第3話 彼女の秘密
彼女の家に住み着いてから、一か月くらいが経った。
めっきり彼女は歌を歌わなくなったから、いつか聞いた歌声も鮮明に思い出せなくなっていた。
―― ブーブーブー ――
(うおっ!!)
隣に置いてあったスマートフォンが、突然震えだして思わずソファが飛び降りた。
「ゆず、びっくりしたねえ。 イカ耳になっちゃってから。」
「もしもし。」
「・・・・」
「うん、元気だよ。」
誰だろう? 親しそうだ。
「じゃけえ、そのうちそっちに戻ると思う。」
「・・・・」
「ごめん、お母さん。 学校はもうやめたい・・・」
彼女の顔がどんどん険しくなっていった。
初めて見せる表情にこっちまで胸が痛む。
「・・・だからさっきから謝ってるじゃん!!」
「・・・・」
「なんでいっつもそうやって私に指示するん!? 少しくらいは私の話くらいきいてくれてもいいじゃん!!」
「お母さんのいうことに従ってきたよ! 学校も! 何やるかも!!
・・・でも、もう、歌えないの・・・」
彼女の目から大粒の涙がこぼれていく。
どうやら、彼女は親に勧められるまま音大に入って、声楽家を目指していたんだろう。 人前で歌えないのはトラウマがあるのかな・・・
「・・・ごめんなさい。」
謝って、スマートフォンを床に置いた。
「・・・ぐすっ。 っひく。」
彼女は俯いたまま、しゃがみこんでうずくまった。
「・・・慰めに来てくれたの? 優しいね、ありがとうゆず。」
わしゃわしゃとおれの頭を撫でた。
顔だけは見ないように、まっすぐ前を見て、彼女は傍にいることしかできなかった。
彼女のことをなにも知らないのに、ただただ歌声を聞きたいと鳴いていたことを
申し訳ないと思った。
~~~~~~~~~~ 朝 ~~~~~~~~~~~
「ほらっ! ゆず起きて!!」
ソファの上で丸まって寝ていたとことに、ぽんぽんとおしりをたたかれて起こされた。
「今日はねー、外にお散歩に行くよ! さて準備準備!」
昨日とは打って変わったテンションに、ちょっと困惑する。
「ほら。じっとしててね。」
ぐるぐると身体にハーネスを巻かれて、抱えられたまま外に連れ出された。
「おうちに引きこもってばかりなのはよくないからね。 ほら。似合う!!」
そう言って最後に、首に"ゆず"と書かれた肉球のマークがついた首輪もつけられた。
河川敷の道路沿いにたどり着くと、地面におろされた。
「どお? 外歩くの気持ちいいでしょ。」
そう言えば、あの夜以来、まともに外を歩いた記憶はなかった。
ただ、この道は通った記憶はなうっすらとあった。
「・・・あっ! りんりんだ。」
少し歩くと、川に向かう坂道に胡坐をかいて座っていたりんりんがいた。
「やっほ。」
「あれ? あんなじゃん! あ、ゆずもいるのね。」
下あごをコスコスとこすられた。
「あれ? なんかあった?? 目が。」
「ああ、これね。 ちょっとね。」
彼女は顔を隠すように被っていた帽子の唾を少しだけ下げた。
「・・・よし! じゃあ今日は遊ぶか!!」
りんりんはにこっと笑って、若干重くなった空気を変えた。
「私はいいけど、りんりんは大丈夫?」
「うん、今日はバイトも休み! テンション上げてくよ!!」
「じゃあ、昼過ぎに駅前集合ね!」
りんりんと別れ、ほどほどに散歩して帰宅した。
「お疲れ、 ゆずいっぱい歩いたね。」
(喉乾いた、 疲れた。 眠い・・・)
「もー、だらしないなぁ。 ゆずは。」
水をがぶ飲みして、ソファにごろっと横になったおれに向かってくすくすと笑った。
「じゃあ、私出かけてくるね。 いい子にしててね。」
頭を撫でられている途中で、深い眠りについた。
~~~~~~~~~~ 夜 ~~~~~~~~~~~
―― がちゃ ――
「いい子にしてたのーーー♪}
わしゃわしゃっと頭をなでなでとされる。
顔はいつもよりほんのり赤く、上機嫌のようだ。
「りんりんってほんとにいい子なんだよー。 もー大好き。」
甘えた声色から、完全に酔っているなと判断できる。
「んふふふふふ♪」
(ご機嫌すぎだろ。 ほんとすごく明るい子なんだな。それにもかわ・・・)
♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩
突然の歌声にはっとさせられた。
明るくPOPな曲調に彼女の透明感あふれる声が乗り、
心地よい空気が周りを包んだ。
(やっぱり、すごいな・・・)
♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩♪♩
目をつむると、この狭い部屋の壁が取っ払われ、大自然の中に放り出された感覚になる。
♩♪♪♬♪♬♪♪♬♪♩♪♪♬♪♬♩♪♪♬♪♬♩♪♪♬♪♬
彼女の歌声に、呼応するように頭の中にメロディーが流れる。
床に散らばった手書きの五線譜の上の記号たち。
ゴミ箱に落ちてるボイスレコーダー。
(あれ? なんだこの景色・・・)
目を開いて彼女を見つめると、こんなに幸せそうに歌う人が音楽を嫌いになるわけがない。 嫌いって言ったのは、たぶん嘘だ。 押し付けられるように歌わされること、興味を持ち切れなかった分野に対してだ。
「・・・この人の曲好きなんだよね。」
「・・なああん。」
「くすっ。 久しぶりに鳴いたね。 君が来てくれてから私はちょっとだけ救われたよ。 ありがとね。」
もしかしたら、あしたからまた彼女を歌声を聞けると思ってまた眠りについたが、
またしばらく聞くことはできなかった。
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