第2話

「ラムドさん、その薄汚ねぇガキがどうかしたんですか?」


「こいつ、どうするかと思ってな」


 遭遇してから数秒、俺はラムドと呼ばれた目付きの鋭い方の男にジロジロと不躾な視線を向けられていた。


 逃げる事も考えたが、向こうは俺に拉致している最中を目撃されているので、逃げれば間違いなく追ってくる。

 子供と大人が追いかけっこをすればどちらが勝つかなんて火を見るよりも明らかだ。


 なので相手の出方を見つつ、周囲の状況と現在地を確認して頭の中で万が一のための逃走ルートを考える事にした。


「(幸いここら辺は細くて障害物の多い道が多かったはず、それを上手く使えば相手が大人でも逃げ切れない事はないだろ……多分)」


「まあそうだな……殺すか捕まえて売り飛ばすかの二択だが――」


「うおっ、こいつ起きやがった。暴れるんじゃねぇ!」


「おい、何やってんだよ。落とすんじゃねぇぞ、うちの大事な商品なんだからな。さて……ってあのガキ、逃げやがった!」


 麻袋の中身が暴れてそっちに男たちの気が逸れているうちに来た道を逆走する。殺されるか、奴隷になるかの二択なんて真っ平ごめんだ。


 元からこの町にいる組織には拉致やら誘拐をしているという話はなかったから、恐らくは噂の最近他所から来たっていう組織の連中なんだろう。


 土地勘がないなら逃げ切れる可能性は十分にあるはずだ。


「ガド、それは俺がアジトまで持って帰るからてめぇはあのガキを追っかけて捕まえて来い。殺すなよ、あのガキ、暗くてはっきりとは言えないが中々顔が整ってるかもしれねぇ。もし俺の見間違いじゃなければ、身なりを整えれば高く売れるぞ」


「へい、分かりました。……待てや!クソガキっ!!」


「っと、こいつマジでよく暴れるな。本当にお嬢様なのかよ、身代わりの偽者だって言われても信じるぞ」


 あいつらの声が聞こえて来るが内容までは分からない。

 だが、怒鳴り声からして追って来ているのはガタイの良いスキンヘッドの方だろう。


 もう一人の方が立場が上っぽかったので予想通りだ。今追かけてきている方が体が縦にも横にも大きいので逃げやすい。


 廃材やゴミ、たまに倒れている生きているか死んでいるか分からない人の間を通り抜けて必死に足を動かす。


「おい、待て!」


「(想像以上にあいつの足が速い!くっそ、スラム街の連中にしか追われたことがないから健康な人間がこんなに速いとは思わなかった!てか、障害物のほとんどを蹴飛ばしたり押し退けたりしながらとか、どんだけ力あるんだよ)」


 スキンヘッドの足はスラム街の常識から考えると異常に速く、障害物を避けず力任せに退かしてきていてもどんどん差を縮められていて、俺の走る速度だとそう遠くないうちに捕まりそうだった。


 まだ目的の複雑な地形になっている場所とは距離があるので、何とかして距離を稼いでおきたい。何かないかと考えていると、ある場所の事を思い出した。


「(確か次の角を曲がって、二番目の角を曲がれば直ぐの所に地面が陥没して出来た穴があったはず、大きさは大人が嵌るぐらいはあったと思うから……そこに逃げ込むのは最終手段だな。だが、穴の位置的に下に注意してなかったら絶対に足を取られるから落とし罠みたいに使うか)」


 穴の下には空洞がある事は知っているが、打たれ弱い俺の身体だと下に落ちた衝撃で骨折するかもしれないし第一上に戻る手段があるかも分からないので、そこに逃げ込むのはあと一歩で捕まりそうという場合の最終手段という事にした。


 メインの作戦はスキンヘッドの男を挑発して冷静さを奪いつつ、穴のある道に入ってあいつをそこで転ばせる方針で行く。


「ハァハァ……ッ、俺に追い付けないなんて、豚より鈍足なんじゃない!?」


「ガキが、ぶっ殺す!!」


 角を曲がって道の一つ目の角を過ぎ去って次の角まで半分といった辺りで後ろを振り返らずに周囲に聞こえるように大声でスキンヘッドの男を馬鹿にすれば、見なくても分かるほど怒気に溢れた返答が背後から聞こえて来る。


 顔をトマトみたいに真っ赤にしているに違いない。


 感覚的な話になるが、声と一つ目の角を曲がった時にちらりと見えた距離から予想すると、俺とスキンヘッドとの距離は五十メートル前後といったところだろうか。


「(確か、大学生の五十メートル走の平均のタイムが七秒台、運動をしているなら六秒台といったところだったか)」


 ふと前世の知識を思い出したがスラム街の道の悪さや障害物などで、今の状況では参考にならないだろう。

 相手が追い付いて来るまでに六秒以上かかるとだけ覚えておく。


「待てぇぇぇええっ!!」


「(声が近い!?だが、後もう少し!)」


 思っていたより近くから声が聞こえて、正直ビビったが曲がり角ゴールは目前で捕まる事は恐らくないと思い直し、脚に力を入れてラストスパートをかける。


 実際、追い付かれることなく曲がり角を曲がり、道の端へ飛んで穴を避ける。


「ぐッ!?……うおおぉ!!」


「なっ、クソ!」


 直ぐ後ろで穴に足を取られたことに対する驚愕の声と、ダンッ!!という力強く何かを地面に叩きつける音が響く。


 思わず後ろを振り返ると、スキンヘッドは片足を穴に突っ込んではいるが、両手を地面に突き、もう片方の足で力強く地面を踏みしめていた。

 体勢は崩れているものの、近過ぎる。


 足はここまでの逃走劇でかなりの疲労が溜まっていて、もう長くは走れないのは間違いない。

 このまま逃げても確実に捕まってしまう。


 では諦めて捕まるかと訊かれれば、答えはNOだ。


「これでも、喰らえ!!」

「ガッ……!」


 咄嗟に目に付いた木の廃材を手に取り、振り返りながら腰の捻りも使って全力で廃材をスキンヘッドに向かって振り抜いた。

 廃材の先端は前を確認しようと顔を上げた男の顎に吸い込まれるように命中し、驚愕に見開いた目がぐるん、と白目を剥いた。


「ハァッ、ハァッ…………う、運が良かった。顎以外に当たってたら気絶してなかったかもしれない」


 スキンヘッドが倒れるのと同時に腰から下の力が抜けて俺はその場に座り込んだ。

 火事場の馬鹿力が出たのか、想像以上の力で殴れた代償に腕に鈍い痛みが走っている。


「じゃあな、クソハゲ野郎。もう二度と会う事はないだろうよ」


 そう吐き捨てて格好良く立ち去ろうとしたら、膝が笑っていて上手く立ち上がれなかった。


 仕方なしに廃材を杖代わりに立ち上がって歩き始めると、隠れてこちらを伺っていたのだろうスラムの住人達がぽつぽつと道に出て来て、気絶している男の方へと群がっていく。


 ここは繁華街の近くとは違ってスラム街の奥に近い場所でもある。間違いなくあのスキンヘッドは身包み剥がされて死ぬだろう。


 彼らのハイエナのような行動はあまり好きではないが、生きるためには仕方のない事だとも理解している。


 前世の倫理観で止めようとしても奴らに返り討ちにされて死体が一つ増えるだけだ。

 どうせ生きていても俺の不利益にしかならないので、ここは見て見ぬふりをするのが正解だ。


 今日は疲れた……早く家に帰って寝たい。

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