カレー
「世の中には、美人が沢山いるよね」
キッチンでカレーを作る私に、女が言う。
珍しい話題を振ってきたと思った。私は、「うん」とだけ返事して話の先を聞く。
「例えばさ、この世界の皆が美形になるとするじゃない?そうしたら、また、その中から更に美形が生まれるのかな?」
女は言いながら、私の後ろまで歩いてくる。シンクに重ねられた小皿の一つを取って、私に向ける。
私は、鍋から少しのカレーをおたまに掬って、小皿に乗せてやった。
「おそらくだけど、皆が美形になったら、美形の概念が少しずつ変化していくんだろうね。結局、今の美形の概念だって、創作物に近い特徴を持った人がそう言われていると思うんだよね」
女は私の話を聞きながら、小皿のカレーを吹いて冷まし、一口含んだ。
「少し辛いね」
「そう?」
私は言って、棚から蜂蜜の瓶を取る。
「創作物って、絵とか、アニメとか?」
女は小皿を置いて、冷蔵庫の前で腕組みする。
「まあ、あとは、人形、彫像、それに西洋文化ね。昔の彫像ってやたらと筋肉質だし、裸婦画は肌とか表情がエロいでしょ」
私は蜂蜜の蓋を開けながら言う。
「裸婦画なんて、大体がデブじゃん。それって、今の美しさの元と言える?」
「今の日本の価値基準で考えるからそう思うんだよ。きっと、昔はあれが最高に美しかったんだと思うよ。そして、その価値観は、少しずつ変化して今に繋がっていると思う。日本だって、昔の美人の絵を見たらわかるけど、今では美しいとは言えないでしょ。それは男も同じ。丁髷(ちょんまげ)がそうであったように、昔のヨーロッパの男はくるくるのカツラを被っていたし、股間にはコッドピースとかいう変なカップを付けてた。女に至っては、エメラルドグリーンのドレスを、命がけで着てたんだ。そういうのが、オシャレだった時代がある。美形な人も、美形でなかった人も、常にその時代の美しさを求めているんだ」
私は蜂蜜をスプーンにしっかり取って、鍋に入れる。
「エメラルドグリーンのドレスって、素敵ね。わたし、緑って結構好きだよ」
「当時のエメラルドグリーンの原料はね、ヒ素だったんだよ。だから、それが首すじとか脚とか腕とか、肌に触れ続けると、死ぬこともあったんだ」
私は女に視線を合わせて言ったあと、蜂蜜の瓶を閉めて棚に戻す。
「皆、命がけなのね。今だってそれは変わらないのかもね、全身整形とかもあるし」
女は冷蔵庫を背に座った。
「それだけ美しさってのは重要なんだろうね。社会的にさ」
「なんだか、嫌だね」
「……そうだね」
カレーはマグマの様相でくつくつと音を立てている。
「もしかしたらこの先、整形した顔が流行りから外れてさ、後悔する人とかも出てくるのかもしれないよね」
女が私を見上げて言う。
「そういう事もあるかもね。今の時代の流れって、物凄く移り変わりが速いから。ねえ、このカレー、ちょっと濃いかも」
「さっきも濃かったよ」
私は少量の水を加え、さらに玉ねぎを刻む。
「あなたは美人が好き?」
女はすこし悪戯に聞いてくる。
「そりゃね。誰だってそうじゃないの?」
私は言って、一度、女の表情を見る。
「わたしは、そうでもないかな。格好良すぎる人って、なんだか怖いの。隣にいるとすごく引け目を感じちゃうし、安心できないんだ。それに威圧感を感じたりもするし」
「それは、俺が不細工って言いたいの?」
私が冗談めかして言うと、女が不器用に笑顔になって、「ごめん、そうじゃないの」と言って立ち上がる。
隣まで来て、鍋を覗き込む。耳の横の、ウェーブのかかった髪から、甘い匂いがした。それは、先日、海外雑貨の店で買ったトリートメントの匂いだ。
「出来た?」
女は言いながら、私の背中に手を添える。
「もうすこしかな」
女は言葉に出して謝るのが苦手だ。そんな事は分かっている。この、背中に添えた手のひらが、どんな意味を持っているのか、私には分かる。
「ご飯と、うどんと、パン。それから」
女は指を折りながら、数えるように言う。
「チーズは?」
私が言うと、女は笑顔でうなずいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます