第3話
海洋センターでの就業初日を終え、校門でマイクロバスを待っていると他の従業員達が一斉に帰宅し始める。門から出てすぐの山道にちょっとした渋滞が出来始め、ここで働く連中はこの辺りの住人が多いものだとばかり思っていたが、車のナンバーを確認すると北は札幌から南は鹿児島と、まるで統一感がなかった。このうちの何人かは俺と同じように誰かに手配され、ここに集められたのだろうか。そんなことが気になったものの、施設内で私語を交わそうものなら何を言われるか分かったものじゃなかったし、今クビになってしまったらここに来た意味もなくなると思い、俺は何も考えないように努めることにした。
ふと施設を振り返ると、重たい雲に混ざって倉庫の裏手から黒い煙が昇っているのが見えた。
大昔、祖父の火葬で見た煙をふと思い出したが、それがどんな色だったかを思い出しているうちにマイクロバスが着いたのですぐに忘れてしまった。揺られているうちにぶり返しそうになったが、やはり何も考えないことにした。
翌日、施設に着くと俺の担当職員の相澤に呼び出された。作業とは別に、この施設のルールを学習する時間を一時間ほど設けるのだという。
眠くなりそうな予感がしつつも、誰もいない休憩所でボソボソと喋る相澤による講義が始まった。
「えーっと……こうぶ海洋センターでは、ここにいるみなさんにとって非常に有益な研究がなされている為、立ち入ることの出来る区画が厳しく管理されています」
「みなさんって、俺しかいないじゃないですか」
これは俺の悪い癖だ。気になったことは何でもすぐに口に出し、人の揚げ足を取りたくなってしまう。元嫁とのトラブルもこんなことの積み重ねが原因だった。つくづく厭な性格だと、自分でも呆れそうになる。
相澤に何か注意を受けるだろうと思っていると、奴は不思議そうに目を丸くして俺の左右に目を向けた。
「え、いますよ」
「は?」
他に誰か参加者がいるのかと思って振り返ってみたが、休憩所にはやはり俺と相澤の二人しかいない。どういうことだろうと思っていると、相澤は「あっ」と何かを思い出したような声を漏らした。
「すいません、上野さんだけです。続けます」
「……お願いします」
相澤は冗談のつもりだったのか、それとも疲れているのだろうか。その後弁解の言葉も何もなく、講義は続いた。
元々は山梨の奥地にあった施設だったが、この場所に移転したのは今からおよそ五年前で、使われなくなった村民センターの再生利用の為に移転して来たこと。秘匿性の高い研究、そして綺麗な水が必要になる為に山中で運営を行っているということ。国と協力して研究が行われていること、等を教えられた。早い話が、よくある海の生物の養殖の研究ってやつだ。コンベアに流れて来るあのヒレの大きさからするとマグロだろうか。
「相澤さん」
「はい、質問でしょうか?」
「あの生簀って、やっぱマグロか何か養殖してるんですか?」
「……生簀って、誰から聞きました?」
「え? 違うんですか?」
「誰から聞いたんです?」
「誰から聞いたっていうか……あのコンベアで流れて来るのは魚のヒレばっかだし、海もないからあの倉庫みたいな所で養殖でもやってるんかなぁって思ってたんすけど。俺、昔ニジマスの養殖やるバイトやってたんで、そうかなぁって勝手に想像してただけなんすけどね」
何かしくじったのだろうか。口からでまかせで嘘をついてみたものの、探りを入れるような目で相澤は俺をじっと見つめている。吉村のオヤジは確かに生簀だと言っていたが、違うのだろうか。相澤は俺から目を離すと資料に目を落とし、何も聞いていなかったかのように講義を続けた。
「……では、次の項目にいきます」
第一条。生研者以外は何人たりとも倉庫に近寄ってはならない。中を覗く等の行為も、禁止とする。
これだけは何があろうとも絶対に守ってください、と相澤はずいぶんと固い口調で言っていた。
「この「生研者」って何ですか?」
「そういう役職の人がいるということです。上野さんが関わることはないので、覚えることはただ一つ。絶対に裏手の倉庫には近付かないで下さい、ということです」
「よっぽど秘密にしてるんですね」
「詳しい研究内容は私も知りません。なので、どれほどの秘匿性があるのかは私にもお答え出来ません」
「そうですか。まぁ、近付かないように気を付けますよ」
「気を付けるんじゃなくて、絶対です。お願いします」
その後の講義は相澤の時間の都合なのか、やや早口になり、かなり焦ったような感じで進行していった。
施設内の研究、教育は人類哲学に基づいてどうのこうの言っていたが、俺にはまるで関係のない話で相澤の言っていることはほとんど右から左へ流れて行った。
