神と悪魔


 第六十六柱、“精神デカラビア”はたった今目の前で起きた出来事に戦慄していた。

 神の身分にも関わらず、恐怖で身が竦み、自然が歯がガタガタと鳴る。


 油断していたわけでは、なかったはずだった。


 堕剣ネビ・セルべロス。

 かつて剣聖と呼ばれた、人類最強の男。

 直接戦ったことはなかったが、その噂は十分すぎるほどに知っていた。

 数多の加護持ちギフテッドの中で、唯一試練を与えられる側ではなく、試練そのものだと評された規格外の怪物。

 あの第一柱“始まりの女神ルーシー”が危険だと認め、加護の剥奪をされた異端の剣士。

 一筋縄ではいかないとはわかっていた。

 だが、それでも、これほどとは予想できなかったのだ。


(嘘、でしょ。いくらなんでも、意味がわからない。どうして、こいつは、


 それは、もはや戦いとは呼べず、一方的な蹂躙でしかなかった。

 “大食い”オーレーン・ゲイツマン。

 相手の剣想を消失させ、その力を奪う能力を持った加護持ち。

 どれほど力を取り戻したといえ、所詮は加護ありきの力。

 それすら奪えば、堕剣は今度こそ血に落ちるはずだったのだ。



「がぁ……っ……悪魔…め……」



 ゴトッ、と大きな音を立てて、オーレーンの手から彼女の剣想である悪食がこぼれ落ちる。

 口からは血を流し、顔面の半分は潰され、全身をボロ雑巾のような姿になった彼女を見下ろすように立つ一人の男。

 ついに限界を迎えたのか、消失する悪食。

 そこでやっと、そこに立つだけで周囲を押し潰そうとしてしまうほどのプレッシャーが収まる。


「ああ、やっと戻ったか。……濡れろ、【赤錆】」


 吐きそうなほどだった威圧感が、嘘のように消える。

 堕剣ネビの手には、赤く錆びた一振りの剣が戻り、彼は愛おしそうにその刃を撫でている。

 

「……アタシを、殺すのか、堕剣」


「ん? いや、殺す理由はない。もう赤錆は戻ったからな。俺はただレベリングをしたいだけなんだ」


 ついに立つことすらままならなくなったのか、両手を床に突っ伏す体制になったオーレーンに対して、ネビは平たい声をかける。

 鬼気迫るようだった先ほどまでの雰囲気は嘘のように、普段の冷たさが戻っていた。


(そう、これがオカシイ。オーレーンを潰したことで、あいつの剣想イデアが戻った。それはいいけれど、戻った瞬間、あの馬鹿げたプレッシャーが消えた。普通、逆でしょ。剣想は力を解放するものであって、鎖じゃない。なのにこいつは、剣想が消えた瞬間、信じられないほどの力を発揮した。それこそ、悪魔のような、力を)


 赤錆。

 剣想の顕現は、本来ならば加護持ちの切り札。

 つまり、剣想を奪った時点で、オーレーンの勝利は確定するはずだった。

 だが実際は、剣想が消えた瞬間、ネビの力は全く質の違う次元に変化し、オーレーンはなす術なく一方的に嬲られてしまった。


 本来の力を、剣想によって抑えている。


 そんなこと、ありえるのだろうか。

 そもそも、もはや何のために剣想を発現させているのか。


(人間たちの馬鹿話だと思っていたけど、堕剣ネビが人間じゃないって話、本当なんじゃないかしら?)


 堕剣ネビが追放された理由を、デカラビアも詳細は知らない。

 始まりの女神は遥か格上の神のため、彼が直接会話をすることはないからだ。


 ——悪魔。


 神々の時代が始まる前、そう呼ばれた存在がいたことは、精神デカラビアも知っている。

 神でも、人でも、そして魔物ダークでもない、災厄の存在。

 始まりの女神ルーシーが大きな代償を払って、この世界から消し去ったという、ありとあらゆる邪悪を振り撒く異形のモノ。


(堕剣ネビ・セルべロス。間違いないわ。彼が、、あるいはそれに連なるモノ)


 固有技能を使って闇に潜みながら、精神デカラビアはそう結論づける。

 もはや、勝負は決した。

 相手が人ではなく、加護数レベルでは測れない異端の力を使うのならば、その対策はしようがない。

 完全な敗北。

 精神デカラビアは、堕剣ネビを倒すことを諦めた。


(ムリムリ。これはアタシの手に追えないわ。格が違う。一度ネビに試練を与えた神が皆、二度とこいつ会いたくないって口を揃えて言っていた理由がわかったわ。人の皮を被った悪魔。追放は妥当すぎるわ)


