第4夜 水の果て
何度も、何度も、僕は彼女の携帯電話を鳴らす。
けれど彼女が電話に出てくれることはない。当たり前だ。彼女は既に、この世にはもう存在していないのだから。
ただの事故だった。彼女は、偶然その場所にいただけだった。ただそこにいて、約束の時間に遅れてしまった僕をのんびりと穏やかに待っていたというだけなのに、事故に巻き込まれて命を落とした。
彼女が死んだのに、僕は一滴も涙を流すことができなくて、僕の周囲はそんな僕を「冷たい人間」と責めた。……僕はただ、彼女が死んだことを理解できずに呆然としていただけなのに。
少し時間が経って、僕は、日常のそこかしこに残る、彼女の存在の残り香を感じて過ごすようになった。彼女はとっくに死んだはずなのに、彼女の部屋に、教室に、時には自分の隣にさえ、ふとした瞬間、まだ彼女がいるような気がした。
だから何度も電話をかける。もしかしたら、彼女が応答してくれるのではと、ありえないことを知りながらも、微かな希望を抱いて……。
そして、何度目かに、電話を、かけたとき。
数回のコール音の後――ぷっ、とそれが途切れる音がして。
「―――え?」
電話が、繋がった。
もしかして見当違いのところへかけてしまったのだろうかと、戸惑う僕の耳に聞こえてきたのは、波の音。外で降る雨の音とは明らかに違う、寄せては返す波の音――。
電話の向こう、次第に音が増えていく。
――波のさざめき ――白い砂が、波にさらわれる
――彼女の足が、砂を踏む
――彼女の足が、波に洗われる、
――彼女の手が海水をすくって、
――その海水は僕の顔を直撃して、
――僕は彼女をにらんだけれど、
――彼女は快活に笑いながら僕を手招いて、
――その笑顔に、僕はさっきまでの怒りはどこへやら、笑って、
――――彼女の真っ白なワンピースが、微風に揺れて――――
………ああ。覚えている。僕は、この音を、この笑い声を、この情景を、まだ、鮮明に思い出せる。これは、いつか彼女と行った、あの夏の日の海辺の。
僕は彼女の名を呼んだ。君はそこに、いるんだね?
……いつしか、音は減ってき、波の音は少しずつ遠ざかり、通話は自動的に終了された。後に残ったのは、無機質な電子音がひたすら続く沈黙だけだ。
そうだ、僕は覚えている。彼女の声を、彼女の顔を、彼女が、生きていたことを、彼女と一緒に歩んだことを。
だから、僕はこれからも生きていける。
数え切れないほどの、彼女との思い出を、抱えたまま。
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