銃のようなもの

湾多珠巳

銃のようなもの 序




・この作品はフィクションです。作中の国家・新聞社・思想団体・銀河同盟先遣艦隊等々は、実在の(実在するとして)類似の組織をネガティブに描く意図で書いたものではなく、もちろんネタ元である安倍晋三氏銃撃事件を卑小化するものでもない旨、あらかじめ明言しておきます。







 二〇二二年七月八日午後五時三十八分。

 重大事件一色となった夕刊製作、さらに号外発行と続いて地獄のようになったヨミカキ新聞東京本社校閲部では、つかの間の休息が記者たちに恵み下ろうとしていた。

 次の朝刊発行も大荒れ必至だが、とにかくここで一息入れないことには――と、微妙にけだるい空気が漂い始めた、その時。

「校閲部長はいる!?」

 なにやら怒気を含んだ女性の声が、大部屋の端から響き渡った。半分ほど埋まっている作業卓の面々が、いっせいに闖入者を振り返る。二十代前半と思しき、白いワンピース姿の若々しい娘だ。が、部長の矢野目はふた呼吸ほど遅れてから女性をチラ見するやいなや、「うわっ」と叫んでそのままイスごとひっくり返った。

 目標を見つけた娘は、そのまま足音も荒く部長席まで早足でやってきて、矢野目の前でバサッとその日の夕刊を広げ、叫んだ。

「この記事は何!? 何なのこの日本語は!?」

「た、他崎のお嬢さん、いったい、何の御用で――」

「ここ! こんな変な表現、なんで通したのって言ってんのよっ!」

「なんだあれは?」

 妙なことになっている部長席を遠目に、部屋の隅では記者たちが小声で顔を寄せ合っていた。

「知らんのか、お前。ありゃ社主のお孫さんだよ」

「え、と言うと、あの野羅文芸賞取ったっていう?」

「そう。って言うより、新書の『許せない日本語』でベストセラーになったっていう」

「あ、あたし『NOと言うべき日本語』、この前読んだ。面白かった」

「おかしな言葉はおかしいって本気でケンカ売ってるのが、ウケてるんだってね」

「……つまりあれは、うちの記事のどこかが、あのお嬢さんの逆鱗に触れたと?」

「みたいだな。世間を震撼させる重大事件より、その記事の日本語が許せないってことなんだろ」

「にしても、あの子、よく来るなあ。これで四回目だ」

 見物を決め込んでいる部下たちの前で、気の毒な矢野目はすでに脂汗を額ににじませている。

「いや、その部分は、私の一存で決めたというわけではありませんで……」

「でもこれは校閲の責任でしょ!? こういうの、前にも言ったよね!? なんで毎回おんなじような最低の日本語センス見せびらかしてくれるのかな? 新聞社の矜持ってものが――」

 娘が言葉を切って振り返った。その肩に、白い手が遠慮がちに置かれている。校閲部チーフの一人、橋見である。娘より一回り年上の彼女は、落ち着き払った態度で口元だけの笑みを作り、諭すように言った。

「ここではなんですから、続きはあちらの第四会議室で。すぐ矢野目が参りますので」

「……まあ、橋見さんがそう言うんなら」

 他崎の娘はそれだけ言うと、おとなしく校閲部から出ていった。橋見はそれを見送ってから、情けなくごまかし笑いを浮かべている矢野目を一瞥し、落ちていた夕刊を拾った。一面最上段で、端から端まででかでかと黒抜き文字が踊っている。

「安倍元首相 演説中に銃撃 心肺停止」




 同午後五時四十一分。

「平和の完全定理のために戦う聖なる乙女たちの部屋」、その第五十五作業部会VRルーム。

 フロイト理論とラディカル・フェミニズムによる最悪の結婚、と評されるその(自称)学術結社の会員制電子空間では、十体近いアバターが、親密さと知的興奮がないまぜになった空気の中、円卓の周りで定例の討議を繰り広げようとしていた。

「静粛に、静粛に! 皆も知っての通り、本日はひときわ大きな事件が衆人の耳目を集めてお〜る。だが、三面記事的な四方山話はワイドショーの面子にでも任せておけばいい」

 大仰な演説調でアバターたちに呼びかけたのは、その結社の創立者の一人でもあり、今日の作業部会では総合司会を務めている女性である。"永久名誉教授"のタグを頭上に浮かべ、古代ギリシァ風の、アテナイの学堂から直にやってきたような威厳あるビジュアルをまとっているが、音声はどこかざっくばらんで、作業部会とは言っても、実質は飲み屋で無礼講に興じている教授と学生たち、と評して何ら差し支えない。

