一夏

川谷パルテノン

セミとカブトムシ

 朝になって外に出る。とくに理由はないが寝転んでダラダラ過ごすよりかはよほどマシな気がするから。行くあてはないが公園につく。公園のよさといったらベンチがあって座れることだ。路上には座れるところが少ない。座ろうと思えば地べただろうと座れるがそれははしたないことになっている。なので大きな目的がないときは公園につく。公園につくと子供たちが数人集まって木を眺めていた。ひとりは大きな網を持っている。セミでも捕る気だろうか。そんなことを思い浮かべるとセミの鳴く音のボリュームが上がった。すっかり夏だ。自分も彼らくらいの年頃にセミがちょうど成虫になる様子を発見したことがある。脱皮されかかった幼虫の殻は苔むしたセメント塀に貼り付いてぱっくりと割れた背中からやけに白く俄かに緑の筋が走った成虫が溢れ出ていた。綺麗なのとグロテスクなのが入り混じっていて幼い目を惹いた。ずっと眺めていた。その日はラジオ体操の帰りで早朝だったけれど、後々調べてみると朝方に白いセミを見られるのは珍しいことらしい。次の日になるとクロワッサンの表面みたいな色した抜け殻だけがそこに残っていた。成虫になったセミの命は一夏という。どこかにはもっと短い生涯の生き物もいるだろう。それでもセミといえば何やら儚いのだった。

 子供たちがこちらに近づいてくる。彼らの一人が俺におそるおそる声をかけた。

「カブトムシ」

 どうやらセミではなくカブトムシを探しているらしい。カブトムシなんて最近はまるで見なくなった。そもそも探していない。それがこんな近所の公園で簡単に見つかるとは思えないが、俺は彼らの頼みを聞き入れて一緒に探すことにした。虫捕りなんていつ以来か。公園で一番大きくて太い木の幹の周りを観察した。セミはいる。カブトムシはおそらくいない。背の低い子供達はどうですか? いますか? と聞く。見えないねえと俺。少年は諦めたくなさそうで木に登れますか? という。俺は着ていた白いシャツに目を遣った。


「どうですか? 高いですか?」

「高いのは高い」

 見慣れた木だったが登ってみると結構な高さがある。木登りなどしたこともなかったが大人になれば雰囲気で出来てしまうのだなと思った。

「カブトムシはいますか?」

「ちょっと見えないねえ」

 やっぱりいないのかなと彼らは不安そうに、また残念そうな声で互いに口にした。木の上の大人は戻りづらい。もう少し探してみようと枝のほうに手を伸ばした拍子にそれが折れた。

「痛ッテェ」

「大丈夫ですか?」

 ひとりが救急車、救急車と口走り始めたので慌てて大丈夫だと答えた。肘を擦り剥いた。

 絆創膏を買いに行くついでに彼らと一緒にコンビニに入り、ひとり一本アイスクリームを買ってあげた。不甲斐ない大人の最後の武器だ。子供三人と大人一人がベンチに並んで座ってアイスクリームを舐めた。なんとも言えない気まずさがある。

「カブトムシはいないかもしれない」

「そうですか」

 聞き分けはいい彼らだが、それでも残念そうな顔には胸が痛む。アイスクリームでは埋められない。沈黙が続く。夏の日差しが本気を見せ始める時間帯。なのに流れる汗はどうしてか冷たい。そんなところに彼らの友人だろうか、メガネをかけた少年がやってきた。

「ごめん遅くなった」

 夏期講習で朝から塾だったらしい。大変だなと大人は思った。ところが大人はもっと大変だとは言わなかった。彼らはカブトムシをこのまま諦めるか場所を変えるかで思案し始める。多数決の結果、二対二で同票。これは……

「お兄さん、どうしたらいいですか?」

「どうしたらって、俺が決めていいの?」

 子供達は一様に頷くがこんな残酷なことはない。場所を変えるといってもすっかり開発の進んだこの町のどこにカブトムシがいるというのか。とはいえ諦めろと俺の口から言わせるのか。参った。


