第2話
夜になって夕飯をどうしたら良いのか考えていると、部屋の電話が鳴った。取り上げて耳に受話器を当ててみると、例の子供の声のような機械音がこう告げた。
『オショクジヲ オモチシマシタ オショクジヲ オモチシマシタ』
電話を切ってドアを開けると、いつの間にかドアの外に食事を載せたワゴンが置かれている。
メニューはビーフシチューにサラダ、コンソメスープ、鮭の香草焼き、どれを食ってもそこらのレストラン以上に美味かった。途中フロントに電話してビールと日本酒を注文すると、返事のない代わりに注文はすぐにワゴンに載せて運ばれて来た。
ここでどんな奴が働いているのか気になったが、しばらくすると酔いのせいかそんなこともどうでも良くなって来る。
日本酒の徳利の数だけが増えて行き、酩酊した俺は元嫁からの電話を取った挙句、酔いに任せて元嫁に対しクソ味噌に文句を言っていた。
「テメェ、金髪ガングロの新しい男いんだろ? なんでテメェにクソホストに通う金があるのに俺が金出さなきゃいえねぇんだよ。俺の金はテメェの老けた汚ねぇババヅラに白粉させる為にあるんじゃねーんだよ! 大我の為に俺は金出してんだからよ、そんなに金寄越せってんなら大我を俺に寄越せば済む話じゃねーのかよ。テメェはあの金髪三流クズホストとヨロシクやりてぇだけなんだろ? おい、聞いてんのかテメェ」
何故そんな展開になっていたのか、どんな話をしたのか覚えてはいなかったが、電話はいつの間にか切れていた。おまけに元嫁から「最低」と二文字だけ書かれたメッセージまで送られて来ていて、それを見た俺は「知ってる」と独り言を呟き、笑った。
翌朝銀色のバンに乗せられ、いよいよ仕事が始まった。担当職員とバトンタッチした吉村は終業日に俺を迎えに来るからホテルにいてくれ、とだけ伝え、そそくさと施設を出て行った。
担当職員の相澤は目の隈の多い三十後半ほどの男で、いやにボソボソと喋る覇気のない奴だった。
「上野さんには構内で仕事をして頂きますが……契約書面などはこちらの都合上交わせないので承知頂くとして……帰りは、マイクロバスがあるので、ホテルまでの送迎は心配無用ですので……それと、指定エリア以外には何があっても立ち入らないようにして頂いて……」
「あの、全然聞こえないんでもう少し大きな声でお願い出来ますか?」
「あっ……あの」
相澤は咳払いをすると、急にバカデカい声になって注意事項を説明し始めた。
「第二条! 指定エリア以外への立入は許可証のない者は厳禁とす! 第三条! 指定エリアで行われている作業を覗き見る等の行為も厳禁とす! 第四条! 何人たりとも他部署、無関係のエリアを無用に覗いてはならない!」
こんな山の中で働いているからか、人と関わる機会が少な過ぎて頭が壊れてしまっているのだろうか。ろくに説明も出来ない担当職員に連れられ、俺は食品工場で着るような白装束に着替えると、いよいよ自分の持ち場へ連れて行かれた。
二階建の施設の奥は加工場になっていて、鉄の扉が開くと数本のベルトコンベアが見えた。加工場の奥には更に大きな扉が見えていたものの、あそこから向こうには何があっても立ち入らないようにと注意を受けた。
持ち場には俺一人しかおらず、他で働いている人間の姿は何処にもなかった。
「俺はここで何をすればいいんですか?」
「はい……あの、ベルトコンベアの先、ありますよね?」
相澤に言われ、ベルトコンベアの先に目を向けてみると小さな窓のような部分が見えた。ベルトコンベアは更に奥へと進んでいたが、小窓の他は全て壁になっていて、向こう側に何があるのかはここからは見えない。
「あそこから食用にならない魚のヒレが出て来るので、上野さんはそれを拾ってこの箱の中に入れて頂ければ、それで大丈夫です」
箱は大きな青色のバケットで、見たことのない小型の機械がついた台車に載せられている。
「これ、いっぱいになったら交換する時はどうしたらいいんですか?」
「あ……あの、自動システムなので、交換はしなくて大丈夫なんです。すぐに次の台車がやって来ますから……ほら、あれです」
そう言うと、加工場の隅から同じような台車がこちらへ自動運転で向かってやって来るのが見えた。最先端技術という奴だろうか。自動化ってやつだろう。
「ここって何人くらい働いてるんですか?」
「あっ……それは、ごめんなさい。守秘義務に当たるので、すいません」
