2-1


 それってもう恋じゃない?

 直截にそう聞くのは憚れたが、桜木委員長はえらく浪川君にご執心のようだった。

 普段は次の授業の予習復習に余念のない彼女は休憩時間の間ずっとなろう系小説を読んでいたし、分からないところがあればわたしに聞いてくる。

 なんなのだろう、もしかするとわたしのことを異世界転生博士か何かだと思っているのだろうか。実に心外だ。……学校で本を読む時はカバーをつけていたのに、皆にもバレているのだろうか、わたしのなろう系好き。


 委員長は昼休みになっても尚、弁当箱片手になろう系の勉強に勤しんでいた。

 一方で浪川君はぽつんと一人、焼きそばパン片手にノートに何かを書き込んでいる。えらく熱心な様子で、鬼気迫ると言い換えても良い表情だ。これでもし彼がページいっぱいに『死』とか書き連ねてたらどうしよう、それもすごく丁寧な印刷みたいな文字で。

 ……。

 つい魔が差して浪川君のノートを覗き込んでしまい、わたしは死ぬほど後悔した。

 ノートの中身が見えたのはほんの一瞬、何を書いてるのかまでは分からなかった。なぜってどこからかヌッと伸びてきた二本の指に、わたしの両目は抉り抜かれたからだ。

「ギャ―――ッ!?」

 思わず椅子をぶち倒し、大声で叫んでしまった。『はんにんは、なみかわ』。自らの眼窩から溢れる真っ赤なインクで書き記したダイイングメッセージだけを残し教室の床に散ったわたしに、悪びれもしない声がかかる。

「なんだ、村人か」

 涙ぐむ目を擦り開くと、浪川君の顔が映った。どうやら失明だけは免れたらしい。よかったよかったよくないわ。

 ノートを覗こうとしただけで容赦なく人間の急所である眼球を攻撃してきた浪川君は少しだけ申し訳無さそうな顔をしているようにも見えるのだが、きっとわたしの気のせいだろう。だってまともな人間は、そもそもそんな攻撃をしてこない。

「すまない。集中しているとつい気配に敏感になってな。……それにしても、この世界の漢字は高位の魔術式並みに難解だな」

 さっきまで覗いた者を殺める気概で守っていた筈の秘密のノートを、浪川君はあっさりとわたしに見せた。

 薔薇。髑髏。吝嗇。

 ノートにはいかにも常用漢字って感じじゃない漢字がぎっしりと並んでいて、各単語の上にはふりがなが振ってある。……らしきものという言い方をしたのは勿論、そのふりがながあまりにも異世界めいていたからだ。

「……それ、例の異世界語?」

「うむ。俺の第二の故郷、ヴェーヌ・ルーシュ王国の言葉だ」

 ヴェーヌ・ルーシュ王国語……彼の言う異世界の文字。みみずが這った跡のようなその歪んだ文字列は確かに言われればそう見えなくもなく、しかしあまりに胡散臭い。というか確実に、ただの落書きだ。

 最初の自己紹介と言いこの謎の文字列と言い、コイツは適当こいてるだけに違いない。

「ちょっとそれ貸して」

 あわや失明の憂き目を見て少し意地悪な気持ちが芽生えていたのもあって、わたしは浪川君からノートを奪った。

「ちゃんと漢字を覚えられたかどうか、テストしてみよう」

 わたしがそう提案すると、隣の転校生がため息を吐く。やれやれ系なその吐息は、果たして余裕から来るものなのか。それとも頑なに貫こうとするなろう系主人公キャラの崩壊を怖れてのものなのだろうか。

 真実は、きっとすぐに判明する。



 ページ中にギッシリと書かれた漢字の上に教科書を置いて、全てを隠した。

 そうして何を始めるのかと言うと、漢字の上に振られた『異世界語のふりがな』だけを浪川君に見せ、それを改め漢字に変換してもらおうという、つまるとこ『漢字テストに見せかけた異世界語のテスト』だ。

 勿論このテストの結果は0点に終わるだろう。

 だって彼が書いてるのは異世界語なんかじゃなく、ただの適当な落書きなのだから。書いた本人にだって読めるはずない。

 ノートの上に置いた教科書を少しずらし、出てきた異世界語を指差す。「じゃあこれ、漢字で書いてみて」。優しくそう言いながら、わたしは嗜虐心でいっぱいだった。


 ――当然出来るよなぁ浪川ァ!? だってお前は異世界からやってきた勇者なのだからなァ!?


 有能な主人公を追放した末にザマァされるかませ犬・あるいは魔法学園の試験で主人公にマウントを取った数秒後に格の違いを見せつけられるモブキャラみたいな気持ちで、わたしは浪川君が握るシャーペンの軌跡を見守る。

『蝋燭』

 あっさりと書き出された普通一回書いたくらいじゃ覚えられないだろという漢字をよく見てから、わたしはそっと答えを覗いた。わたしがついさっき指差していた異世界語の下には確かに、『蝋燭』と書いてある。

 俄かには信じられないという驚きの気持ちを、いつの間にかわたしの後ろに立って居た委員長が代弁する。

「すごいとしか言いようがないわっ!? まさか彼は本当に異世界語と日本語の両方を操るバイリンガルだと言うの……っ!?」

「桜木さん、まだ一問目だよ。漢字の場所を覚えてただけかも知れない。……ていうか、絶対そう」

 がしかし結果から言うと。

 その後もしつこく異世界語から漢字への変換を行わせたわたしは結局、レベル3の村人らしく、終始ザマァされてしまった。

「……なんだ、もう終わりか?」

 全ての異世界語を漢字に変換し終えた浪川君がわたしを見る。「俺またなんかやっちゃいました?」みたいな顔は正直ちょっとムカつくし、同時に怖ろしいとも思ってしまう。

 彼が問題を解く間、「嘘でしょ!? これは漢検一級レベル、並の冒険者じゃ書けない漢字よ!?」なんて喚きながら引き立て役に回っていた委員長は、かなり脳天気なんじゃないだろうか。

 だってかなり異常なことだ。

 彼の言う『ヴェーヌ・ルーシュ文字』なるものが、果たして自分で考えた文字なのか、それともゲームやアニメに出てくる架空の文字なのかは分からないけど、そんなものを丸々暗記してる人間なんて、狂ってるとしか言いようがない。

「……なろう、お前漢字得意なんだな」

 いつの間にか後ろで事の顛末を見守っていたサッカー部の日立くんが、ぼそりとそう呟いた。

 浪川二郎。略してなろう。なんて因果なあだ名だろう。

 褒められた浪川君は相変わらず飄々と涼し気で、それに返事を返したりもしない。

 しかしその横顔はどこか得意げで、嬉しさを必死に隠しているような。少なくともわたしにはそう見えた。……全く以て、良く分からない転校生である。

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