「お化けなんていないよ」

 思い返せばやけにませた子供だった。肝試ししようと言い出した友達と乗り気なまわりに対して俺は冷めたことを言った。いないと思っていた。だからいたら嫌だなと思っていた。本当はただただ怖がっていた。素直でなかったことでもっと辛い思いをする羽目になった。キッカケはこうも些細なことだったがそれまでの関係に歪みが生じた。今でこそどうということもないがあの日の少年は孤独だった。中学に上がって人付き合いが変わるまでのほんの短い期間だったがハブられていた頃の俺はまるで一夏を終えたセミのような先のなさと自分を重ねていた。


「もう少しここで探そう」

 どちらの意見にも肩入れしなかったが彼らに、また諦める派の二人にも生気が戻った。これは見つけねばならんぞと目を窄めて汗を拭った。一旦昼御飯を食べに帰った子供達の隙をついて、俺はカブトムシを探しにペットショップか最悪デパートまで出ることを企てた。一夏の小さな夢を叶えたいという気持ちは悪いことではないだろう。

「……。ちょっと着替えてる時間まではないか」



 俺たちはその日夕方までカブトムシを探した。結論から言うとカブトムシは見つからなかった。でも代わりにクワガタが……などという奇跡も起きなかった。皆、悔しそうではあった。それでも一つの目的を全員で成そうとしたことは間違いなく、誰ひとり取り残さなかった。

「カブトムシ、いませんでしたね」

 健気に笑う彼の言葉に大人は意味を重ねてしまっていけない。土で汚れた服。それは皆が仲間である証だった。

「お兄さんが一番汚れてますね」

「本当だね」

「お母さんに怒られませんか?」

「遠くで暮らしてるからバレない」

「よかった」

 子供達が俺の身を案じてくれるのがなんだか可笑しくて笑ってしまった。つられて彼らもゲラゲラ笑った。子供達はもう晩御飯の時間だからといって帰っていった。時計に目をやるともう午後七時。一日中カブトムシを探していた。実際疲れた。ヘトヘトだ。

「お兄さん」

「まだ帰ってなかったの……」

 声のする方に向かって返事をしたけれど知らない子供だった。でも俺はこの子を知っている。

「お化けっているとおもう?」

「えっと 君はどう思ってるの?」

「質問を質問で返しちゃいけないんだよ」

 相変わらずだな。

「でも、ぼくはいないと思う」

「ほんとに?」

「いないよ。だってお化けなんて」

「じゃあなんで俺に聞くの? 信じてないんでしょ?」

「それは……」

 少し意地悪だったか。

「まあでもいないと思うならそれでいい」

「え 」

「お化けがいるかいないかは今もわからないけど俺はそれでよかったと思ってる」

「どういう意味?」

「もっと大事なことに気づく瞬間が君にはこの先にいくつもある」

「どうしてそんなこと言い切れるの?」

「もう少し成長したら好きな女の子が出来る。その時はあまりカッコをつけようとしないこと。そしたらもう少しマシな結果になったかもしれん」

「??」

「あと大学受験の日に家に携帯を忘れても取りに戻るな。かえってめんどくさいことになる」

「大学?」

「まあその二つはどうでもいい。だけどこれだけは覚えていてくれ。お母さんのこと、大事にしろ」

「お母さん? どうして? お母さんはいつだってうるさいよ。ぼくのことなんてわかってくれない」

「そんなことはない。それは君の勘違いだ。お母さんはいつだって君のことをいちばんに思ってる。だから頼む。母さんのこと大事に思ってやってくれ。一生のお願い。な?」

「わかった。でお化けは?」

「勘弁してくれよ。お化けなんて……」

 もう子供の姿は消えていた。不思議なことがあるものだ。まだあの一夏は終わってなかったってことなのか。なんにせよ胸の空く思いがある。偶然も偶然、帰り道にまたセミの羽化を見た。あの日と同じに見えた。夜でもはっきりと浮かぶ白。それが土色に塗れたなら一人前だ。夏もまた始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一夏 川谷パルテノン @pefnk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る