4―5
物心ついた時、少女は独りだった。
自分には「ソラ」という名前があるらしい。由来は分からない。ただ周囲の人間が自分をそう呼ぶのだから一応はこれが自分の名前なのだろう。
ソラは養母らしい村の魔女に、「自分がなぜここに住んでいる」のか尋ねた。
「…………」
老婆は彼女に怯えながら、言葉を慎重に選んで彼女の境遇を語った。
曰く、ソラの母親はソラを産んだのが原因で命を落とした。曰く、父親は男手一人で子供、それも女子を育てる事に嫌気が差して村を抜け出した。曰く、通りがかりの魔術師が赤ん坊だったソラから魔術の才能を見出し、六歳までは育てた。
「その人も……何やら血相を変えて村を飛び出していったけどね」
老婆は語り終えると少女から逃げるように部屋の隅へ移動した。
「……?」
なぜ老婆が怯えているのかソラには理解できなかった。何やら先ほどが喋ったことが自分の気に障らないのかを、いちいち気にする彼女を見て少女は度々疑問に思う。
なるほど自分は独りらしい。
「ねー」
身寄りという意味においてなるほどソラは天涯孤独と呼ぶべきだろう。
でも、寂しくはない。
「☆!」
「♯!」
「♪!」
なぜならば彼女の周りには「友達」と呼べる人形がいつも側にいるのだから。
泥人形、紙人形、ビスクドールにデッサン人形、ぬいぐるみ……中には廃材を無理やり組み合わせて人の形になった人形と呼べるのか怪しい物体も。彼らはソラが発する魔力によって命を宿し、彼女にピッタリ寄り添っていた。
ソラの腹が減れば村のどこからか食べ物を奪い、ソラがいじめられそうになれば彼女を庇っては報復にでて、ソラが新たな友達を求めればその素材を集めてくる――ソラが生まれた村はお世辞にも豊かなところではなかった。戦争の時代はもちろん、戦争が終わった平和の時代になったからこそ農村と都市の間の格差は増すばかり。本来親の無い子供など口減らしのために間引くのが村の習わしなのだが、
「みんなーなにしてあそぶー」
「☆!」「♯!」「♪!」
村人が束になってもソラと、ソラを取り巻く人形たちをどうにかする事はできなかった。彼女の才能は天性の物であり、人形魔術は呼吸と同じ。寝ても起きても人形が動きを止める事はない。よしんば人形を突破できても、危害を加えようとする人間の体の自由を奪っては人形にしてしまうのだから厄介なことこの上なかった。
村人がソラにできる事は彼女を避けることだけ。彼らは「魔術の心得がある」というだけの理由で村の魔女に彼女を押しつけ、徹底的に存在を無視した。
――私にだって何かできる物ですか……。
もちろん魔女もソラの扱いに困っていた。ベテランの魔女といえど、自分よりも強い力を持つ存在を育てるのは不可能だ。老婆はソラが発する魔力に対抗できない。近寄りすぎればたちまち人形にされてしまう。
「きゃはは!」
「……」
衣食住は提供するものの、それ以外老婆はソラに触れない。自分ができるのは彼女の機嫌を損ねないよう、人形遊びの邪魔にならないように、起きている間は部屋の隅で縮こまっていることだけだった。
「あー」
そんな大人たちの配慮などソラにはどうでもいいものだった。自分にどんな事が起きても人形たちが必ず守ってくれる。人形たちがいれば自分は安全。安心して遊びを楽しむ事ができる。
ソラの世界は彼女と人形で満たされ……そして閉じ切っていた。
「あー」
だがそんなソラの生活に一つの転機が訪れる。
「たのもー!!」
扉が勢いよく蹴破られる。
「う?」
「な、何⁉︎」
ぼーっと見つめるソラと普段以上に狼狽する魔女。
「なんじゃしみったれた工房じゃのう。全然儲かっていないぞこりゃ」
頭をかきながら一人の少年が入り込む。少年は勝手知ったる我が家と言わんばかりに屋内へ踏み込むとまっすぐソラに向けて歩み出した。
