小説における才能と努力

小狸

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浅草あさくら統吾郎とうごろうの新刊読んだ?」


「うん、読んだよ。面白かったなあ」


「ええ、あんなのが面白いと思ってんの? 莫迦じゃん」


「そう?」


「そうだよ。ただひねくれた文こねくり回してるだけだろ。奇抜な題名とキャラの名前で吊ってるってだけ。お前小説家志望なんだろ。浅草の文体特徴あるから、あんまり読みすぎない方がいい」


「そこまで言う? 私は面白かったんだけど」


「俺はお前のためを思って言ってんだよ」


「いや、別にあんたに思われても嬉しくはないけどさ。面白いって思ったんだよ、私は」


「じゃあ、具体的に何が面白いと思ったんだよ?」


「えと、それはね……設定とか。名前とか、キャラとか」


「ほら、結局キャラじゃないか。推理小説の新境地とか謳ってるくせに、別に誰も推理小説としてはあいつの本を、もう見てないんだよ。何となく面白いって思いたいだけじゃねえの?」


「今日は結構言ってくるね。私が浅草先生の小説好きなのが気に食わないの?」


「別にそういうこと言ってんじゃねえよ。ただ、あんなのを好きな奴の気が知れないってだけだ。騙されてんだよ。だったらもっと別のを読んだ方がいい、作家になるためにはな。これとかさ」


「ん。それって三田みた先生の新刊? 本屋大賞取ってたやつだよね?」


「ああそうだ。この人のは凄いぜ。緻密な伏線と、章分けを適切に利用してる。浅草とは全然違う、世の中でちゃんと評価されている小説にも目を通すべきだろ。そんな零細小説なんて読む必要はねえよ」


「……」


「なんだよ、俺が何か間違ったこと言ってるか?」


「ううん。別に。あんたが正しいと思うよ。読書量だって、全然私より多いと思うし。私はあんたみたいに、小説の業界のこと詳しくない、新人賞にも、まだ一作しか応募できてないしね。最終候補に残ったあんたが言っていることが、正しい。ありがとね。読んでみるよ」


「おう。分かってくれりゃいいんだよ」


 そう言って、文芸部の同級生、坂本サカモトは、私に小説を手渡した。


 ■


 世の中には、許されている人間と、許されていない人間がいると思う。


 例えば、小説の感想一つ言うのでもそうだ。自分の言いたいこと、本心をちゃんと言える人間と、言えない人間がいる。この場合は、文芸部の同級生が言える側、私が言えない側だ。


「いやいや、そんなことで自重していてどうする。作品愛を語ればいい」と、ひょっとすると第三者の皆さまは思うかもしれない。画面の向こうで、決して当事者にも加害者にもならず、被害者面をしてニヤニヤ笑っている皆さまは。


 だけれどそれは叶わないし、できない。


 もしも私に、相手の顔色を見て配慮せず、相手が嫌がることにずけずけと突っ込みを入れ、それでいて相手にきちんと伝わるように言葉を選び、後味の悪くならないように立ち去る能力があれば、きっとここで自分の意見を言えただろう。


 たださあ。


 そんなことができれば、って感じじゃない?


 元々坂本は、傍若無人な口調を続けていて、先輩方も諦めている。要するに、許されている状態なのだ。


 そんな彼に、まともに相対したところで、どうなるだろう。雰囲気が悪くなるだけじゃないか。


 それに、私が何か言ったところで、坂本が自分の意見を曲げるとは思えない。あいつが相手の顔色を見て配慮せず、相手が嫌がることにずけずけと突っ込みを入れ、それでいて相手にきちんと伝わるように言葉を選ばず、後味なんて一切考えない人間だと誰もが知っているから、彼は許されているのだ。


 翻って私はどうか。


 私には、そういう個性が許されていない。一年生の中で一番ちゃんとしていると、先輩方にはそう思われている。だからこそ、ちゃんとしなければいけない。我儘も言えない。自分の主張も極力しない。


 いや、いや、いや。


 ただ私には、勇気と努力が足りないのだろう。自分の好きなものを貶されても、ヘラヘラ笑っている。小説の中であれば、熱いキャラにぶん殴られるような展開だけれど、実際そうだ。別に小説がなくなって生きていけるわけじゃない。それに、坂本が言っていることなんて気にしなければいいのだ。場の雰囲気を壊さず、自己を表に出さず、ふわふわと生きていればいい。人に迎合して、生きていればいいじゃないか。


