It′s my cup of * tea.

はるより

今の暮らし

 幾筋もの木漏れ日が差す、穏やかな森。

 吹き抜けた風に遊ばれた葉が擦れ合う音と、時折り聞こえて来る山鳩の鳴き声が、そこに息づく者の鼓膜に届く。


 そんな中、淡く白い光から隠れるように茂みの中へ身を沈めた男が、手にした弓を引き絞った。

 男は深緑色のフードマントを纏っており、良く森の中に溶け込んでいるようだ。

 輝く矢尻の示す先には、若い雌の鹿。

 近くに仲間の姿が無いにも関わらず、ただ安穏と樹木の枝に芽吹いた葉を食んでいる。


 狙いを定めるべく、男はゆっくりと息を吐き、そのまま呼吸を止めた。

 身体のブレを最小限に留め……ただその鹿の頭に焦点を合わせる。


 ふと、鹿が何者かの気配を感じたのか……耳を立て、男の方へと向けた。

 それと同時に、男は弓を放つ。

 矢が目標を捉えるまでの僅かな時間の中で、雌鹿は死を避けるべく体を捩った。


 結果、矢が捉えたのはその頭では無く、首筋であった。

 深々と突き刺さった矢に、鹿は苦しそうに泣き声を上げるが……即死には至らない。

 そのまま獲物は必死に地を蹴り、瞬く間に森の奥へと姿を消していった。


「……」


 男はゆっくりと立ち上がると、片手でフードを外しながら茂みを出る。

 燻んだ銀色の短髪とブルーグレーの瞳。

 その視線は先ほどまで鹿がいた場所に注がれている。


 男は乾いた落ち葉を踏みしめながら、歩みを進めた。

 そして、獲物が落としたらしい血痕を見つける。

 よく目を凝らして探すと、それは点々と森の奥へと続いていた。

 男はそれを辿り、木々の間を歩く。

 次第に『道標』の量は増えてゆき、鹿がそう遠くは逃げられない深傷を負っていることが見てとれた。


 やがて少し開けた場所……低木が立ち並ぶ中に、傷ついた鹿は倒れていた。

 まだ息があるようで、自分を傷つけた人間の姿を見るや否や、必死に立ちあがろうともがいていたが……直ぐに頽れてしまう。


 男はその傍らに膝をつくと、腰に下げていたツールバッグの中からハンティングナイフを取り出した。


「苦しめてしまって、すまなかった」


 今や光の消えつつある、黒々としたその瞳を見つめながら男はそう語りかけ……ナイフで一息に鹿の心臓を貫く。

 鹿はびくりと体を震わせると、そのまま脱力し……二度と動かなくなった。


「もう少し、弓の腕を磨いておくべきだったな……」


 男は独りごちながらも、手際良く獲物の血抜きや解体を済ませる。

 人間に不要な部分は土に還し、皮や肉はミートペーパーに包み、保管用の皮袋に詰め、纏めて背負った。


 奪った命の重さをずっしりと肩に感じながら、男は来た道に残した印を辿って森を出る。


「ただいま、ガウナ。帰ろうか」


 森の外に繋がれ、退屈そうに足元の草を食んでいた馬の首を軽く叩きながら、男はそう呼びかけた。

 ガウナと呼ばれた栗毛の馬は顔を上げると、鼻先を男の腹にぐりぐりと押しつける。

 男は小さく笑って、その頭を撫でてやった。


 男はあぶみに足を掛けると、大柄な体に似つかわしい身軽さで馬の背に跨る。

 そして手にした手綱を軽く引くと、ガウナは慣れた足取りで森から少し離れた街道に向けて歩き始めた。

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