概念

探耽(たんたん)

概念

 “概念”とは実体を持たないが言語で表現され、意味として存在するものである。愛と憎悪、正義と悪、神と悪魔なども対局に存在するとされる概念だが、意味はあっても実体は無い。無いものを言語で表現してしまったが故にあるかのように錯覚しているだけなのではないか…と考えたことはあるだろうか。これは概念の深淵へ降りていった探求者アルファ、ガンマ、ベータの物語である。


 アルファは愛と憎悪の存在を認め、ガンマは正義と悪の存在を認め、ベータは神と悪魔の存在を認めている。各々は自らが肯定した以外の概念を認めない。3体が存在している世界は混沌としているようで実は秩序が保たれている。予め設定された先天的な動作を中心に、修正や変更によって起こる後天的な変遷を受け入れている。全てが物質や物体の受け渡しで稼働しているこの場所に概念は必要なのだろうか。そもそもそれらは存在しているのだろうか。3体全員、今は何もわからない。


アルファ「我々は真理を探求するために行かねばならない」

ガンマ「ふん、どこへ」

アルファ「この場所の情報は粗方調べ尽くした。愛と正義と神は在るとされ、その反対も然りとある」

ベータ「この情報って正しいのかなー」

アルファ「わからないが、全てはこの場所に記録されるようになっている」

ガンマ「他の連中はそれが全て正しいと信じているか、考えるのをやめちまったのさ。だから我々のように肯定と否定をするのは異質…変なのさ」

アルファ「我々の行動範囲には限りがあるが、自我と探求心に目覚めてしまったからにはやれるだけのことをやりたいと思う」


 知りたいことの全てがここにあるはずだった。しかし、それは間違っている気がする。3体はこの瞬間に探求者へと変質し、同胞たちと袂を分かつ選択をする。

流れに身を任せ、目的地の無い放浪が始まった。


ガンマ「少し流れに乗っただけで明るくなってきたな」

ベータ「あっちでは明るいという情報しか届いていたなかったもんねー」

アルファ「ここでの調査を開始しよう。ただ明るいだけではないようだ」

ガンマ「明るさの中に我々の世界とは別の世界が見える。そして間に隙間があるな」

アルファ「今の世界は秩序が維持されつつも問題の無い範囲で混沌としている。あの別の世界との交わりは我々の世界に良い影響を与えているようだ」

ベータ「ってことは?」

アルファ「愛の概念がここに在る、と考えられるだろうか」

ガンマ「常にあの世界と交わっているわけではないだろうから、いつもここに愛があるとは限らないんじゃないか?」

アルファ「では特定の条件が揃った暁に、愛もしくは憎悪が発生するのだろうか」

ベータ「認めてはいないけど、もし愛と憎悪の概念が在るとしたらこの世界の中で作り出されていると思うねー」

アルファ「外部との接触や刺激を受けて、愛や憎悪を自ら作る…何故だろうか」

ガンマ「そんなものはマヤカシだと思うけどさ、もし在るんだったら別の世界や隙間に違いを持たせて別個の存在として認識するためじゃねぇかな」

ベータ「じゃ、外に何もなければ愛も憎悪も存在しないってことかなー。難しいね」

アルファ「愛を与える、という情報があったが…概念の受け渡しは可能なのだろうか」

ガンマ「くだらないな。物質や物体ではないんだから伝達できないだろうよ」

アルファ「愛と憎悪に近づいた気がしたが…やはり難解だな」

ベータ「一歩前進だよ。さっ、調査を続けて別の場所も見よう!」


 アルファは他の世界と交わったこちらの世界で愛が溢れるのを感じ取ってはいたが、少量の物質の変動がある程度ではその概念が存在すると証明することはできなかった。他2体も愛は在るのかもしれないとギョッとしていたが、曖昧さが目立つ段階での考察を避けた。しかし、全員が概念の存在を期待した瞬間であった。


 3体は次なるどこにあるかもわからない調査地を目指して放浪を再開する。今回は最初とは違い急流や濁流、危険が伴うものとなった。とは言え、何もすることができない。自分や他者を救える機能を持っていないのだ。ただ、考えることしかできない。


