カルム村
「おーい、ヴィリアム!今日は早かったね!」
「ただいま、クーパーさん」
煉瓦と漆喰で作られた質素な家屋がちらほらと見える農村。
フードマントの男……ヴィルは、朗らかに声をかけてくれた老夫に気がつくと、馬上から降りた。
「どうぞ、少しですが……お裾分けです」
「あれま、良いのかい?」
「はい。一昨日頂いた物のお礼に」
ヴィルは背負った袋から、一塊の肉を取り出してクーパーへと差し出す。
「悪いね、助かるよ。……狩りの出来るような輩はみんな出て行っちまったもんでさ」
「いえ、こちらこそ……余所者の僕を受け入れて下さってありがとうございます」
農村カルム。
ヴィルが一年前にたどり着いたここは、根菜と小麦が主な収入源となっている、都の郊外に位置する小さな村だ。
都までは馬車で三日ほど。早馬を飛ばせば、一日で辿り着けなくもない、という距離にある。
クーパーも村民の例に漏れず、夫婦で小麦農家として生活している人物であった。
「お前さんは働き者だからね、都で何があったのかは知らないが……若い労働力は儂らにとっては有難いもんさ。」
「……そうでしょうか」
「おうとも。狩りが出来るわ、馬にも慣れてるわで、とても都会者には思えんがなぁ」
その言葉に応えるように、ガウナがブルル、と鼻を鳴らす。
クーパーは朗らかに笑って言った。
「その馬も、やんちゃで手がつけられないから
「多分、構って欲しかったのではないでしょうか。たまに騒ぎ立てる事もありますが、世話をすれば満足するようですから」
「ほほう。なら、以前は寂しがらせて済まなかったなぁ」
優しく鼻先を撫でるクーパーの枯れた手を、目を瞑って受け入れるガウナ。
なんとも牧歌的な光景である。
「この後は、クロエの所に?」
「はい。残りの毛皮と肉を卸しに」
「そうか、おつかれさん」
「ありがとうございます、では。」
ヴィルは軽く一礼し、ガウナの手綱を引いた。
彼がこれから向かうのは、村民から『モリス商店』と呼ばれている場所である。
クロエ=モリスという名の中年女性が仕切る店であり、月に一度、クロエ自身が都と往来する馬車を出し、村で生産されたものを売却・都から物資を買い付けする役目を担っていた。
都で仕入れたもの以外にも、村民が手元で余らせたパンや釣った魚をクロエに渡し、店頭に並べて貰うことが出来る。
ヴィルもそれにあやかり、狩りで得た肉や毛皮を買い取ってもらっているというわけである。
要するに、モリス商店はカルムにおいての『何でも屋』であり……村民は自分で手に入れられない物があると、この店に足を運ぶのであった。
「こんにちは、モリスさん」
「いらっしゃい!」
店先の馬立てにガウナを待たせて、ヴィルは少し古くなった木製の扉を開く。
正面のカウンターに座った女性が、にっこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべて客人を迎えた。
店内は暖色系の灯りが照らしており、都の店を思わせるような洒落た並びで、さまざまな商品が陳列されていた。
商品の多くは食品であり、その中でも大多数を占めるのが乾物やナッツ、香辛料などの日持ちのする品である。
「それで、坊や。今日は何を獲って来たの?」
「これをお願いします」
「ほぉ、鹿ね!傷みも少ないし……この皮なら結構良い値段で買ってもらえそう。後で干しておくよ」
クロエは、ヴィルがカウンターに並べた品の様子をテキパキと確認しながら、その状態や個数を帳簿に記入する。
その間手持ち無沙汰になったヴィルは、陳列棚に並んだ瓶たちをぐるりと眺め……ふと、その中の一つに目を止める。
シンプルな小瓶の中に、塩漬けにされたピンク色の蕾がが詰められていた。
菓子だろうか。そう思い手に取ると、底に貼られたラベルの文字が見えた。
ラベルには、簡素に『食用花』と書かれている。
「ああ、それかい?それは桜の帝都からの輸入物さ。お湯の中に一つ花を入れると、良い香りの飲み物になるらしいよ」
「ということは……これが桜?」
「さぁ……どうだったか。でも確かに、桜の花の塩漬けと言っていた気もするね」
カウンターの上の商品を片付けたクロエは、伝票に売却依頼の詳細を書き込み、ヴィルへと手渡す。
それを丁寧に折りたたんでツールバックのポケットに仕舞ったヴィルは、その小瓶をクロエに差し出した。
「すみません。これ、頂けますか?」
「はいはい。お勘定はあちらでどうぞ」
促されるままにヴィルは会計を済ませ、紙袋を受け取るとすぐに扉を出ようとする。
「あ……待ちな、坊や」
「はい?」
「そういえば、この間仕入れに行った時に催し物のチラシを貰ったんだよ。桜の帝都に興味あるなら、面白いかもしれないよ」
そう言ってクロエは戸棚の引き出しを開けると、何やら皺の付いた紙切れを取り出した。
ヴィルは手渡されたそれに目を落とす。
霧桜両国交流祭 桜花教演舞会。
並んでいたのは、ヴィルにとってはかつて見慣れた文字であった。
開催は丁度一週間後になるらしい。
「何だって言ったかな……とにかく、向こうの国の信徒さんが踊りを披露するらしくてね。あたしは見た事ないんだけど、取引先の人が言うにはそれはそれは綺麗なんだとか」
「そう、ですか」
「何だい、気乗りしなかった?」
「いえ……」
ヴィルは複雑そうに視線を逸らす。
そんな彼の様子を見て、クロエは首を傾げた。
「ま、ちょうど次に都に行くのがその日と被るからさ。四日後の出発までに行くかどうか決めとくれよ」
「……考えておきます」
そう言い残し、ヴィルは店を後にした。
クロエは閉まる扉を見届けた後、腰に手を当ててため息をつく。
「いかにも訳ありって顔しちゃって。余計なことしたかねぇ」
反省気味の彼女であったが、そんな事は露知らずにお客はやって来る。
いらっしゃい、と元気良く呼びかけて、気持ちを切り替えたクロエは商売に戻るのであった。
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