第11夜 瞼の裏の水中
目を閉じれば浮かんでくる、というよりは、目を閉じればそこにある、という表現の方が、自分にとってはしっくりくる。
瞼の裏に焼きついている、というより、瞼の裏から自然と滲み出してくる、という表現の方が合っていると思う。
しかし、どんな表現を使おうとも、どんな言葉を使って言い換えようとも、「目を閉じればそこに水中の景色がある」という事実に変わりはないのだった。正確に言えば、「目を閉じればそこが水中そのものである」とでも言えばいいのだろうか。
幼少期に溺れかけたとか、昔のダイビングの経験があまりにも強烈に脳裏に焼きついているとか、そういったドラマティックな理由は全く何も無いのだが――普通の人が、目を閉じた時に感じる暗闇は、自分の場合、水中の景色に置き換えられているのだった。
目を閉じる、ただそれだけでいい。そうすれば、いつでもそこにある。いつでもそれを感じることが出来る。
魚がいて、貝ががあって、軟体生物も甲殻類もいて、それどころかサメもイルカもクラゲもいた。岩があり、砂の敷き詰められた海底があり、色鮮やかな珊瑚があり、どれだけの遠い昔に沈んだとも知れない遺跡があった。
窒息するという危険を冒す必要もなく、獰猛な生物に捕食されるという心配をすることもなく、自分は、自分だけの「
エメラルドグリーンの南の海にたゆたうクリオネや、流氷の浮かぶコバルトブルーの極地の海に沈む珊瑚、浅瀬を優雅に泳ぐリュウグウノツカイや、すみれ色に輝くタチウオ。
現実からすれば確かに矛盾していたし、現実からはるかにかけはなれた生き物たちが存在していたけれど、そこにはただ自由が満ちていた。それが自分だけの物であることが、とても嬉しかったし誇らしかった。
それを話すと、他人は奇異の目で見てくるし、馬鹿にされることも少なくなかったし、哀れみの目を向けるやつだっていたし、それどころか病院へ行けと強硬に主張する者さえいたのだけれど、むしろ自分はそんな他人に対して優越感さえ抱いていた。正直なところを言えば、こんな素晴らしい景色を見られない他人を、蔑んでさえいたのだった。
他人に見られないモノを、自分だけは見ることが出来る。
これは自分だけのモノであると、実感していた。
もちろん、不安を抱いたことがなかったわけではなかった。もしかするとこれはただの幻覚であり、おかしいのは自分ひとりであって、自分ひとりが異常な目を持っているのではないか、とさえ考えたこともあったけれど。
けれど、幻覚であるならば、なおさらだ。それが幻覚だとしたら、他者と共有することを強いられたとしても無理な相談。このセカイはやはり自分だけのものなのだと、そう考えた途端に不安は消え去った。
さあ、瞼を閉じよう。自分だけの
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