銃のようなもの 破
同午後五時四十七分。ヨミカキ新聞本社第四会議室。
「勘弁してくださいよ、他崎のお嬢さん」
大儀そうな足取りで会議室に入りながら、ひっくり返った時に乱れた頭をなでつけつつ、矢野目が言った。傍らには橋見が付き添っている。
「あれだけの事件で校閲部も消耗しきってるんです。だいたいが、あの記事は社会部の文章ですよ」
「社会部デスクに言ったら、校閲の責任だって言われたんだけど」
「……あんの野郎」
「校閲が責任逃れするんなら、主筆の部屋に行ってもいいんだけど」
「いや、それはっ……。わ、わかりました。私が伺います……」
「そう。じゃ、説明してもらえるかしらっ。『銃みたいなもの』っ何!? あんなバカな表現、ニューヨークタイムズもルモンドも使ってないっての! 日本の大新聞として、恥ずかしくないの!?」
「いや、それはですね……橋見君、例の写真、出せるかな?」
橋見が社内ネット経由で呼び出した画像を、タブレットに拡げて娘に指し示し、矢野目が横から説明した。
「今日の記事には使ってないんですが、これが犯行時の凶器です。これ、銃に見えます? カメラみたいでしょ? ですから――」
「いや、銃でしょ」
何バカなこと言ってんの、という口調で娘が反論した。
「銃声がしたんでしょ? 『銃声』って書いてるよね? 『銃撃』って単語も使ってるよね? じゃあ銃でしょ。近接攻撃じゃない形で、炸薬の音がして、銃創とはっきり判断できるケガを負った被害者が倒れたんでしょ? これだけのものを見て、新聞記者が『銃』って言い切れないってどういうこと!?」
「いやその……断定はしかねる、と」
「断定しかねる!? じゃあ、断定しかねるものはなんでも『みたいなもの』ってつけるわけ? 事故状況が未確認な重傷者が路上で見つかったら、仮に本人が証言しても『自動車のようなもの』で轢かれたって書くんだ。『ボディのようなもの』にぶつかって、『道路のようなもの』に落下して、後続車の『タイヤのようなもの』の下敷きになって、あげくに生死不明になったら『死体のようなもの』になったって書くわけねっ!? 『血のようなもの』が飛び散って『内臓のようなもの』がこぼれてる『交通事故現場のような』現場で!?」
「そそ、そういう言い方は……」
「『拳銃のようなもの』は許す。ハンドガンとそれ以外は一応の区別があるから。でも、『銃のようなもの』はないでしょう!? 銃じゃなかったら何だって言うの!? こんなところで曖昧な言い方して、いったい何が目的なの!?」
「いや、目的とかそういう問題じゃなくて、ですね……」
「じゃ、何!?」
「えーと……」
「何っっ!?」
同午後五時四十八分。「平和の完全定理のために(以下略)」。
「銃の否定は、自らの罪の否定であるっ!」
"永久名誉教授"の舌鋒はますます鋭くなっていた。
「明らかな銃の存在を、『銃のようなもの』などと表現するなどっ! ヨミカキ新聞は何を企んでおるのか!?」
「何も企んでないと思うんだけど」
"ごるごん"が冷めた声で応じる。
「別に否定してるわけじゃないでしょ。一応、銃も含めた"それっぽい凶器"って意味合いで」
「なら、ひとまず"銃"でいいのではないかねっ!?」
「え? いやまあ……」
「君は、『料理のようなもの』と聞いて、食欲をそそられるかねっ!? 料理ではないもの、という否定表現の一種と、普通は受け止めるのではっ!?」
「ええ、そうかなあ」
「なら、今晩は私が"料理のようなもの"をごちそうしてやろう」
「絶対イヤっ!」
「ほら見ろ〜」
"永久名誉教授"がにやけた笑みをセリフの端に載せる。客人はなおもきまり悪そうに、
「いやでも、
「そんな言い訳が通るかあっ!」
「そうだそうだーっ」
「マスコミは言葉に責任を持てーっ」
テーブルを叩く教授のパフォーマンスに、やんやの喝采を送る無名会員達。