 そうやって言い聞かせているのに。


 私の目から、涙は止まらなかった。


 ■



「あはは、坂本ね。あの読書家気取り、まだ生きてたんだ」


 開始早々毒舌が飛んできて、悲しみとか辛さとかが全部吹っ飛んだ。三年生の文芸部部長、榎本エノモト先輩である。



 坂本が唯一、己の弁論を向けない相手。


 なぜならば彼女は文芸部所属中、一年次に小説家としてデビューしているからだった。


「気にしてない振り、しなくていいと思うよ。ってか、そうやって抑圧ばっかしてるから、感情のコントロールが難しくなっちゃうんだ。泣け泣け、君は、好きなものを侮辱されて悲しいんだ。それを認めな」

 

 部活後、図書準備室にて榎本先輩に相談して――その言葉が返ってきて、私は決壊した。いや、本当言われるまで気付かなかったものだ。自分が気持ちを我慢していただなんて。


「浅草先生ねえ。あの文体特徴的だよね。真似しやすいっていうか、真似したくなる感じはある。ただ、そのまま真似すると絶対に二番煎じになる。浅草先生の真骨頂は、文体とかキャラ造形とか、そういうのの内に上手く隠れてるからさ――坂本はきっと、あんたにそういうことを言って偉ぶりたかったんだよ。小説のことに詳しい俺を見て、凄いでしょ俺――って感じでさ。案外君のこと、好きなんじゃないの?」


「それだけは輪廻転生してもあり得ません」


 まだ号泣した余韻が残っていたけれど、それだけは断定したかった。


 落ち着いてから、榎本先輩と話を続けた。


「でも――あいつ、坂本の言うことも一利あるって思っちゃうんですよね。実際小説たくさん読んでるみたいだし、小説家になろうって思った時期も、あいつの方が早いし、才能もあるし……」


 言っていて、どんどん辛くなってきた。


 あれ、じゃあ私には、何があるんだろう。


「うーん。その辺は考え方だよね。確かに小説を多く読めば読むほど、脳内でヴァリエーションが増えるから有用だと思うよ。早くから作家を目指していれば、多くの薀蓄や知識、書き方を知られると思う。書く才能を磨く時間も、十二分に取れるしね。でもだからって、すぐに小説家になれるわけじゃない」

「……」


 確かに、そうだ。


「これはわたしの持論なんだけどね、執筆以外でも言えることかもしれないけれど――『いつ始めたか』って言うのはそこまで重要じゃない。それより『これからどれくらい続けるか』なんじゃないかって思っているんだ」


「……過去じゃなくて、未来を見るってことですか」


「そ。わたし中学の時は音楽系の部活で、フルートだったんだけどさ。同級生に小学校からフルート拭いてる、西村って奴がいてね、そいつ天狗になってたわけ。皆より上手いし、中坊なんてそんなもんだよね。で、そいつはその過去におんぶにだっこで、まともに練習しようとしなかった」


 うさぎと亀、みたいな話である。


「うん。悔しくってさ。いつかぶっちぎってやるぞって思って必死で練習した。それで二年生のコンクールのオーディションで、西村ぶっちぎってフルートの一番もぎ取った」


「……すごい」


「すごくないよ。偶然努力が、オーディションの時に報われただけ。相手は何もしてなかったし、楽勝だったけどね」


 楽勝だと言っているけれど、見えないところでこの人は信じられない程の努力をしている。学業の成績を常に上位でキープしながら、定期的に小説を出版しているのだから。


「そういうことがあったからこそ、君には忘れないでいてほしい。続けたことはいつか必ず報われる。そうじゃなきゃ、人生つまらないじゃん」


 にっこりと、榎本先輩は笑った。


「ありがとうございます――その、ちょっと話は変わるんですけれど、小説の批評についてでして」

「ん。批評?」



「はい。坂本くんが、良く小説を批評してくるんです。どんな面白い小説でも、私が読んだものを絶対に否定して、批判して来る――。嫌なんですけれど、そういう見る眼っていうのは、必要なんでしょうか」


 折角なので、これも聞いておいた。以前から気になっていたことだ。私が坂本に反論できないのも、そこにある。良い小説を見る眼。判別する目。感想を、違和感を言語化する能力――坂本はそういうものを培うことこそこそ、良い小説を書くために必要な努力だと言い張る。私も、どこかそれに納得してしまっている。


「知らにゃい」


 聞く人を間違えたかな、と思った。


「知らないってか。うーん、そっか、坂本そういう感じなんだ。努力、努力、努力、努力ねえ――あいつも自分が才能ないって思ってるクチだからねえ。ねえ、君。努力って聞いてどんなイメージ持つ?」