「おいバーさん、こいつが噂に聞く『災厄の子』か?」
「……え?」
魔女はソラの存在が近隣でも噂になっていることを小耳に挟んでいた。「災厄の子」とは大袈裟な異名だが、実際ソラが散歩に出かけようものなら、そこらにあるものを人形に変え、遊びと称して破壊のかぎりを尽くすのだ。なるほどそれなら名前負けはしていないだろう。
だがそんなことに老婆は驚いていない。
「……あなた様は……一体……」
少年がなぜ年寄りを敬わないのか、なぜ年寄り口調なのか、なぜ一端の魔術師風にボロボロのマントを羽織り杖を携えているのか……疑問はいくらでも浮かぶ。だがそのどれもが一番の疑問に比べればオマケみたいなものだ。
「お、ワシの魔力が見えるのか」
三級魔女にしてはやりおるわい――相手の魔力に引っ張られる形で開眼してしまった魔眼で、魔女は快活に笑い出す少年の姿からは想像できないほどの保有魔力を見た。
それはかつて見た二級魔術師とは比べものにならないほど強大な力。なるほど一級魔術師であれば見た目が全てでは無いのだろう――
「で、質問の続きじゃ。こいつが噂のガキか?」
「!」
老婆は首を縦に何度も振ると「もう関わらないでくれ」とばかりにテーブルの下へと身を屈めた。
「何じゃこの村の連中はとことん不親切じゃのう」
これだからクソ田舎は嫌いだ。そう独りごち少年は真っ直ぐソラへと歩みを進める。
「?」
「……」「……」「……」
少年を不思議そうに見つめるソラと警戒心を剥き出しにする人形たち。
「遊び中のところすまんが邪魔じゃ」
少年は指一つ鳴らした。
「!」
すると、人形たちは糸が切れたように動きを止め、バラバラに分解してしまった。
「!#%&〜!!!!!」
「おい泣くなって……少し人払いをしただけじゃろう……」
どれだけ魔力を発散させても人形たちが起き上がる事はない。泥も紙も陶器も木片もただの物へと還ってしまった。
「んんんんんんんん!!!!!」
快適だった環境がいきなり崩壊したショックてパニックを起こしたソラ。彼女は原因である少年を両腕で叩きながらさらなる混乱に落ちてゆく。
――この人間、これだけ私に近づいているのになんで思い通りにならない……⁉︎
「ああもう落ち着かんか!」
痺れを切らした少年が呪文を唱え出す。
「⁉︎」
するとソラの体は固まり、たちまち自由を失った。
「はーしんど……。これだから子供の相手は勘弁ジャったのに……まぁ、ヤバいくらい才能があるから今までの無礼は不問としよう。ワシはアレイスター。お前の名前は何じゃ」
「???」
「じゃから、名前じゃよ。な・ま・え」
「あーえ?」
「……」
アレイスターの手から、魔女めがけて暗い糸が伸びる。
「ひい……」
拘束された魔女が二人の前まで引き摺り出された。
「おいバーさん、このガキの名前は?」
「……ソラです」
「見たところ六つくらいじゃろ。なぜしゃべれない」
「それは……」
誰も彼女が恐ろしくて言葉など教えられるはずがない。老婆の怯えた顔は無責任にそう語る。
「はぁ……優秀な弟子が欲しいところだったのじゃが、これでは獣ではないか」
まぁいい。アレイスターはそうつぶやくと、今度はソラへ向けて糸を伸ばし、彼女を抱き寄せた。
「?」
「おいバーさん、このガキはワシが貰っていく。村の連中にはかの高名な人形遣いアレイスターが厄介払いを買って出たと言っておけ」
そのままソラを抱いたまま魔術師は工房を出た。
これがソラとアレイスターとの出会いであり、その後七年続く師弟関係の始まりだった。
「だぁー!」
「人前で魔術を使うな。力は肝心な時に使うもの。いくら魔力があっても考えなしに垂れ流せば負けるぞ」
「うゔ―!!!」