「我々はただ、我々の聡明な世界認識を駆使して、個々の社会事象を原理的に読み解いてみせるだけのことであるっ。むろん、今回の元総理へのテロ事件と言えど、例外ではない。むしろ、安倍氏には失礼だが、格好の素材と言ってよいだろう! 分かるな、諸君っ。何しろ銃撃事件だ。これほど象徴的なケースはあるまいっ。改めて、我らが提唱してきた世界原理の条文を思い起こしていただきたい! すなわち!」

 語るほどにエキサイトしてきた"永久名誉教授"は、どんっとマホガニー製の巨大テーブル(の画像オブジェクト)を拳で鳴らすと、ひときわ声を張り上げた。

「ナニモノであれ、発射するモノは悪である! 発射されるモノも悪である! すなわち、銃と銃弾こそが、悪そのものなのである!」

「それじゃふつーのテロ批判じゃないの」

 ちょっと白けた声が、横手から投げかけられる。"教授"のすぐ横で、一人が頬杖を突きながらツッコミを入れていた。ごく普通の簡素なスーツをまとった現代女性のアバターで、頭上には"ゲスト・ごるごん"のタグがついている。声の質は司会者と同年輩の女性。どうやら、"永久名誉教授"の友人らしい。

「ぱっと聞いた感じだと、今その辺のニュース番組あたりで言ってることと、全然代わり映えしないんだけど?」

「キミは我々の教義をもう少し深く学んだ方がいいな。誰がそんな陳腐な空論をこんな高貴な場で振り回すものか」

 教授の声は、どこかしら舌なめずりしているような湿った響きがあった。ゲストは少しだけ眉をひそめたような間を開けて、

「人に学べとか言う前に、てめえの教義とやらをもっと丁寧に話しなよ。要するにあんたのご高説の何が、そのへんのニュースと違うんだって?」

「言ったはずだ。我々の教義では、悪は『銃』と『弾丸』である、とね」

「……ちょっと待って。じゃあ、銃を握ってた犯人……って言うか、行為者は?」

 ビジュアル自体は何の表情変化も見せなかったが、アフロディテ像のような"教授"のアバターは、一瞬勝ち誇った笑みを浮かべたかのように、傲然と顎を上げ、胸をそらし、そして叫んだ。

「銃を握るものは無罪! なぜなら、握るという行為に悪の要素は含まれないからだ! すべての悪は銃のみに存在する!」

「はぁっ!?」

「異議なし!」

「異議なーしっ!」

 花ふぶきを撒き散らすような喝采が室内に沸き起こる。"ゲスト・ごるごん"には到底認めがたい論理であっても、ここの作業部会のレギュラーには自明な解釈であったようだ。むしろ、ありきたりすぎて退屈を催すほどだったらしい。声と拍手はいささかおざなりで、倦怠感を伴うほどだった。

「早い話が、世の中のすべては銃が悪い、と?」

「その通り!」

「で、あんたたちの教義では、銃ってアレのことなんだよね? アレも悪なの?」

 あえて"ごるごん"が揶揄するように言うと、"永久名誉教授"はほとんど噛み付くように言い返した。

「当たり前だッ。女の不幸はほとんどがアレのせいではないかッ。銃こそが悪!」

「アレこそが悪」

「アレより出ずるものも悪」

「「でもアレをもてあそぶのは無罪。アレをくわえ込むのも無罪」」

 けらけらけら、と複数のさざめき笑いが、仮想空間の円卓を震わせる。"ごるごん"が小さくため息をついた。

「とてもついていけん……」

「難しく考えることはない。我々の理論はシンプルだ」

 "永久名誉教授"が正面切って明解に言い放った。

「『アレとアレが放つものに全ての原罪があるとする』。この前提から始めれば、あらゆる神学上の難題はすっきりと説明でき、世界の恒久平和は可視化できるのだ。私はそれを十六年がかりで解明した」

「なら、せめてそれを論文にしてくれ」

「その必要はない。見よっ、今日の事件がいい例ではないかっ。銃こそが罪、という、まさに我々の第一律ですべての社会時評も沈黙せざるを得ないような――」

「ちょっと待ってください、教授」

 落ち着いた女性の声が、卓周りの動きを止めた。"助教・えみちゃん"のタグを浮かべた、それまで発言しなかった一人が、短いテキストファイルイメージを指先に浮かべていた。

