3―4

 上司との関係がうまくいかない程度で事業が滞るほど、会社という組織は脆くない。社長には社長の、山師には山師の仕事がそれぞれあり、部門ごとの交流がなくとも営業は成立する。

 山師は機械を抱えて鉱石を採掘し、整備士は効率化のための魔道具の整備に励み、事務方は採掘収入と魔道具導入の支出をめぐって帳簿と向き合い、社長は鉱山の代表として事業拡大のために辣腕を振るう。本日もマキシム鉱山はつつがなく営業中である。

「……」

「何じゃ、浮かない顔をしておるのう」

 アレイスターの手がソラの睨んでいた書類をさらう。

「ちょっと師匠!」

「これ帳簿か? うおっ! すげえ額じゃのう」

「返してください!」

 慌てて帳簿を取り返すソラ。胸元にひしと抱き締めると師を射抜くように睨みつける。

「別に減るもんじゃないじゃろう。むしろめちゃくちゃ増えているじゃないか」

 あの日ワシから奪った額よりもな――弟子の視線に対し師は言葉による反撃を繰り出す。

「それは……」

「まぁいいわ。あんな額端金じゃし、『金のことは人形任せにしない』、その教えを守っているだけマシと思おう。じゃがのう、その辛気臭い顔はなんじゃ? 儲けているなら山師のように盛大に笑うのが健全というものじゃぞ」

「……」

 ソラがこの街で仕事をしているのは他でもない金儲けのためである。彼女には師との修行から抜け出してまで叶えたい目的があり、その半ばで路銀が尽きたが故に「今度こそ十分な資金を手に入れる」ためこの半年間一心不乱に働き続けてきた。

 そしてその成果はこの一週間で急激に実ろうとしていた――

「……」

 直近一週間の帳簿には、マキシム鉱山から直々にソラよろず人形店へ「鉱山労働用ぬいぐるみ・リッキー」の大規模発注依頼の前金が記載されていたのだ。

 事の発端は二週間前に遡る。

「おい! おめえら! どうなってんだよ」

「?」

 普段のようにソラたちが工場で魔道具の整備に明け暮れていると一人の山師の怒号が響いた。

「この機械全然動かないぞ!」

 魔道具を両手で持ち上げては怒りをアピールする山師。その様子をソラたち整備士は「やれやれまたか」と冷ややかに見つめていた。

 魔道具の故障、その原因は山師による機械のオーバーワークが九割を占めている。自分で自分の道具を壊しておいて……とんでもない言い草だ――どれだけ山師が怒ろうとも整備士は見飽きており、頭にあるのは増えてしまった面倒ごとをどう処理するかである。

「私が見ます」

 こういう時、ソラは率先して両者の間に入る。山師も少女に向かって怒鳴る気はないし、外部の魔術師という立場は緩衝材になりうるとソラは学んでいた。

「……あれ?」

 目視、魔眼鏡ルーペで簡易点検を済ませたところで違和感を覚えるソラ。おもむろにスイッチを入れて動作を確認するとなるほど動かない。これは山師の言う通り故障には違いないのだが――

「カーネルさん……ちょっと見てもらってもいいですか……」

「え?」

 思わぬ指名に面食らうカーネル。この工場で一番の腕を持つ彼女が自分にダブルチェックを依頼する。その事実の重さに彼は気を引き締めた。

 彼もソラ同様簡易チャックを行い、今度は念を入りに分解点検も行う。

「……」

 そしてカーネルもソラ同様、魔道具の違和感に言葉を失う。

「おい……二人ともどうしたんだよ」

「……壊れてない」

「……は?」

「この魔道具……壊れていないんです」

 マキシム鉱山が誇る二大整備士の意見は「魔道具は少なくとも物理的・魔術的に壊れていない」だった。

 魔道具の破損は主に二つの原因がある。

 一つは構成する部品の破損。機械を構成するギアが砕けたり、アタッチメントが外れたりするオーソドックスなもの。掘削用とただでさえハードな用途に使われる機械であるのに、ここに山師たちの使い方の荒々しさが加わって多くの魔道具がさまざまな壊れ方をしてきた。その蓄積は数ある鉱山でも頭ひとつ抜けている。

 そしてもう一つが機械を構成する魔術式の不備である。マキシム鉱山はことあるごとに新しい魔道具を導入する。その際重要なのは機械が安全に使えるように術式のセットアップを行う事だ。

