6 ユキとスプーンとルルカ

6 ユキとスプーンとルルカ


 アトリエの中はきちんと片づいていて、清潔だった。

 壁に何枚もの絵が掛けられている。月の世界にはない、様々の色で描かれた風景や、人物。そして赤や黄色、緑の野菜や果物? ルルカは思わずほうっとため息をついて立ち止まり、絵に見入った。

 ユキは奥へ歩いていく。ルルカはあわてて追いかけた。それからまた立ちどまった。

 北側の広い部屋の扉があいていて、その部屋だけは色んな物があちこちに置いてある。ルルカには馴染みのないものばかりだ。

「この部屋は、絵を描くところだ。布を張ってあるのがキャンバス。丸いのがパレット。箱に入っているのが油絵の具。銀色のにはテレピン油が入っている。筆に、パレットナイフ。キャンバスを乗せてるのがイーゼル」

 黒猫スプーンがささやくように、ルルカに説明してくれた。

「こっちよ」食堂の入口で、ユキがふり返って言った。

 ダイニングキッチンに入ると、ユキはルルカに椅子をすすめ、冷蔵庫から飲み物を取り出してグラスに注いだ。

「おいしい!」

 ルルカは目を丸くして声をはずませた。初めて飲む、甘くてさっぱりしたジュースだ。

「サトウキビのジュースよ」

 ユキがにこりとする。それから、さぐるようにルルカの顔を見た。

「昨日の夜。私不思議なものを見たの」

「不思議なもの?」

「最初は、お月さまがふたつになったのかと思って、すごくびっくりしたのよ」

 ユキの言葉で、ルルカはひょっとするとそれは、月の浮舟のことかなと感じた。

「三日月の形の金色に光るもの?」ルルカは思い切って聞いてみた。

「そう、それよ! ルルカ、あなた知っているのね?」

 興味津々の顔で、ユキが聞いた。

「あれは私が乗ってきた、月の浮舟よ」

「じゃあ、ルルカがさっき言った、月のルルカってあなたほんとに月から来たのね!」

 きらっ、とユキの目が輝いた。

「私、苺をさがしに来たの」

「苺? 月に苺はないの?」

「ええ。この青い水の星なら苺があるって……」

「苺はあるけど、もう苺の季節は終わりよ」

 それを聞いて、ルルカは頭の中が真っ白になった。苺がない?

「でも、でも何とかして見つけなきゃ! ミケロが病気なの。苺がないとミケロの病気が治せないの!」

 ルルカは立ちあがって叫んでいた。ユキは呆気にとられて、ルルカを見ている。

 ルルカは全身から力が抜け、がっくりと椅子にもたれこんだ。

「ルルカ、あわてずにちゃんと話して。ミケロって誰なの。ミケロの病気って?」

 ユキの声音が優しく、柔らかくなった。

 ユキは席を立ってルルカのそばに行くと、ルルカの肩にそっと手を置いた。

 ルルカはこぼれそうになる涙を、ぎゅっとのみこんだ。

「ミケロは、金砂病にかかってしまったの。眠ったまま、からだが凍って……」

 ルルカは俯いた。とうとう涙がこぼれてしまい、胸が張りさけそうで、喉につまって声が出なくなった。

「そう、そうだったの。ミケロの金砂病を治すには、苺が必要なのね」

 ルルカは何度もうなずいた。

「苺でしか……治らない……の」

「そう……」

 ユキはルルカの話を聞くと、肩の力をぬいてもとの椅子に腰をおろした。下唇を柔らかくかみしめ、じっと考え始めている。

 さっきルルカが感じたよそよそしさが、薄れてきているのがはっきりとわかった。

 スプーンが、ユキとルルカをかわるがわる眺めて、そっとため息をついた。それから、きっと顔をあげた。ルルカに近寄り、なにか言いかけた時、

「私も苺をさがすわ」

 唐突にユキが顔をあげて宣言した。

「えっ?」ルルカはびっくりして、ユキをまじまじと見た。

 ユキがテーブルに身を乗り出して、もう一度、

「私も苺をさがすのを手伝う!」ユキは目を輝かせて叫ぶように言った。

「そうだ。苺をさがす間、ここで一緒に暮らしましょ!」

 ユキが言った。

「ありがとう」

 ルルカは、それだけ言うのがやっとだった。

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