夏の匂いと、恋の痛み

「な、なーに??」


 妙な一呼吸の間を空ける湊月。


 志穂は、生唾をごくりと呑み込み、ぎこちない笑顔で湊月と視線を交わらせた。


「志穂も……VTuberにハマったの!?」

「ち、ちが──っ!!……て、え?」


 予め用意していた言葉が喉元から半分程出たところで、予想だにしなかった湊月の解釈に、その言葉を聞き返すのと同時に腑抜けた声音を漏らしてしまった志穂。


「いや~ファミレスの時から、薄々そうなんじゃないかと思ってたんだよ!少しだけ興味あるって言ってたけど、実はもうVの沼にどっぷり浸かってるんでしょ?」

「えっと、いや……浸かってると言うか、だとしたら沼そのものというか……そういう意味じゃなく?」

「……?あぁそういう事!一人推しが出来たらそこから派生して色んな人を見るようになるから、気付いたらそのグループを推してるよね!そういう意味では、Y〇uTube自体が沼そのものみたいなとこある!!」

「……ん?んん!?」


 微妙に──というか、全く話が噛み合っていない二人の会話。


 湊月は勝手に納得して満足そうな笑みを浮かべているが、志穂の方は頭の中にぎっしりと詰め込まれたハテナマークによって、思考が一時的にフリーズしてしまう。


 だが、志穂の思考が状況に追い付いてきた時、湊月が今起こしているは自分にとって都合の良いものだと気付き、慌てて平静を取り戻すと、にこやかに口を開いた。


「確かに、私の二次元コンテンツの中でVは来てるかもー?可愛いイラストの女の子が、可愛いこ……声で配信してるのは眼福だし……」


 ほんのり頬を赤らめた志穂は、注意深く聞けば少々白々しく湊月の勘違いに便乗したのだが、そんな些細な事を今の湊月が気付くはずもなくテンションをさらに上げて、


「もう推しは生きてるだけで幸せだよ!!やっぱり志穂とは何かと感性が合うよなぁ。やっぱ持つべきものはオタクな幼馴染!!」

「えへへ……何か嬉しい……」


 誉め言葉なのか審議の必要がありそうなその文言でも、好きな人から言われたという理由で無条件に喜べてしまうちょろイン代表白羽志穂は、話しながら目の前に並べられている天使悪魔と春夏冬夏のグッズの、その中の一つを手に取った。


「それ、冬夏ちゃんのキーホルダー?」

「この子、すっごく可愛いなって。ちょくちょく切り抜きとかも見てたから……」

「じゃあ、俺はこっちを買おうかな」


 そう言って湊月が手に取ったのは、志穂が手に持っているキーホルダーの横に置いてある天使悪魔のキーホルダーであった。この二つは対となるようデザインされていて、両配信者ライバーをくっ付けたらハートの形が作られるという洒落た作りとなっているのだ。


 特に他意は無くペアキーホルダーの片割れを手に取った湊月は、そのままモゾモゾと独り言を呟きながら他の商品を棚から物色し始めた。


 そしてその後ろで、両手の平で大切そうに包んだ冬夏の小さなキーホルダーを、愛らしい小動物を見るかのような柔らかい視線で見つめた志穂が、屈託のない笑顔で、


「宝物にするっ!」


 と、湊月の耳には届かない程の声量で、一語一語を噛み締めるようにそう言った。







「すっかり暗くなっちゃったね~」

「ごめん……グッズ選びであんなに時間を使うとは思わなかった……」

「ふふ、全然大丈夫よ。一生懸命予算と欲しいグッズとの擦り合わせに悩んでる湊月、すっごく可愛かったし!」


 アニメイト及び大型ショッピングモールから帰路に就いた二人は、もうすっかり陽の落ちた空のもと、志穂が住んでいるマンションのエントランスで今日最後になるであろう軽い雑談を交わしていた。


「今日は楽しかったぁ~!誘ってくれてありがとう湊月!!」

「こちらこそ楽しかったよ!ありがとう!」

「また……一緒に遊びに行こうね?」

「うん、もちろん。約束!」


 二人の視線が空間で交差し、気恥ずかしさから互いに目を逸らしてしまう。


 暖かな沈黙がこの場を支配する。だが、その沈黙には一切の気まずさや居心地の悪さは無く、季節が夏へと移り変わり始めている事を感じさせる、ほんのりジメっとした暑さが強調されているばかりであった。


「……夏だね」

「あのさ……」


 ゆったりとした沈黙を破るように、同時に話し始めてしまう湊月と志穂。重なったその言葉を、二人とも遠慮がちに引っ込めてしまい、またもや沈黙が降り注いでしまう。


「ごめん。良いよ?」

「うん……ありがとう」


 俯きがちにぼそっとそう呟く志穂。そして、意を決したように口を開いた。


「……あの、ね。知ってると思うけど、今お父さんとお母さん海外に行ってて。……その……私のお家、誰もいないんだ……」

「……え?」


 薄暗い為、湊月の視界にはほとんど映っていなかったが、上目遣いで言った志穂の顔は、丁寧に耳まで真っ赤に染まっていた。

 

