残酷で無責任な『可哀想』
「今日も今日とて来たわけだけど……よく考えたら、何度も何度も女子の家に足を運んでるわけか。こういうの何て言うんだっけ?通い妻?あ、でも俺は男だから……通い夫?」
美人な幼馴染とのラッキースケベイベントを終えた後、小走りで橘家の前までやって来た湊月は、その門前で意味不明な独り言を呟いていた。
初めて橘家に訪問してからというもの、何度も何度も足を運んでいるこの場所。
衝動なのか、それとも何か自分の中で引っかかる事があったのか。湊月自身でもあまり良く分かっていないが、橘すみれの復学に協力する旨を優佳さんに申し入れてからというもの、優佳さんが在宅している日を教えて貰い、足繁くこの家に来ていた。
もう慣れた手つきで表札の横に設置されているインターホンに指を置き、そっと押す。すると、中から少し慌ただしい足音が聞こえてきて、扉を開けた優佳さんが隙間からチラっと顔を覗かせた。
「あ、こんにちは橘さん」
「こんにちは小野寺君。毎回の事ですが、わざわざご足労ありがとうございます」
「いえいえ!自分がお願いした事なので!それに、毎回美味しいお菓子をご馳走させてもらってますし!」
「ふふっ、今日は焼き立てですよ。本日も、娘の事……よろしくお願い致します」
一度玄関から外に出て、深々と頭を下げる優佳さん。
湊月も、「こちらこそお願いします!」という返答として正しいのか曖昧な文言を残し、いそいそと橘家の敷居を跨いで行った。
*
見慣れた部屋の前。しかし、その扉が今までに開かれた事は無く、本当に中に人が──橘すみれが存在するのか疑ってしまいそうになる程、ただただ無機質な光景が眼前には広がっている。
その部屋の前で、湊月は少し前に誰よりも信頼を置いている幼馴染から言われた言葉を頭の中で巡らせながら、今伝えるべき第一声を考えていた。
──『率直で、真っ直ぐ』
逆は恐らく、打算的で複雑という事になるだろう。
人と人の関わりで、打算やメリットデメリットを全く考えない事などそうそう無い。コミュニケーションというのは、取る相手との関係性が薄ければ薄い程それに意味を持たせるものだ。しかし、打算的になればなる程、コミュニケーションの糸は複雑に絡み合う。
今必要なのは、何か。
橘すみれを学校に復学させる為の上っ面な詭弁か。それとも、学校に来る事にメリットを感じさせる理想論を謳った希望か。
「……違うだろ」
声として形に残らない程の吐息で呟く。
確かに、元を辿れば橘すみれを学校に登校させる為、半ば説得をするような形でこの家に訪れたのかもしれない。しかし、優佳さんの話を聞き、橘すみれという一人の少女に純粋な興味を抱いた。それが、今自分がここにいる理由で、それ以上の何かを欲していない。ならば、この瞬間に最も必要なのは、
「……繋がり、だよな」
今度は、しっかりと形に残るようそっと声に出し、意を決して開かずの扉をノックした。
その音だけの呼び掛けには、当然何の反応も無い。いつもの事だ。
そのまま深く息を吸い込み、壁を隔てた向こうの住人に聞こえるよう口を開く。
「橘すみれさん。俺は……貴方に興味があります」
胸の中で湧き出た文章を、思考の管を通る前に言葉として吐き出す。内容は、薄っぺらいナンパ文句のようになってしまっているが、何一つろ過されていない等身大の感情だ。
「勝手ですが、貴方のお母さんから橘さんの過去や、境遇をお聞きしました。俺なんかにはとても想像できない壮絶さで、内容を聞いた時言葉が出ませんでした」
今までは当たり障りの無い適当な話題を喋っていただけだった。しかし、ここに来てあまりにも唐突にデリケートな部分──普通なら絶対に触ってはいけないタブーに触れた。前回までとの温度差に、橘すみれが風邪を引いてしまいそうな程、その話題を持ち出すのが突発的だ。
もちろん、他人が干渉してはいけない内容なのは、湊月も分かっている。だからこそ、その部分には絶対に触れてこなかった。それが正しいと思っていたから。
だが、今日その考えが少し変わったのだ。無暗やたらに他人の過去を掘り返そうとか、寄り添おうとかそういう事では無い。ただ、向き合おうと。橘すみれとでは無く、自分自身と。
「……でも、同情とか憐れみとかは感じませんでした。今と……今までの橘さんを否定できる程、俺は出来た人間では無いですから」
こんな事、他の誰かが聞いたならば、何を言っているんだと叱責されるかもしれない。
しかし、湊月は知っているのだ。無意味な
「少しだけ、自分語りをさせて下さい。本当にくだらない内容なので、聞き流してくれても構いません」
そう言いながら、あの日の──もう
「俺の今の両親、母親とは血が繋がっているのですが、父親とは血縁関係は無いんです。つまり継父って事ですね。元々の両親が離婚した際、俺は稼ぎに余裕のあった母親側に引き取られました。まぁ、今思えば体裁を気にして、とりあえずは子供だけでも引き取っておこうみたいな感じだったとは思いますが」
幼かった頃の何も知らない湊月は、ただ親の言った言葉を鵜吞みにして、父親が少し離れた場所で住むだけで、これからも今まで通りだと思っていた。父親も母親も大好きだった湊月にとって、二人の間に自分を中心とした亀裂が入っていたなんて思いもしなかったのだから。
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