「ケガレたものとの自覚があるのなら、はっきり存在を自認すべきである! 罪を認めるべきである! 男どもは声に出して言うべきなのだ! わたくしどもはケガレたアレを持っておりますとっ。ケガレたアレから、日々ケガレたものを発射しておりますとっ!」
「……新聞の話してるの? 男の話してるの?」
「もちろん両方である! この件に関する限り、問題点は同根であり、ゆえに指弾すべきところは同一なのである!」
「あー、さいですか」
「君は何も思わないのか?」
「何が?」
「こんな、意図的とも言えるあやふやな物言いをっ! そもそも、このような深刻な事件の報道に紛れさせてっ、全国民の間に自らの不覚を言い訳するような言論操作は――」
同午後五時四十九分。人民軍。
「――そういうわけだ。銃を銃と呼ぶのを否定する。軍隊を軍隊と呼ぶのを否定する。戦争を戦争と呼ぶのを否定する。すべてはつながっている」
「では、参謀長はこの記事が、日本による暗黙の軍備拡張宣言であるとっ!?」
「まだそこまでは言わぬ。だが、考えてみたまえ。今回のような兵装が日本の基準では『銃』にあたらないというのなら? この記事はそれを暗黙のうちに、全日本人に対して啓蒙しているのだとしたら?」
何の矛盾もないように見える参謀長の論理に、他の面々が深刻な顔を見合わせた。
「……であれば、我々が銃と認識する兵器を、日本人は国内の銃刀法すら何ら障害とせずに、大量生産できる……ということでしょうか?」
「いや待て、それは本当に可能性の話なのか? すでに過去形になっているのでは?」
「と言うと?」
「実はあの襲撃犯がどこかの兵器メーカーの社員で、あの武器は開発中の試作品だったとしたら? 元首相に向けた許されざる凶器であっても、報道に特別な配慮があって当然だろう」
「そ、それは、話としては出来すぎでは」
「出来すぎ、とはどういうことだ? つまりこの事件そのものが、緻密なシナリオの産物だとしたら?」
「そんなことが……そんなことが事実なら――」
同午後五時五十分。ラグランジュ点。
「我らの行動が、知られている、だと? あり得ぬ。あの国家にはまだ」
「その通り。我々とコンタクトを持つ者はいないし、事後の精査結果からしてもその点に間違いはないかと。ですが、現実問題として現地の情報サービスが、わざわざ『銃のようなもの』などという語句を連呼しているのです」
「む、むう」
「かねてよりこの列島国家はヘンでした。炸薬式の遠隔武器を厳しく規制しておきながら、連中の制作する娯楽映像にはあらゆる種類、あらゆる年式の"銃"が実に肯定的な形で現れるのです。信じがたいことに、我々が現在使用している兵装とデザインが酷似しているものまで、想像上の"銃"として出てくる始末で」
「そ、それほどなのか!?」
「一方で、原始的な炸薬弾頭に非現実的なまでの破壊力や精神的なパワーをもたせたフィクションというものも、この国では多大な支持を得ているようで、あれは"銃"というものを一種の信仰対象として捉えているのではないかとの見解も、上がってきておりますが」
「それはさすがにおかしいんじゃないか?」
「まあこの星の他の国家からも、ここの国民の行動はとりわけ理解が難しい、とよく言われてるぐらいですから」
「仮に、だが……この国家の一部が、我々の知りえない手段によって、今日の件に我々が干渉していたことを察知していたとしたら……それはきわめて――」
同午後五時五十一分。「平和の(略)」。
「危険だ!」
同午後五時五十一分。人民軍。
「危険だ!」
同午後五時五十一分。ラグランジュ点。
「危険だ!」
同午後五時五十二分。ヨミカキ新聞本社第四会議室。
「あの程度の文章に、いったい何の危険があるって言うんだ、あのお嬢さんは!?」
娘はつい先ほど退出していた。何一つ言い返せずサンドバック状態だった校閲部長は、数分前の鬱憤を晴らそうと、橋見を相手に愚痴をぶちまけていた。
「警察発表に先んじて『銃』と言い切ってしまったら、色々と面倒が起こる可能性がある、それだけのことなんだ。社主の家族なら、その手の慣習にいいかげん理解を示してもよさそうなものなのに」
「どんな面倒が起こるんですか?」
黙って聞いていた橋見が、不意に反問した。
「え? いや、詳しくは知らないけど……」
「ヨミカキの記者は"銃"のなんたるかも知らない、そんな悪評が立つことと比べられる面倒ごとなんですか?」
「いや、だからそういうことは社会部に……」
「私、他崎さんの言ってること、全部じゃないですけど理解できる気がします」
「え? 橋見君まで、何を言い出すんだ!?」
イスの一つに座り込んでいる矢野目の正面へ移動すると、橋見はまっすぐ上司を見下ろし、言った。
「なぜ『銃のようなもの』という表現を用いたか。むろん、新聞社としては言い分があるでしょう。でも、それって読者に通じてます? 通じてませんよね? いちいち突っかかる読者がどれぐらいいるかは別として、普通の報道文としては明らかに不自然な語句をはさみ込み、暗に余計な詮索はするなと強要する。そういう傲慢さが、彼女は許せなかったのでは?」
他崎の娘とは別の種類のロジカルな口撃で、矢野目の視線がまたしてもせわしなく泳ぎだす。
「きょ、強要だなんて……むしろ、銃だと断言してしまう方が……」
「その曖昧さが、逆に傲慢かも知れないって、思わないんですか?」
橋見の目元に明らかな険が現れているのを見て、矢野目は慌てて後退しようと、足で床を掻いた。長テーブルにイスがぶつかり、ガチャンと耳障りなノイズが部屋に響く。
「私、思うんです。今日の事件って、そういう曖昧な物言いのツケが溜まりに溜まって起きたことじゃないんですか? 現場の動画、見ましたか? みんな、銃声にろくな反応してないんですよ!? 警察すら! 二発撃って、安倍さんが倒れて、血が流れて、初めてそこで騒ぎ出してるんです! その時でも、みんなして現場に近寄ろうとしてる始末で!」
「いやでも、そ、それが、この件とどういう――」
「日本人全体が、これまで危険なほどの曖昧さにどっぷり浸かりすぎたってことです! まず言葉から始めるべきなんですよ! その一因は、当然新聞社にもあるでしょ!? 銃だ、とか、メルトダウンだ、とか、弾道ミサイルだ、とか、言うべき時に言うべき言葉を全然使ってこなかったんだからっ」
「それは、そんな簡単な問題じゃなくて、結局曖昧な言い方にするしか――」
「曖昧な文なら、間口が広いから間違いない、とかそういう考え方って、ただの怠慢だって気づかないですかっ!? 怠慢って要するに甘えですよねっ! 甘えの一枚裏は悪意ですよねっ!?」
「ええっ!? どど、どうしたの、橋見君っ」
「そうやってっ! 大新聞とかっ! 大企業とかっ! 政治家とかっ! 肝心なことは言葉を濁してばかりでっ! いいかげんな物言いで当然だろ、みたいなドヤ顔してるのが、許せないんですっ!」
「何を怒ってるの、何をっ」
「私はもう、これ以上曖昧な言葉に振り回されるのはイヤですっ!」
「何の話なの、何のっ!?」
「奥さんに離婚を切り出すのって、いつなんですかっっっ!?」
「ええええええーっ!?」
だーんっと会議用机のまん真ん中に、橋見の拳が叩き落とされた。大きく目を見開いた矢野目に向かって、橋見は一語一語吐きつけるように、悔し涙をにじませながら叫んだ。
「私と一緒になってくれるのって、いったいいつ、何ヶ月、何日先なんですかっ!? それともそんな日は来ないんですかっ!? はっきり言って下さいっ! 今、ここでっ!」
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