3―2

「ばちあたりなくらい贅沢な悩みじゃのう」

 アレイスターはしらけた表情で吐き捨てる。

「いや……だって……」

「別に何から何まで自力でできると思ったら大間違いじゃぞ。お前が取り寄せた魔導書だって先人たちの知恵の一つ。どんなにオリジナルに見えたって、成立の過程には遺産がふんだんに使われているんじゃから気にする必要はなかろうに……」

 アホくさ――弟子をなじり終えると彼は手元の魔術雑誌へ目線を戻した。

「……」

 悩むくらいなら勉強しろ。師は不肖の弟子にそう言いたいのだろう。思えばアレイスターは分からない事を前にした時「分からん!」と堂々と答え、地道に解決策を探っては答えを導き出していた。持って生まれた才能だけに頼らず、不断の学びの積み重ねが彼を一級という常人では到達できない高みに導いた。ソラにもそれは十分に理解できていたのだが――

「ほらほら〜捕まえちゃいますよ〜」

「わー!」

「お人形さんが追いかけてくるー!」

「……」

 鬼ごっこに興じる子どもたちとガラテア。本日のよろず人形店の仕事は鉱山街の子供たちの世話だった。月に一度行われる街の町内会議に住人は熱心に参加する。紛糾する議論に子どもたちが入り込む余地はなく、そこに商売の匂いを嗅ぎつけたのがソラだった。彼女は子どもたちの相手を買って出て、ついでに遊び相手としてのぬいぐるみの営業をしていたのだ。

「♪」

「%」

「☆」

「……」

 しかしながら、今日の子どもたちはぬいぐるみになど目もくれず、新しいに夢中だった。ぬいぐるみたちはソラのそばでじっと出番を待っている。

「拗ねていたってなんともならんぞ」

「師匠も混ざってきたらどうです。いいお兄さんになれますよ」

「馬鹿野郎。ワシは見た目こそヤングじゃが中身はジジイもいいところじゃ。あんな豆タンクどもに混じってみろ、五秒でへばる自信がある」

 それは堂々と言っていい事なのか? あくまで己が欠点を恥じない師匠をソラは羨望の眼差しで見つめる。

「⁉︎ なんだよ気色悪い……」

「師匠は私を笑いに来たんですか?」

「はぁ⁉︎」

 ――これからお前はこの人形を通して魔術の深淵を覗き込むことになるじゃろう。

 あの夜告げられた言葉を彼女は今もはっきりと覚えている。

 確かにガラテアに関わった事で恐ろしい思いをした。謎解きもまるで前進していない。とはいえ、これらは「深淵」と呼べるほど深刻な事態に思えない。師が弟子を慮って関わりを避けさせようとするにはいささかこけおどしではないだろうか。

 それとも……問題を解決する過程で禁術が必要になるのか? 一級レベルの錬金術師が半年かかる仕事を、あの日ソラは鉱山の力によって一瞬で成し遂げてしまった。ならば次に必要になるのは大賢者でも十年費やすレベルの術式読解力。

 悪魔とでも契約すれば身につくのだろうか――術式の多くは人間が編み出したものであり、どれだけ複雑な暗号もルールさえ理解できれば読み取ることができる。一方で、魔族の中にも術式への理解を示し、独自の魔術式を編み出した者がいると聞く。戦争時代、人間が魔族に対し魔法の分野で対抗できるようになった事を彼らの方も着目したのだろう。伝説では魔王軍の幹部も術式を用いた魔術によって人間を苦しめたそうな。

 だが伝説はあくまで伝説。魔族もとっくに滅び、接触する機会は無きに等しい。仮にも魔術を極めた魔族となればおいそれと人前に出ることはないだろう。相容れない両者が出会えば戦争にしかならない。仲良く手を携えるには三百年前に大きすぎる溝ができていた。

「……」

 ゆえにソラは深淵を「ガラテアの事で生涯悩み続ける事」なのではないかと解釈している。

 この一ヶ月、ガラテアのおかげで実生活はもちろんのこと、仕事の売り上げも大幅に向上していた。見た目が美しく従順。どのような命令も嫌な顔さず愚痴一つ漏らさないとなれば誰もが人形を求める。あるときは子供の世話、あるときは家屋修理の大工仕事、またあるときはマネキン人形と彼女一人が客寄せパンダとなりさまざまな仕事が舞い込んだのだ。

 極め付けは共有財産としての鉱山労働。山師たちはガラテアが採掘した分の歩合を、彼女が人形であるにも関わらず「持っていけ!」と預けていくのだ。ガラテアの所有者マスターは名目上ソラとなっている。ゆえにガラテアは自らの稼ぎをソラへと献上するのだが――

