだろう。


「そこら辺は俺がアルシェードにも話しておくから、もう一度信頼されるように努力してみないか?」


「そういう事でしたら、私も今一度、アルシェード様からの信頼を得られるように尽力いたしましょう。それが、例え、駒としての信頼だとしても……!」


「(本来の意味の方も理解するのか……頼もしいけど、少し怖いな)」


 何はともあれ、ビビアがやる気になってくれた事に一安心する。


 どうか信頼を再び勝ち取って、アルシェードの外付けのストッパーになって欲しい。

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