「その……湊月とまだ一緒に居たいなぁ……なんて」


 掠れた声音で、尚も言葉を捻り出す志穂。そんな幼馴染の姿を瞳で捉えている湊月は、完全に言葉を失ってしまった。だがその理由は、この状況や言われた文言に対してではなく、志穂の初めて見るその表情があまりにも綺麗で──それでいて、とてつもなく情欲を掻き立てられてしまったからに他ならない。


「お、れ……は……」

「……湊月、好き」


 またもや二人の視線は交差するが、今回はしっかりと互いの目を見据えており逸らしていない。いや、逸らせなかったが正しいのだろう。


 何かに縋ろうとする──まるで飼い主を待つ子犬のような、甘い艶麗な表情を浮かべる志穂と、その美しさにてられてしまう湊月。


 一歩、ほんの数センチだけ前に出て、志穂の方に近付いた湊月───


「ごめん!!変な事言っちゃった!!お腹も空いちゃったし、もうお家に入ろうかな!!」

「……え、あ、うん。そう、だね」

「そ、それじゃあまた、学校でね!ばいばい!」

「う、うん……それじゃあ……」







──ああぁぁぁぁあああ!!!!私のバカバカバカっ!!何やってんの自分!?


 玄関で靴を脱ぐやいなや、すぐさま自室へと駆け込みベッドに飛び込んだ志穂は、枕にしがみつき足をバタバタとしながら、ひたすらに一人で悶えていた。


──絶対変な女だと思われた!!だってもう……あんなのあんなの!!!!


「……完全に誘ってるんじゃんかぁ」


 弱々しく、誰もいない空虚へと呟いた。


 自分から誘った挙句、状況に耐えられなくなった自身に本気の嫌悪を抱く志穂。


「こんな物まで買っちゃって……何を期待してたんだか……」


 そう言いながら、バッグの底に入れていた黒いビニール袋から小さな長方形の箱を取り出した。そこには、『0.02ml』と記載されたそれが入れられている。湊月がVTuberのブースに長居していた間、その数分を縫って隣にあったドラッグストアのお店に行き買ったものだ。


「もう……いやっ!!」


 堪えていた涙が、綺麗で美しい瞳から一滴、また一滴と滴っていく。


──せっかく楽しかったのに、最後の最後で台無しにしちゃった……


 今なら、自身の行動の安直さと、勇気を絞り切る事の出来なかった不甲斐なさで、本気で自分の事を嫌いになる事さえ容易であると感じる。なによりも、


「ズルい女……最低ね。本当に」


 志穂自身、五月に誕生日を迎えた十七歳であり、健全なセカンドJK。そういった行為に興味があったというのも事実だが、それ以上に既成事実を作ってしまえば、湊月はもっと自分を見てくれるんじゃないかという、低俗で単純で、それでいてずるい考えがあったのは言うまでもなかった。


 理由にはならないが、志穂自身も誰かに恋した事など生まれてから初めて──正確には、幼少期のある日からずっと湊月の事を好いている為、正しいアプローチの仕方などまるで分っていないのだ。


「……苦しい」


 そんな恋愛初心者な志穂でも、恋愛というのは楽しくて幸せなものだという事は知っていた。知っていたのだが──


「みつきぃ……苦しいよ……」


 経験して分かった。楽しい事や幸せな事と同じくらい、もしくはそれ以上に苦しくて辛くて、まるで本当の自分じゃないみたいになってしまうのだ。


 だが、そんな姿もこの涙も、湊月には当然もっともな恋敵である天宮夏音に見せるわけにいかず、外ではできるだけ気丈に振る舞い、可愛い自分であろうとするわけなのだが。


「私って、こんなに弱い女だったのね」


 言葉にすればする程、自己嫌悪に襲われる。更に自分が嫌になる。


 自身が弱い人間である事など、当の昔から知っていたはずなのに。変わろうとして、変わった気でいただけなのに。


「いいえ。挫けてばかりじゃダメよ志穂。そう、私は可愛いんだから!!」


 頬を二度、パンパンっと叩くと、ベッドから体を起こす。そして、今日買った湊月とのお揃いのキーホルダーを机の上に置いてあるPCに立てかけて、後悔の塊として残ったゴムの箱を足元の棚にしまった。


「あーーーあっあっあっ!う、うんんっ!よし!良い感じ!」


 そのまま、デスクトップPCの電源を入れる。


「配信しよっと!」


 こうして今夜も、白羽志穂はVTuber天使悪魔として、多くのファン達に笑顔と幸せを届けるのであった。

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