 デカラビアは脳裏に焼きついた、オーレーンを圧倒するネビの姿を思い出すと、身震いする。

 あれは、見てはいけない、モノだった。

 オーレーンを身体を、心を、完膚無きまでに叩き潰す、徹底した戦い方。

 全てを忘れようと目を強く瞑った後、そしてデカラビアはその場を去ろうとする。



「どこに行く、デカラビア。俺はお前の加護が欲しい。貰えないなら、奪うだけだ」

 


 赤い瞳が、精神デカラビアを真っ直ぐと貫く。

 ありえない。

 闇に潜み、完全に身を隠しているはずのデカラビアは、自らの呼吸が過呼吸のように浅くなるのがわかった。


(は、はったり、よね? アタシの姿は見えてないはず。だから、逃げ切れる。逃げきれない、わけない)


 あるのは完全な闇だけ。

 自らの居場所が看破されているわけはない。

 そうわかっているのに、デカラビアは震えを抑えられない。


「これが最終通告だ。加護をくれないなら、お前は殺す。俺はただ、レベリングがしたいだけなんだ」


 一切視線をずらすことなく、堕剣ネビは赤く錆びた切先をデカラビアに向ける。

 ハッタリだ。

 ハッタリに決まっている。

 不可視の固有技能。

 逃げきれないわけはない。

 しかし頭でわかっているのに、デカラビアはまだ動けない。


「俺は、どこまでも追うぞ。お前が加護を渡さない限り、追い続ける。絶対に、貰う。俺は、レベリングがしたいんだ」


 嗚咽。

 堕剣ネビが四六時中自らを狙う光景を想像しただけで、胃酸が逆流した。


(な、なんでこいつそんなに加護が欲しいの? だって、こいつ、加護ない方が強いじゃない。ほんとに意味わかんない。こわすぎ)


 切り飛ばされた右腕の痛みが疼く。

 デカラビアはそこで、大きなため息をつくと、女郎蜘蛛ハイドアンドダークを解除した。

 姿を見せた精神デカラビアを見ても、堕剣ネビは特に何の反応も見せず、感情を見せない瞳で見つめるだけ。


「……わかった。わかったわよ。だから、一つだけ約束してちょうだい」


「なんだ?」


「もし、加護を渡したら、二度とアタシには近づかないで」


「……どうして皆、それを言うんだろうな。べつに構わないが」


 これ以上、堕剣ネビには関わりたくない。

 それが精神デカラビアの率直な気持ちだった。

 元々、第一柱が世界から追放するほどの問題児だ。

 末端の神が手を出していい相手ではなかった。

 代償は大きい。

 消えた右腕と折れたプライド。

 デカラビアは、堕剣ネビを屈服させようとしたことを、心の底から後悔していた。 

 

「アタシの柱の加護を渡すわ。もうアタシのことは忘れてちょうだい。二度と会いたくない」


「……わかった」


 淡い緑色の光を手に集め、それをデカラビアは堕剣ネビに渡す。

 すると、随分と心が軽やかになるのがわかった。

 こんなに簡単なことだったのだ。

 余計なことをしてしまったと、デカラビアは大きく息を吸う。


(あー、イキそ。すんごい開放感。これでもう、やっとこいつアタシの街からいなくなってくれる)


 堕剣ネビがここを立ち去る。

 たったそれだけのことが、あまりに嬉しく。自然と涙が流れてきた。


「アアッ!」


「ひぃっ!? な、なにっ!? ちゃんと加護は渡したでしょ!?」


「……ああ、すまない。少し、気分が良くて声が出てしまった。ん? なんでお前泣いてるんだ?」


「……ほんとなんなのアンタ。気にしないで。アンタには一生わからないわ。いいから早くどっか行って」


 柱の加護を受け取ると、ネビが唐突に大声を出して、デカラビアは腰が抜けそうになった。

 対するネビは一瞬恍惚とした表情を浮かべた後、またいつもの能面のような顔に戻る。

 そのあまりに理解の及ばない姿を見て、デカラビアはある決意を固めるのだった。



(アタシ、神、やめよ)

 

 

 


 

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