「欲しいものがあるならまず言葉で表現しろ。必要な言葉は教えてやるし、お前もワシや周りの人間から言葉を学べ」
「欲しいのに『足りない』って言われた!」
「ああ……そろばんを教えるのを忘れておったな……すまんすまん。おいオヤジ、その針と糸はワシが買う。それとその値段一覧もコイツの勉強道具に買うぞ」
意外にもアレイスターはソラに直接魔術の手ほどきをしなかった。彼が教える事といえば読み書きそろばんコミュニケーション、旅でのお金の使い方に滞在先での稼ぎ方と一見すると魔術に無関係なものばかりであった。
これにはまずソラを一人前の人間にしなければいけないという危機感が先立ってのことだった。獣に力だけを与えても魔獣にしかならない。アレイスターが欲しいのはペットではなく自分の跡を継ぐ次世代の魔術師だ。見境なく魔術を行使する危険な獣など言語道断。アークの理想には思うところがあるものの、アレイスターもまた魔術を扱うものに一定の精神的健全さを求めていた。
そしてもう一つ――
「グマアアアアア!!!」
「これでもくらえ!」
二メートル大の巨大なクマのぬいぐるみをけしかけるソラ。その表情はいかにも自信がタップリといった風だ。
「ほい」
ところが、アレイスターが指先から暗い糸を伸ばし、貫いた瞬間ぬいぐるみはグッタリと力を失う。
「むき〜〜なんで! なんで! 止まっちゃうの!」
したり顔は一転してくしゃくしゃと真っ赤に染まる。くずおれるぬいぐるみを抱きしめると「あんたがだらしないせいだ!」と殴りつけ、泣き腫らし、全身で怒りをぶつけ出した。
ソラの持つ魔術の才能はアレイスターが懇切丁寧に教えずとも開花するものだった。
彼女は出会い頭にアレイスターによって友達を壊されたことを根に持っていた。育ててもらった恩をぼんやり理解しつつも、人形への愛情は別。ソラは旅の中でその恨みを果たすことを忘れていなかった。
道具にぬいぐるみを選んだのも復讐のためである。一体作るのに手間はかかるものの、縫い方一つで強度が上がり、内部にさまざまな魔術式を仕込めるぬいぐるみはアレイスターの糸の力に抗う可能性を秘めている。物理的に縫い上げているので魔術的な作用にも強く、あの日のようにバラバラにならないのもポイントだった。
何よりかわいい。
「お嬢さん。娘にぬいぐるみをプレゼントしたいのだが」
旅先でソラのぬいぐるみはよく売れた。とりわけ街では三級魔術師の人口が多い。彼女の万能ぬいぐるみは上流階級のお友達に選ばれることが多く、いつしか師弟の旅の資金源になっていった。
「ワシへの復讐の道具が金を生み出すまでになるとはのぅ……」
万能ぬいぐるみに使われるソラの縫合魔術は師も目を見張るものだった。針と糸という単純な素材で編み込まれる魔術式の数々、この分野に限っていえば弟子は師を上回っていた。
「『考えなしに魔術を使うな』って師匠が初めて教えてくれた事じゃないですか」
アレイスターを出し抜くには生半可な魔術では足りない――七年も一緒に過ごせばちっぽけな復讐心よりも彼に対して師として、親代わりの大人としての尊敬の念が強まってくる。生活を共にする中で彼がいかに優れた魔術師であるのかは、間近で見てきた彼女自身身を持って理解するところである。
とはいえ、やられっぱなしでは気分が悪い。弟子とはいつか師を越えるもの。当のアレイスターがそれを望んでいるのだから期待の弟子としてソラは長期的な計画で師を越えようと画策を始めたところだった。
ぬいぐるみの収益化もその一つである。もはや彼女の襲撃ですら魔術を見せず、滅多なことでは力を披露しなくなってしまったアレイスター。そんな彼がぬいぐるみ作りに興味を持てば何かボロを出すかもしれない。技術の一端でも見ることができれば盗める。ソラは北風から太陽へと方針を改め、出し抜く機会を待つことにしたのだった。
