親子ってそういうものなのでしょうか?
「すみれが生まれてからも、結局私と元夫の歪な関係は続いたままでした。ただ、すみれが成長していくにつれて必要なお金も増えていき、貯金も底を付いていた私はある決断をしたんです」
「……お金を、渡さない」
おずおずとそう口にした湊月。
優佳さんは、しっかりと瞳を見据えながら力強く頷いた。
「その通りです。私は、いつも通りお金をせびりに来た元夫に対して、初めてその要求を拒否しました。結果、態度は急変。初めは私だけに対して、怒鳴り声と激しい暴言、そして暴力。しまいには、すみれに対しても同じような事を始めました」
「……えっと、自分の妻と娘に?」
湊月は、自身にはあまりにも理解し難いその男の言動に絶句する。価値観の相違とかそういう話ではない、もっと根本的な人としての何かに違いがありすぎるのだ。
「……あの人にとっては、私は金を運んでくる働きアリ、すみれはその副産物程度にしか思っていなかったんでしょうね」
「警察に相談は?」
「警察に言ったらすみれを殺すと脅されて言えませんでした。住所を変えてどうにか逃げようとしましたが、どこからその情報を仕入れてくるのか必ず新しい家を突き止めて、ひとしきり暴れ回った後お金を奪われる。そしてその繰り返し。あの頃は、例えではなく終わらない悪夢そのものでしたよ」
優佳さんの肩が小刻みに震えているのが分かる。今でも思い出すだけで恐怖を感じるのだから、実際は想像し得る何倍も凄惨な状態だったのだろう。
逃げたいけど、逃げ方が分からない。優佳さんには守らなくてはならないものがあるのに比べて、その男には守るものが何一つとしてない。いや、強いて言うのならば金だろう。どうして、この世の中は責任が無い人間の方が強いのだろうか。
考えても答えの出ない疑問だが、少なくとも一つだけ分かる事はある。それは、当時幼かった橘すみれとって、あまりにも非情すぎる現実が日常だったという事。心にどれだけのトラウマが植え付けられたか、それは測らずも想像に
「当時、何一つ知識を持たなかった私は、ただその恐怖に怯えるだけで解決する術を持たない……言わばただのカカシです。もし私だけだったら、運命と私の幼稚さを呪って諦めていたでしょう。ですが、どうしてもすみれだけは守りたかった。バカなのは私だけで、生まれてきてくれたすみれには何の罪も無いのだから」
「……はい」
優佳さんの口から出てくる、まるで現実離れした事実に頷く事しかできない湊月。
「なので、私は必死にパティシエとしての技術を磨き、文字通り死に物狂いで経営についての勉強をしました。正直、家の事やすみれの事をおざなりにしていたのも否定できません。それだって、すみれの為って言い訳をしていただけで、実際は自分があの恐怖から逃れたかっただけだと思います。本当に、最低な母親です」
「……で、でも、それが結果的には功を奏したんですよね?」
「……どうなんでしょう。運も良くRe:crownは安定して、どうにか元夫との縁は断ち切れました。ですが、すみれとの関係は年を──いや、日を追うごとに希薄になっていましたから」
「希薄に?やっと怯えないで生活できるのにですか?」
「……すみれにとって、私もあの男と何ら変わらない存在なんです、きっと。それは……今でも」
「今でも……ですか?」
単純な疑問を口にした時、先程橘すみれの部屋前で起こった出来事が脳内にフラッシュバックした。
──確かあの時、母親の名前を出した途端に何かを投げつけられたな……
引き籠っている思春期の学生が、その親とあまり良い関係性で無いというのは、状況的にも特段珍しい話では無い。しかし、橘優佳と橘すみれの──この親子の関係性は異質な確執によって、決して浅くは無い溝が出来上がっているようだ。
「……はい。でも、当然なんです。自分が幼い頃は暴漢から守ってくれず放って仕事ばかり。それどころか、勝手な正義感から嫌いなものを押し付けられる始末ですから」
「押し付けられるというのは……?」
「先程も言ったように、私は高校を中退して酷く後悔しました。それは、生活が大変だったというのもありますが、何よりも環境が人生を左右すると痛感したからです。勉強をしておけば、その後の人生が遥かに楽になるのは間違いないです。すみれに……私の娘に、私と同じ苦しみを味わってほしくない。そう思って……いえ、一人でそう勘違いして、すみれの気持ちも聞かずに私の考えを押し付けていたんです」
表情を曇らせて一言一言噛み締めるように言葉にする優佳さん。
「えっと……自分の娘には豊かな人生を送ってもらいたいと願うのは当たり前な気がしますが?」
「……結局私がやっていたのは、あの子に昔の私を投影させていただけなんだと思います。だから……あの子が私を許せないのも嫌うのも当然で、むしろ
そこまで言ったところで、優佳さんの口は動かなくなり、唐突な重い沈黙がこの場に降りかかった。
数分間同じ姿勢のまま押し黙る二人。
そんな、どんよりとした空気を気遣う様に言葉を探し出し、ぎこちない笑顔を作った優佳さんは、
「あはは、ほんとごめんなさいね。初対面のおばさんのこんな愚痴──」
「親子ってそういうものなのでしょうか?」
だが、そんな優佳さんの言葉を遮るように湊月は口を開いた。
「償うとか償わないとか、母親失格とか失格じゃないとか。そういうものなのでしょうか?」
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