 専門家が数年単位で考案した魔術式が搭載されているからと言って、魔道具がそれ通りに動くとは限らない。術式の簡易化が進んでいるとはいえ、魔術は本来デリケートなもの。術式の一部を書き間違うだけで思いもよらない魔術を発生させることだって日常茶飯事なのである。そのためマキシム鉱山では機械が導入されるたびに道具が本来の機能を発揮するのかを確認し、ハードの破損に巻き込まれて術式が崩壊しないように機体の調整を行なっているのであった。

 山師が持ってきた魔道具はそれほど新しくもない、操業初期に導入されたオーソドックスな掘削機だった。もはや誰もが目を瞑っても分解整備ができる慣れ親しんだ魔道具である。

 ハード面もソフト面も全く異常が見られない。見られないものの、動かない。整備士たちが代わる代わる診るも結果は同じ。どこも何も壊れてなどいない。

「……どう言うこっちゃ……」

 と、やけくそ気味にスイッチを入れた瞬間――

 ギュイイイイイ!

 唐突に魔道具は息を吹き返した。

「……」

「……」

「……」

 その日は「接触不良か何かだったのだろう」と結論づけることになった。根本的な理由がわからないのは何とも気持ちの悪いものだったが、ドスを利かせた山師、不調などないと主張する整備士たちそれぞれの面子のためには件の現象を「無かった事」にするのが一番良かったのである。

 だがこれはほんの前触れに過ぎなかった――

「ドリルが回らねえ⁉︎」

「はぁ……はぁ……換気設備が止まっている……」

「おい! 灯を消したのはどこのバカだ!」

 鉱山に導入された魔道具が次々に不調を訴え、そしてそのどれもが物理的、魔術的に不調が見られないという事態が発生したのである。

 マキシム鉱山の売りは魔道具によって整備された環境が生み出す最効率の採掘だ。看板に傷が付く事態となれば本社も黙っていない。事態はすでに事務所の整備士たちだけでは手に負えない状況に陥っている。マキシムはすぐさま各メーカー直属のエンジニアを呼び出して事態の収集を図ったのだった。

 しかし――

「……壊れていない……」

「……なぜ動かないんだ……」

 生みの親たちがどれだけ機械と部外秘の設計図を見比べても異常とうとう見られなかったのである。魔鉱石で魔力を与えても機械はうんともすんとも言わない。沈黙を保ったままその場に佇むのみ。

 これは流石に想定外。マキシムは経営者として選択を迫られることになる。

 メーカーに不調を訴えれば機械の交換を請け負ってくれる。鉱山はさまざまなプロトタイプを導入してはその都度運用経験のフィードバックを送っていた。今回の不調もフィードバックの一環としてメーカーに届け出れば機械一式をまっさらな新品と交換できるはずだ。

 一方で、これは一歩間違えれば会社の信用を損なう問題でもある。非魔術師用の魔道具は文化として新しく、いまだに安定した運用実績が確立できていない。どの現場にも整備士が配置されているのは魔道具が不調を起こすことを前提にしているためなのだ。魔道具を運用することは効率化を図ると同時に、他の同業者に最新の道具を運用できるだけの力があることをアピールする効果もあった。

 一度発生した不調がもう一度起こることなんてざら。それにも関わらずメーカーにクレームを入れているばかりで自分達で事態を解決できないとなれば会社の信用はガタ落ちである。とりわけ魔道具という業界は新興の分野であるが故に世間が狭い。マキシム鉱山が不調という噂はメーカーに連絡を入れた時点で世間ライバルに広まったと見ていい。

「この通りだ! 頼む!」

 マキシムは事務所に現れるとソラに向かって頭を下げた。テーブルにはなんと、かつて彼女が提出した鉱山用のぬいぐるみを売りつけるための企画書が、マキシム自身のサインで承認されていた。

「ちょっとマキシムさん……顔を上げてくださいよ! ぬいぐるみなら今までお世話になった分と……ガラテアの分も出しますし、私も鉱山の皆さんのために協力しますだから……」

 ソラは異様にへりくだるマキシムと、企画書に記された鉱山側の希望取引内容を見て混乱していた。

 希望発注数は一〇〇体。それも一体の値段をソラの希望価格の二倍で提示してあったのだ。

――ソラさん一人で一日……いや営業時間換算で八時間に百体以上の人形を直せるっていうなら検討するけど。脳裏によぎるトーノの言葉。彼の警告が現場の本音を示しているとすればマキシムが行おうとしている取引は常軌を逸しているだろう。