「え――それは、頑張る、頑張って、目標に向かって努力、あ、いや、それだと重なっちゃいますね」


「うん。だよね。分かる。誰しも自分がやっていることは全部無駄だったなんて思いたくないから、努力って言葉を付けて、己の行為を意味あるものだと思おうとする。あ、勿論これはわたしの見識ね。じゃあ翻って、そういう読書における才能は何かって考えてみようよ。頑張りや精進では絶対に埋まらないもの――それで、君が持ってるもの」


「私が、持ってる?」


 それはイメージつかなかった。才能? 自分に才能があるなんて、粉微塵も思ったことがない。書けるかもって思って、どん底に落ちての繰り返し、自信に繋がる成果なんて、一つも出ていないからだ。候補にも選ばれない、何にも残らない、何も許されない。それが、私なのではないか。


「そんなもの、ありませんよ」

「いやあ、あるよお。君にあるもの。今の文芸部の一年じゃ、君しか持っていないと思うよ」



 ますます分からなかった。


「才能ってのはね、小説を楽しむ才能、のことだよ」


「……え?」


 意味が良く分からなかった。小説を楽しむ才能……って、何。


「文章読ませて、添削させて、正しい日本語押し付けて――そういう国語教育の功罪でもあるんだけどね。多いよ、小説を減点方式でしか読めない人。文章の粗だとか、伏線の適当さだとか、気に入らない展開だとか、イラストだとか、そういうものが目に付いて仕方ない人っていうのかな。雑みや粗さを許せない人。潔癖症最近は多いからねー。そんな中で君は? 小説を沢山読んでいて、まだ小説を楽しむことができている。これが才能でなくて何なのよ」


「…………」


 正直驚いたし、納得できるかと言われると素直に首肯はできない。


 ただ、確かにと思うところもあった。


 私は小説が好きで、文芸部に入った。


 けれど、入ってみて、楽しそうに小説を買ったり読んだり、好きな小説の話を楽しそうにする人は、ほとんどいなかった。皆、批評目的で雑誌を買い、自分の小説が候補に残っているかにしか興味がなく――小説ではなく、そういう斜に構えた自分自身が好きな人が、大半だった。


 読んだ小説はことごとく論われ、貶されて当然。その指摘こそが正しく、受け入れられない者は謙虚ではない。


 文芸部として、小説を書く部活としては正しいことなのかもしれないが、読書人としては、落第だろう。


 最後に私は、先輩に尋ねた。


「楽しんで、いいんでしょうか。私は、小説を楽しく読んでいいんでしょうか。そうやって論じられる程に、私はまだ、読むことができていません。積み重ねが、ありません」


「勿論いつ始めたかで、スタートラインは違うけどさ。そんなもの直ぐに埋まって均一になると思うよ。それに、世の中に作家志望は、坂本だけじゃないしね。あんなつまらない奴で止まってどーすんの。目を開けて、世界を見てご覧。楽しくって、面白いぞ」


 先輩はそう言って、笑った。


 私も、笑うことができた。


 そうだ。


 きっと私は、誰かにこういうことを、言ってほしかったのだ。


 だとすれば、成程、出来過ぎている。


 出る杭は普通は打たれる、集団を乱す人間はその場から排除される、自己を抑圧してきた者が都合よく自己肯定されることはなく、誰にも認められず分かってもらえないことの方が多い、このままモヤモヤしたまま笑顔をして毎日過ごすことだってできる、自信のないままへなへなの文章を出版社に送り続けていつしか諦める未来だってあった。


 なのに――なんだか、救われてしまった。


 脈絡もなく、伏線もなく、過去もなく、未来もなく、意味もなく、設定もなく、辻褄もなく、理由もなく、動機もなく、物語もない、何となく始めた先輩とのやり取りで、救われてしまった。


 小説ではまずこんなことはあり得ない。


 でも、今私が立っている現実は、横紙破りも許される。


 相変わらず何も変わっていないし、明日からもいいように言われるだろうし、それに耐え続けることは簡単で、周りの人は私の心なんて配慮せず、言いたいことを言いたいように好き勝手ぶつけ続ける、声の大きい奴の言葉だけが反映され、一生このままで生きるしかなく、本当にどうしようもない現実で、救いようはないと思っていたけれど。


 もうちょっと、頑張ってみよっかなとか、思っちゃったじゃん。


 すぐさま靴を履き替え、学校を出た。


 いつもなら鬱陶しい夕焼けが、今日はなんだか綺麗に見えた。


 早く家に帰ろう。


 そして小説の続きを書こうと、私は思った。



(了)


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