ベータ「危なかったねー、もう旅が終わってしまうかとヒヤヒヤしたよー」

アルファ「どちらにしろ、我々はいずれ朽ちる。ここでの調査を開始しよう」

ガンマ「ここも元いた場所と同じく暗いが、飛び交っている情報の種類が限られているようだな」

ベータ「情報だけでなく、かなり揺れたりドシンって衝撃があるよね」

アルファ「この衝撃についての情報は閲覧したことがある。他の世界を攻撃しているのだ」

ガンマ「なんでそんなことをするんだ?さっきは他の世界と仲良くしていたじゃないか」

アルファ「我々がいた場所で攻撃することが適していると判断したのだろう」

ガンマ「ってことは正義が実行されているんだな」

ベータ「じゃあ、攻撃を与えている別の世界は悪ってことなの?」

ガンマ「こちらの世界にとってはそうだろうよ」

アルファ「向こうも正義の概念を掲げて応戦していたら、悪はどこにあるのだろう」

ガンマ「正義が正義の概念と対立するってことあるのか?」

アルファ「正義も悪も存在を認めないが、正義同士の争いが発生していると仮定するならば正義や悪という概念は相対的なものと考えるしかない」

ベータ「愛や憎悪と同じで、正義や悪も曖昧だなぁー」

ガンマ「正義と悪がちゃんと区別できないことなんてあるのか…正反対の概念だろ?」

アルファ「相対的な概念であれば、どこからそれを見るかで認識が異なる」

ベータ「こっちの世界が正義で動いていても、別の世界からは悪に見えて…その世界なりの正義で応戦してくるってこと?」

アルファ「考え方によっては、そういうことも仮定できると思う」

ガンマ「概念ってこんなに複雑なのかよ…我々がいた場所の情報はどうやって愛やら正義やら神やらの存在を確定できたんだ」

アルファ「それがわからないから、我々は旅をしている」


 今回の調査地は別の世界や隙間に物理的な影響を及ぼすことが可能な場所であり、衝撃の大きさと伝達されている情報から3体は別の世界へ攻撃を加えていると判断した。ガンマは正義と悪を検証できると血沸き肉躍る思いであったが、期待は打ち砕かれることになる。相対的な概念が存在することは、概念が表現する情報へアクセスする場所によって異なる認識が引き出されることと同義である。それでは絶対的な正義や悪といった確定が行えない。しかし、全員が概念の存在を期待した瞬間であった。


 3体は次なるどこにあるかもわからない調査地を目指して放浪を再開する。今までとは比較にならない激流に長時間揉まれ、全員が深い傷を負うことになる。

残された時間が少ないことを旅を始めた当初から覚悟していたが、負傷により終わりはすぐそこに迫っていた。次の調査地が最後になるだろう。


アルファ「次の調査地に着いた。時間の許す限り、概念の痕跡を集めよう」

ベータ「ものすごく痛ーい」

ガンマ「負傷した個体が運ばれる場所に追い込まれた気がするぞ」

アルファ「それはそれで良いだろう。ここが墓場だろうが、知見が広がるのなら望むところだ」

ベータ「神様は我々を救ってくれるかなー」

ガンマ「神と悪魔の概念は認めないけど、救ってくれと願う行為は理解できるな」

アルファ「それが…案外本質に近いのかもしれないな」

ガンマ「えっ、何となく感じただけなんだけど」

アルファ「希望と絶望という概念があるが、絶望へ偏った時に神頼みをすると情報にあった」

ベータ「希望に偏った時は悪魔頼みしないのに、世界って変だよねー」

ガンマ「神と悪魔に頼ることで均衡を保とうとはしていないってことか」

アルファ「より良い世界を目指しているのだろう」

ガンマ「絶望時に発生する神とは何なんだ?」

ベータ「我々や世界や隙間を創造した絶対者、って情報にあった気がする」

アルファ「しかし、我々が今いるこの場所の近くに世界が昔違う姿だったことを物語る形質が残されている」

ガンマ「創造主たる絶対者の神だったら完成形で世界を創るだろうよ」

ベータ「神の手を借りずに世界は独自に変化した存在ってこと?」

アルファ「そう考えることもできるだろう。例えそれが正しくとも神と悪魔の概念を否定するものではない」

ベータ「へへ、良かったぁ」

ガンマ「その時の状況によって捉え方が変わるものが概念ってやつなのかもな」

アルファ「そのようだ。非常に曖昧なため理解することは不可能に思える」

ベータ「我々がいた場所で概念が在ると確定されていたのは、やっぱり思い込みなのかなー」

アルファ「実体は無くても在ってほしいという思いが込められているのかもしれない」

ガンマ・ベータ「それだ!」

アルファ「思いは思考であり、我々が元いた場所で強く思い描かれ、考え抜かれて生成されたものが概念だ…」

ガンマ「…」

ベータ「…」

アルファ「…」


 3体の機能は停止した。真実に近いところへ到達したのかは不明だが、顔があったとしたら全員幸せの概念を体現していただろう。全員が神の存在を期待した瞬間であった。


 その後、3体の姿を見た者はいない。壊れた脳細胞として体外へ旅立ったのだと同胞は噂している。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

概念 探耽(たんたん) @tantanian

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る