 この鉱山でぬいぐるみを直せるのはソラと、時折彼女の元を訪れるアレイスターのみ。ぬいぐるみには例外なく自己再生術式が搭載されているものの……鉱山労働の荒々しさを鑑みると修復機能が追いつかないこともある。魔道具を生かすも殺すも全てはソラ一人に委ねられた状況、鉱山が生み出す経済規模とでは釣り合うはずもない正気を失った選択だ。

「そんなことはわかっている!――」

 わかっているが……――マキシムは頭を抱えながら椅子に座った。

 マキシム鉱山の魔鉱石の質はユウディオ英雄国、いやエクストル大陸で最も高い。例え魔道具による大量採掘を行わなくても、山師たちがツルハシを使って鉱山を細かく削るだけで他の鉱山を上回る売上を出すことができる。加えて。、魔道具への投資・支出も減らせば減産分の収支バランスも元の割合に戻すことができ、原因究明の間は旧来からの方法で採掘を行うのも一つの手である。

「じゃあなんで……」

「これが会社経営の難しいところなのだよ……」

 とはいえ一度減産が始まれば鉱山が不調であることが同業者に対して決定的に明らかになってしまう。どれだけ鉱石の質が良くても、市場へ安定した量を提供できなければ信用に関わるのだ。とりわけ鉱山は廃坑問題と常に隣り合わせにある。「減産=鉱山の寿命」という図式は正確ではない。しかしながら一度でも世間にそう捉えられたら最後イメージの悪化は避けられない。各取引先に見限られたら最後、マキシム鉱山は誤解されたまま採掘ポテンシャルを発揮することなく廃業することもありうる。

「初めは趣味のための資金稼ぎ、副業程度に考えていた鉱山経営だったのだがな……」

 気づけはマキシム鉱山が生み出す利益は本業にしようとしていた魔道具開発事業を飲み込み、影響は国内の経済にまで及ぶまでに成長してしまっていた。彼自身の生活はもちろん、関係各社、事務職社員、山師、鉱山街、あらゆる人々の人生が山へと飲み込まれている。ソラがガラテアに呪われたように、マキシムもまた鉱山街という身に余るほどの金のなる木に磔となり、行動の自由を蝕まれていたのだった。

「……」

 この仕事をソラが断れるはずが無かった。彼女はガラテアのことでマキシムに負い目を感じていたし、もし首を横にふれば……発生する影響はとても一人で抱えられるものではない。マキシム一人が破滅するならともかく――そのようなことソラはもちろん望んでいないが――鉱山が止まればトーノ、ハンス、カーネル、リチャード、山師たち……鉱山に関わるすべての人々の生活が崩壊しかねない。鉱山街はその存続をマキシム鉱山に全き依存している。廃坑になれば鉄道も通らなくなり、立地の悪いこの土地は再び人気のない荒野へと逆戻りするだろう。

 そんな責任を自分一人で背負えるほどに彼女は強く無かった。ソラは仕方なく契約にサインし、その結果彼女があらかじめ用意していたぬいぐるみ五〇体と引き換えに前金が支払われる運びとなったのである。

「……」

 前金だけで一財産。なんだったら今すぐにでも旅に出ることができる額である。大陸全土は難しくとも国内を回る分には十分すぎるほどの金額。精神を強く持たねば気を失いそうだった。

「……さーてと」

 今の彼女の仕事は残り五〇体のぬいぐるみを製作する事。今工場に行ってもなんの仕事も無い。せっかく看板通りの仕事が入ったのだから必死で頑張るだけだ――彼女は帳簿を片付けるとテーブルに向かい、雑念を振り払うようにぬいぐるみへ向かった。

「ワシも手伝うか?」

 工房は忙しなく作業するぬいぐるみたちでひしめきあっていた。リッキーのための布を裁断し、ワタを詰め、縫い上げ、簡易術式を編み込み、仕上げをソラが仕立てるシステマチックな分業体制。仕上げ以外であればアレイスターも出来なくはない。弟子の頑張りに感化されたのか師は手伝いを買って出た。

「いや、自分が請け負った仕事です。これは自分の力でやりたいです」

「ほほぉ……あんだけワガママだったガキがここまで成長するとはな」

「そりゃ私だって成長しますよ。あの日からもう七ヶ月以上経っているんですから」

「ワシの指導よりも、社会に揉まれた方が成長したってのが若干癪じゃがな」

 ソラの人形術は師の元を去ってから錆びる事なく、むしろ向上を続けていた。分業化のおかげもあり、ソラの手の中でモグラのぬいぐるみは命を吹き込まれると次々と動き始める。彼らは働くのが待ち遠しいのか、ポージングを取っては「即戦力です」と見つめるアレイスターに向けてアピールをした。