「みなさん、このお金は……もらえませんよ」

「何言ってんでい。ガラテアの稼ぎは嬢ちゃんのもんだろう」

「山師は腕で稼いだ仕事に文句言わねえんだよ」

「一度財布から出した金は受け取れねぇ。お嬢ちゃんもなんだろう。いいから仕舞っときな!」

 正確を記すれば給与は鉱山から発生するものであり、雇われである山師側がどうこう言える事ではない。ここで重要なのは誰もが人形を鉱山街の一員として受け入れられ、その扱いも一人の人間と変わらないものであるということだ。

「……」

 人形遣いとしては人形が人間と同じ扱いを受ける様子を見るのが嬉しい。術者として道具を使う立場だからこそ愛情を持って接したいソラには彼らの態度は非常に好ましいものだ。

「……結局顔なのかなぁ」

 ソラは店を営業したばかりの日々を思い出した。街にはすでに二人魔女がおり、ソラは新規参入した形となる。彼女たち二人の仕事はお世辞にも所謂村の魔女のレベルに届かず、実力で言えば下の下。これならばあっという間に顧客を奪えるだろうと高を括っていた。

「え? お嬢ちゃんが魔女? 冗談でしょ」

「魔女と言えばほら、おばあちゃんがやるものだろう」

 ところが新興の街である鉱山街では魔術師との縁が薄く、魔女は独り身の高齢の女性が田舎でひっそりやるものというステレオタイプのイメージが先行して十四と若いソラに仕事を任せようとしない。

 ソラとて新参者が不利であることは百も承知。とはいえ実力で劣る他の魔女――年齢もそれぞれ二〇代前半と年若い――がろくな仕事もせずに圧倒的な利益を得ていることが納得できない。ソラは市場調査のため、仕事の秘訣を探ったのだが――

「今日もを頼むぜ」

「もちろん。天国に連れて行ってあげる」

「……」

 鉱山街は女日照り。男女比は九対一と圧倒的である。女性の多くは山師の家族か、ソラのように理由があって街にたどり着いた人間だ。

 ゆえに、街では女性のが高く彼女たちの主な収入源は山師たちの相手だった。

 見た目は相手をその気にさせる強い動機になることをソラは学んだ。そして……目の前のガラテアも同じ効果を発揮しているのだ。

 人形にはなんの罪もない。しかし、ガラテアというあまりにも完成度の高い存在を前にすると流石の人形遣いも自信を失う。「人形は術者を写す鏡」。ソラはガラテアの青い体躯がよぎるたびに自分の至らなさを突きつけられるようで堪らないのであった。

「あんなカッコよく出ていったのに、なんで師匠はもどってきたんですぅ? アレですか、師匠も結局顔ですかぁ……」

「いやワシがどこで何しようと勝手じゃろ。それに魔術師はカッコつけてなんぼじゃ」

 パン、と音を立てて雑誌を閉じるとアレイスターは彼女の元へと並び立った。

「あ〜まぁ顔は悪くないが乳がのう、足りん。やっぱりデカくないとな――」

 師の小さな手が弟子へと伸びる。

「ふんっ!」

「げぇっ⁉︎」

 動作に気づいた弟子は師の横っ腹を蹴り上げ引き剥がす。そして落下したところにぬいぐるみたちをけしかけくすぐり出した。

「ちょっ、あっはははおまっつぐふっつ、本気で蹴ったろ! あっは今いっひひひおい!」

 胸元を隠しながら軽蔑の目線を送るソラ。その瞳に一切の温もりは無い。

「ま、っっっはは真面目ふひょおお応えるからやめふぇへははははは」

「何しているの?」

「ケンカ?」

「お兄ちゃんよわ」

 騒ぎに子供たちが寄ってきた。ぬいぐるみたちに一方的にあしらわれるアレイスター。彼がいくら厳しいローブをかぶろうとも、一級魔術師の威厳は見られず子供にすら言われたい放題である。

「ああ、これだから子供はニガテ」

 埃を払いつつアレイスターソラへと向き直った。

「……ワシがこの街……まぁ正確にはこの街の鉱山事務所本社に用があったんじゃが――」

 アレイスターは一枚の紙片を取り出した。

「……マキシム鉱山主催魔道具博覧会?」

「そう」

 紙片は新聞のスクラップであり、そこには鉱山本社で開催される予定の魔道具博覧会の詳細について記されていた。

「お前んところの会社の催しじゃぞ。知らんかったのか?」

「現場の方ではその手の情報来ないですね」

 どのような事業でも現場と事務方が仲良くやるのは難しい。手に職はあれど、荒くれ者であるがゆえに蔑ろにされがちな山師。博学であり数字を自在に操るも、現場との擦り合わせを得意としない本社エリート。本社では山師たちが、現場ではエリート――ハンスの扱いがいい例だ――がそれぞれ洗礼を受ける様子をソラも何度か見かけている。例外はトーノで現場も事務方も両方できる人間は数少ない。