その最中、ソラにはさらなる転機が訪れた――
「おい見たかあの顔」
「ああとんでもない傷跡だな」
とある街に滞在した時、ソラはその噂を耳にした。
「左頬にどぎつい三本線。まるでドラゴンに掻かれたみたいだぜ」
「!」
その特徴を彼女は知っている。
「その話本当ですか!」
「うわっ!」
相手がたじろぐのも構わずにソラは問い詰め続ける。
左頬に三本線の傷跡。それはソラを二度目に捨てた育ての親。父親として引き取ったにも関わらず村に置き去りにした魔術師の特徴だったのだ。
アレイスターとの生活の中で獣は今や立派な人間に成長した。
しかし彼女は獣性を失ってなどいなかった。人間らしさを得て、世界の広さを知るごとにソラはかつての自分がいた場所がいかに狭く、惨めであるのかを理解してしまった。アレイスターに拾われなければ、自分は獣のまま一生を終えていた可能性だってあった。師への友達を壊された恨みなど、自分を捨てた親たちに比べれば塵に等しい。
「……!」
沸々と湧く恨みの感情に突き動かされるままソラは夢中で噂をたどり始める。師に対する申し訳なさを感じるものの――こればかりは譲れない。
殺してやる! それができないのならせめて一発殴ってやらないと気が済まない!
旅の出納係にまで出世していた彼女はそれなりに路銀を持っていた。それに金に困れば行き先で魔女術を使って日銭を稼げる。その楽観と恨みに導かれソラは先々を進む。
「はぁ……はぁ……」
しかし……憎しみの感情は長くは続かない。噂は所詮噂というべきか、父親の足取りはいきなり途絶え、ソラは気付けば見知らぬ田舎町で立ち尽くしていた。
「……っ――」
路銀も底を突き、一食買うのが精一杯。稼ごうにも町には産業らしいものが見当たらない。こんなところで魔女業を始めても次の旅ができるのに一体何年かかるだろうか。
「……はぁ……」
そういえば、癇癪を起こした時はいつも師匠が止めてくれてたっけ……――当に背は越したものの、アレイスターはソラの前で大人であることに努めていた。時に叱咤を、時に愛情を込めて伸ばされたあの小さな手を彼女は無性に求めていた。今ならセクハラだって許してしまいそうなほどにソラは追い詰められていたのである。
「……」
ソラはダメもとで町役場へ足を向けた。ギルド制度は三百年前に崩壊しているものの、行けば何かしらの求人があるはずと一縷の希望に縋ろうとしたのだ。
「残念ながら、魔女の仕事でしたら既に埋まってまして……」
申し訳なさそうにソラへ向かう役人。
「……」
万策尽きた。空腹と困窮と情けなさで彼女の目の前は真っ暗になろうとしていた――
「ですが……近場の鉱山が人手を募集しておりまして――」
――そこでなら、稼ぎの良い仕事があるはずです。そう言って役人は一枚のチラシをソラへと渡した。
「……?」
それは新進気鋭のマキシム鉱山の案内状だった。町には都合のいいことに鉱山から都市への進路上ということで駅舎が設置されている。一食分の路銀を切符に変えれば一直線でたどり着けるのだ。
「!」
運命は決まった。
一年の内に旅に困らない大量の資金を稼いで、何としても父親を探し出す。
それこそが自分のアイデンティティを確立させるための儀式であり、師への修行を抜け出してしまった事に対する贖罪になると信じて――
「待ってなさい……」
才能は十分。あとは行動あるのみ。
自身の運命を占うべく、ソラは駅へと向かう。
例えどんな障害が立ち塞がろうとも、止まることはあり得ない。握りしめた硬貨はそれだけの重さを秘めているのだから。
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