講義が終わると作業場へ移動して、ずいぶんとスローペースで流れて来る魚のヒレを片付け、終業時間を迎えた。
二日目も誰とも口を利かなかったし、誰かが会話を交わしている姿を目にすることもなかった。
門でマイクロバスを待っていると、施設から出て来たイカレ宗教野郎の羽田が腕組をしたままこっちへ向かって歩いて来るのが見えた。俺に用事なんか無いだろうと思って無視していると、奴は歩きながら声を掛けて来た。
「上野さん、少々よろしいか?」
「はい。あの、お疲れ様です」
羽田は俺の前に立つと、辺りを見回して突然小声になった。
「上野さん、あまり余計なことを言ってくれるなよ」
「え、何言ってるんですか?」
「こっちとしては寧ろありがたい結果になるけど、あんたが苦労するだけなんだから。いいか、これは忠告でも警告でもない。事実を言っているだけなんだからな」
「あの、何のことだか全然分からないんですけど」
「とにかく、あんたは黙って作業だけしなさい。以上」
そう言うと羽田は小走りになって戻って行ったが、やはり頭のどこかがイカレてしまっているのかもしれない。妙な妄想に取り憑かれている可能性も否めない。あんなとんでもないイカレ野郎には関わらないようにしようと思っていると、丁度バスが来たので昨日と同じように何も考えないようにして乗り込んだ。
その次の日も、さらに次の日も同じような一日を繰り返すだけだった。
作業中はバケットを積んだ自動運転の台車が俺の相棒で、作業場では誰とも会わず、誰とも喋らない。構内の出入口は作業場ごとに作られているので基本的に休憩所との行き帰りで誰かとかち合うこともなく、休憩時間はどいつもこいつも押し黙ったまま「人への標」という宗教臭い本を熱心に読んでいる。
こんな調子であと十日ほど耐えれば百万を越す金が入って来る。吉村が言っていたようにこんな場所では人が集まらないだろう。それは立地の問題ではなく、中身の問題としてだ。やることだけやってさっさとオサラバしようと思っていたある晩、吉村から着信が入った。
「どうもー……上原君、元気でやってる?」
「いえ、上野です。まぁ、なんとかやってますよ」
「そう、良かった……あのさぁ、生簀のことだけどさ。何か違うみたいだったんだわ……俺も知らなかったからさ、嘘ついたみたいになっちゃったね……まぁ、忘れて欲しい訳よ」
「あぁ、それなら全然。気にしてないっすよ」
「あー……いや、後で怨まれても困るからさ」
「なんすか、めちゃくちゃ律儀っすね」
「律儀? んー……そういうことじゃないんだけど……まぁ、忘れてくれりゃそれでいいから。終わったら百万持って帰りましょうよ……子供だっているんだから、ね?」
「あぁ。まぁ、そうっすね」
知らなかったとは言え、嘘を教えていたことでわざわざ電話を掛けてくるなんて、案外吉村は気の小さなオヤジなのかもしれない。そんなことくらい……と思いながら電話を切ろうとしたものの、あることが気になって俺は電話を切られないようにすぐに疑問を声にした。
「吉村さん、なんで俺にガキがいること知ってるんすか?」
「えー……? あれ、車ん中で言ってなかったっけ?」
「言ってないっすよ。調べたんすか?」
「あー……じゃあ、誰かと勘違いしてたわ。毎日色んな奴に会うからねぇ、もう誰が誰だか……はは」
「いや、調べたんならマジで正直に言ってくださいよ」
「そりゃ、調べることくらい出来るけどさぁ……そんな暇じゃないからね」
「察しはついてますけど、吉村さんってオモテの人間じゃないっすよね?」
「君……そんなの知ってどうするの? え? 意味のないこと聞くのは疲れるだけだからやめようよ……まぁ、お互い割り切りが大事ってことで……じゃあ、頑張って」
電話はブツ切りのように突然切られ、スマホを机の上に置くと妙な胸騒ぎがし始めた。それはこの作業に関わったことそのものが大きな間違いだったような、二度と取り返せないものを既に失くしてしまっているような、そんな感覚だった。それを忘れるように、今夜もワゴンに載って運ばれて来る酒を浴びるように飲んだ。意識は酩酊し、座って正面を向いたままでいると視界が勝手にぐにゃりと回り始める。
そのままベッドに横になって眠ろうとすると、外から子供達が遊ぶ声とボールを転がすような音が聞こえて来た。山の中の、それも夜中の十二時の出来事だ。意識を外に集中させると、風がガタガタと窓を揺らす音に混じり、やはり子供達の高い声が聞こえて来る。あのフロントのガキだろうか。けれど、声は一人だけじゃない。その声を探ろうとしている内に重たい睡魔に襲われ、俺はそのまま眠りこけてしまった。
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