「暇ならガラテアの、現場の手伝いに行ってもらってもいいですか? 師匠はそんな見た目でも力持ちだし、魔道具の不調も何かわかるかも。今なら機械いじり放題ですよ」

「それは魅力的な提案じゃが……というかあの人形鉱山の方にいるのか?」

 そういえば青い人影がいないと、アレイスターは改めて室内を見渡した。

「だって、元々は盗掘者が掘削用に持ち運んだんですから。皆さんが魔道具を使えない以上現場は猫の手も欲しいんです。ガラテアのパンチすごいですよ。ドリルなんて目じゃない採掘能力です」

「そりゃまぁ、そうなんじゃろうが……」

 修羅場ということもあって工房の中は雑然としている。分業化のおかげでアレイスター一人が動く動線は確保されているが――

「お前、最近ガラテアを避けておるじゃろう」

「……」

「都合が悪くなると周りをぬいぐるみ大好きなもので囲む癖は残っているみたいじゃな」

「……」

 ぷすぷす、と縫い目を合わせる音だけが工房でこだまする。

「魔術師は万能じゃない。人形遣いも然り、じゃ。ワシだってあの人形がお古だと見抜けんかった。その意味では状況証拠からそうだと見抜いたお前こそ、ワシより優れた人形遣いと言えるな」

「……何が言いたいんですか」

 ソラは作業の手を止めた。縫いかけのぬいぐるみは半端に起動してしまったためにテーブルの上で四肢をジタバタもがいている。

「己の実力不足を見つめ続けるのは苦しいな。だが、あの日ワシから人形を奪ったお前は、それすらも乗り越えようと瞳を輝かせておった」

 師はおもむろに弟子へと近づき、自らも針と糸を取った。途中だった縫合魔術をぎこちない動きであるものの、見事に構築しぬいぐるみに命を吹き込んでゆく。

「少し前は人の話なんてろくに聞かなかったのに、今度は周りにがんじがらめ。極端なんじゃよお前は」

 縫ぐりみを下ろすアレイスター。ぬいぐるみは颯爽と群れの中へ入り、ポージング、組体操を繰り広げ、あっという間に溶け込んだ。

「他人に巻き込まれるだけでなく、他人を巻き込むのも重要じゃ。人形魔術の極意は『万物の操術である』。お前にも教えたはずじゃ」

 アレイスターは指先から暗い糸を飛ばすとソラの体に巻きつけた。

「⁉︎」

 操り人形となったソラは師によって立たせられ、テーブルから引き剥がされる。

「よいしょっ、と」

 そして空いた席にはアレイスターが堂々と腰を下ろした。まるで元からこの工房の主であるかのように鼻を鳴らして腕を組む。

「逃げるよりかはぶつかって無様に挫折しろ。何度も人形に向き合えばヒントくらい出てくるじゃろう」

 ガラテアの名前みたいにな――

「⁉︎ なんでそれを!」

 ガラテアの名前、その由来はソラが初めて解読した人形を構成する魔術師の一部であった。その時は暗号として読んでいた古代魔術文字が現代ユウディオ語の文字に似ており、それらを拾って仮称として「ガラテア」と名付けたのだった。

「弟子にできることが師匠にできなくてどうするよ。ほらほら、ぬいぐるみくらいワシが縫ってやる。お前は人形に向き合って来い」

「……師匠、いつになくお節介じゃないですか。いつもは子供みたいにワガママなのに」

「ワシだってちゃんとジジイをやるんだよ。ほら、早く行った。ワシはお前と違ってながらで作業できないんじゃから」

 プスプスと針が部品同士を縫い付ける音がこだまする。アレイスターの手の中で今まさにぬいぐるみが縫い上げられ始めたのだ。

「!」

 ソラは師に向けて無言で頭を下げた。謝意を示し、顔をあげると同時に扉に手をかける。彼女を縛るものはもう無い。師が作ってくれた貴重な時間、その全てを使ってガラテアと向き合うだけだ。

「行ってきます!」

 扉を開けるソラ。鉱山に向けて新たな一歩を踏み出す――

「お嬢ちゃん!」

「⁉︎」

 踏み出そうとしたその時、工房へ山師が飛び込んできた。

「助けてくれ!」

「ちょっ⁉︎ え⁉︎」

 ソラの両肩をすがるように握りしめる山師。すっかり青ざめた表情が状況の凄まじさを物語っているが――

「一体、何が――」

「崩落事故だ……」

「⁉︎」

「みんな埋まっちまったんだよ!」

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