「ここまでの議論をひっくり返すようで申し訳ないのですが、今日のあの事件、あれは銃ではないと主張する言説が」

「何ぃっ!?」




 八日午前十一時三十分頃、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口で、参議院の応援演説中だった自民党の元首相・安倍晋三氏が銃撃された。ただちに救急搬送されたが……取材中だったヨミカキ新聞記者によると、演説中、元首相の背後から、銃を持った男が近寄り、銃声音がしたという……現場には銃が落ちており……一部情報によれば、銃痕が……





 二〇二二年七月八日午後五時四十四分。

 東アジア某軍事大国人民軍中央軍事委員会連合参謀部参謀会議。

「銃だろう」

「銃だな」

「なぜ銃と言わない」 

 壮年から初老の男たち十数名が、部屋正面の大型ディスプレイを見ながら、コの字型に着席している会議室。自由討論の形で各々が好きに発言してよいと言われていたが、隣国元首相の襲撃現場映像を見、続けて映し出された日本の新聞社の対訳版速報記事を読むに及んで、出てくる言葉は全員ほぼ同じだった。

「おかしな話だ。この新聞社だけがおかしいのか?」

「いや、同様の表現が他社にも高頻度で確認できる」

「同志チェン、君は日本に留学経験があると聞いたが、この『のようなもの』とはどういうニュアンスの語句なのか?」

「正直、よくわからない。……英語で言えば、something like a gun とでもなるのだろうが……」

「結局のところ、あの報道は銃と言っているのか、銃ではないと言っているのか、どっちなんだっ!?」

「う〜ん、日本語は難しいんだ。……銃ではない、というカテゴリーをも含む……かも知れない……という意味なのかな」

「してみると」

 不意に上座に座っていた一人が口を開き、参謀達は姿勢を正した。

「一国の元最高指導者に向けた凶器であるにもかかわらず、銃をあえて銃と呼べない事情が、あの国には存在する、ということになる」

「参謀長、そ、それはどういう――」

「急ぎ、諸君に集まってもらった理由が、まさにこれだ。今の国際情勢で、この件は深刻なシグナルとして扱うべきかも知れぬのだ」




 同午後五時四十五分。

 地表上百五十万キロ、ラグランジュ点L3。銀河均衡非戦同盟監視軍先遣艦隊旗艦ボノテロⅦ、第三惑星保護部第十九班オペレーションルーム。

「ばれている、だと? 我々のパイゴン粒子時線跳躍技術がっ!? バカなっ! 相手は十五世紀遅れの中世期文明人だぞ!」

 担当部門の一室に駆け込んで取り乱しているのは、惑星保護部を統括する全星主幹。イソギンチャクのような頭部の触毛をぐおんぐおんうねらせながら、十九班チーフへ強い調子で命令した。

「説明したまえ! どういう経過になっておるのかっ」

「は、我々十九班の担当は、このひょろ長い列島国家なんですが、ここの元国家首領が、ちょっとアレで……」

「その件は聞いている。確か、保護観察下の原星人ではあるものの、コロコンデでガンガポクするなどという、銀河法典にあるまじき行動が見られると」

「はい、調べてみると、日常的にもスポロフンドクということが判明しましたので……一国民ならまだしも、いずれコンタクトを取るべき、キーパーソンとして神性を帯びるべき重鎮が……」

「どのみち、ゆくゆくは忌避対象とせざるを得ないだろう。ゆえに特例で排除を許可した。それはいい。それで?」

「偶然にも、元首領を怨恨の線で襲撃しようとしていた現星人が見つかりましたので、その犯罪行為にカモフラージュする形でパイゴン円環空壊処置の第三法を手配していたのですが」

「失敗したのか?」

「成功しました。排除そのものは達成です。原星人には、よくある犯罪モデルに即した現地の凶器にしか見えなかったはずです。いわゆる、あの者たちが銃と呼んでいるような。ですが、その直後、現地の公共情報流通サービスでこのような表現が」

「…………銃のようなもの、だとっ!?」

「調べてみると、この列島国家の一部情報サービス会社でのみ、このような言い方をしております。他エリアでは、このようないわくありげな表現はありません」

「ということは、つまり」

「はい。"銃"と呼ぶべき凶器を"銃"と呼ばないということは、当然"銃"ではない可能性に考えが及んでいるわけで――ありえない話ですが、現地の一部原星人は、我々の行為を察知しているのかも知れないということです」



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