「そうですか。他の人と話したりしても大丈夫なんですか?」
「いやぁ、それはないです。みなさん、きちんと教育されてますから」
「教育されてる、ですか」
相澤は人を小馬鹿にするような笑い方でそう言ったが、それがこの会社のルールという奴なんだろうか。そもそもここが民間なのか、国の機関なのかも分からない。そう言った情報を目で拾おうと思ったが、通路にも、注意事項を説明された長机と椅子だけが並ぶ休憩所にも掲示物などは一切貼られていなかった。
相澤と離れ実際に作業が始まると、仕事は退屈そのものだった。ヒレが流れて来ると言っても一分に一度流れて来るかどうかの速度で、そのヒレも大型の魚と思われるものだったが特に重たいということはなかった。
作業の都合なのか三十分近く流れて来ない時間もあった。
休憩時間になって休憩所へ向かうと、働いている人間達の顔は見えたものの、下を向いて飯を食う人間が約五十人ほど、その誰もがひと言も言葉を発していない異様な光景を目にした。
休憩所の奥にはラーメン、カレー、定食を選べる食堂になっていて、そこで働く奴らも無言で黙々と働いていて、受取口の横にはいかにも偉そうな年輩のジジイの職員が腕組をしながら休憩所全体に睨みを利かせていた。
つまり、ひと言も喋るなという事なのだろう。
空いている席に座り、カレーを食ったが上手くもなく不味くもなかった。移動に制限がある為無闇に動かない方が良いと思い、飯を食った後にすることもなく周りを見回してみる。
飯を食い終わった奴らは皆熱心に本を読んでいて、その本がどれも同じだということに気が付いた。
盗み見るような形でタイトルを確認すると、白い表紙に黒い明朝体で「人への標」と書かれている。
言葉を発しないルールと言い、立入れる場所が厳しく管理されている所からすると、ここを運営しているのは何かの宗教なのだろうか。そう考えれば相澤が言っていた「教育されている」という言葉も合点が行く。
どうせ誰とも合わない目を敢えて逸らしながら食器を返却口へ戻すと、さっきから偉そうに腕組をして突っ立っていたジジイに声を掛けられた。誰も声を出さないので、当たり前だが声が丸聞こえになる形だ。
「はじめまして! 私はここで総班長をしております、羽田と申します」
「今日からお世話になります、上野です」
「どうですか、ここは?」
「いや、どうもこうも初日なんで。早く慣れて二週間頑張ろうと思います」
常識の範疇で模範的な答え方をしたつもりだったが、羽田は俺がそう言うと鼻を膨らませて眉間に皺を寄せて俺を睨んだ。
「慣れるだなんてとんでもない、下手に慣れたら何をされるか分かったもんじゃない! 決められたことだけ、それだけをやれば良いんです!」
「まぁ、そのつもりですけど……」
「つもり? これは絶対です、慣れるのはダメです! 心にゆとりが生まれると、隙が生まれる! ここの皆さんを見習って、余計な感情や考えは全て排除して下さい! いいですね!?」
「は、はい」
「いいですね!?」
「わかりました」
「……なら、行ってよし」
一体なんなんだ、クソジジイめ。
やはり、この場所はイカレ狂った宗教野郎の吹き溜まりなのかもしれない。
苛立ちを鎮める為に喫煙所へ入ると、やはりここでも誰も会話を交わしている様子はなかった。
窓の外に見えるのは施設とくっ付いた大きな倉庫と周りの山だけで、他には何もなかった。重く垂れた雲が、鬱蒼とした雰囲気をより陰鬱にさせている。
倉庫の辺りで何かが動く気配がして目を向けてみると、倉庫の脇の通路を施設に向かって走って来る男の姿が目に入った。男は白髪混じりでそれなりに年を食っているように見えたが、俺はそいつの姿に寒気を感じた。
倉庫から出て来た男は、医者なのだろうか。白衣姿だったのだが、その白衣は血に塗れていた。噴き出した血液がそのまま付着したような、あからさまな返り血だった。
見ていることを悟られたら不味いかもしれないと思い視線を喫煙所内に戻すと、他の連中はじっと俺を見詰めていた。一瞬あからさまに目が合ったものの、すぐに逸らされた。連中に気味の悪さを感じて煙草を揉み消し、すぐに喫煙所を出た。
その後は作業場に戻って仕事を続けたが、終業時間まで誰とも会わなかったし、帰りは誰とも口を利かなかった。
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