 情報が来なかったということは、おそらくトーノの所長判断で止めていたということだろう。この手の企画を好む整備士は何人かいるだろうが……行った先でトラブルを起こしては目も当てられない。それが外部からの客を呼ぶ企画となればなおさら余計な火種を起こさないほうがいい。

「お前も来んか? 新型の人形がわんさか見られる機会なかなか無いぞ」

「僕も行く!」

「学校でね、みんなで行くの!」

 アレイスターに続くように子供たちも手を挙げた。

 マキシム鉱山街では学校教育にも力を入れているらしく、今でこそ世帯数は少ないものの、人口増加を見越してさまざまな教育設備が整えられている。

 この博覧会も単純に鉱山の実力を自慢するものでは無いのだろう。博覧会のプログラムにはソラも利用した移住制度など、街の一員となるための各種制度紹介や企業の誘致、鉄道網の延長計画など他にもさまざまな催しが仕掛けられていた。やり手のオーナーは博覧会を出汁にさらなるビジネスチャンスを貪欲に求めているようだ。

「行ってもいいけど、お姉ちゃんは仕事かなぁ」

 三日間のスケジュールで行われる博覧会のどれもが工場のシフトに被っており、仮に予定が空いたとしても彼女はガラテアの暗号解読に時間を使うつもりだった。

「新型の魔道具なら工場で毎日触っているし」

 スクラップに写る魔道具の全てをソラは隅から隅まで知っていた。どれも直に解体整備したものであり、殊更新鮮味は感じられなかったのだ。

「なんだかんだ勉強できる環境にいるの、師匠としては誇らしいのう」

「褒めても胸は触らせません」

「やっぱりワシに対して当たり強くない?」

「ガラテア!」

「!」

 アレイスターに向けてガラテアは拳を構えて威嚇する。流石の魔術師もオリハルコンの拳など受けたらひとたまりも無い。両手を上げて降参を示す。

「お兄ちゃんえっちなの?」

「まだおっぱい欲しいの?」

「いいかガキども。人間は、とりわけオスはどれだけデカくなろうとも乳からは逃れられん」

「あなた子供になんてこと吹き込んでいるんですか……」

「うるさい! 真理じゃろうが!」

 これは本格的に折檻か。そういえばソラはガラテアが人間に対して拳を振るったところを見たことが無い。砕くのはもっぱら鉱石であり、酔っぱらいの仲裁でも実力行使せずに器量で解決してきた。

 これは実験になるのか……――もしガラテアが人間を殴れないのであれば、それを確かめるのもマスターの務め。師のだらしない態度を前に弟子の中でよからぬ願望が鎌首をもたげる。

「お嬢ちゃーーーん!!!」

「!」

 ソラたちに向かって山師の一人が駆け出してきた。

「?」

 時刻は午前十一時。まだ集会の真っ最中であり、議論の好きな住人は予定終了時刻の十二時を過ぎても権利のための闘争を繰り広げる。

 そんな彼らであるから議論を放り出すなんてなかなかない。ゆえに彼女は大慌てで駆け出す山師にただならぬ不安を覚えた。

「オットーさん、そんなに慌てて一体何が――」

「お嬢ちゃん聞いてくれ! 大変なんだ」

 肩を上下に振るわせ、呼吸も荒々しい。山師オットーがここまで休まずにきたことは明白だ。ソラはもちろん、アレイスター、ガラテア、子供たち、ぬいぐるみに至るまで彼の言葉をジッと待つ。

「……はぁ……はぁ、いいかいお嬢ちゃん! 今すぐガラテアを隠すんだ。できれば俺たちでも分からない意外な場所に早く!」

「いや、いきなり隠せと言われても……穴掘って埋めるにしても一時間はかかりますよ」

「その辺は魔術でパパッとできないのかい?」

「私の専門は人形で自然系統は少し――」

「ああもうなんでもいい。とにかく二、三日ガラテアを逃すんだ、今すぐにさあ!」

「……」

 恐れ知らずの山師がここまで追い詰められている。ガラテアに迫る危機とは一体なんなのか、一周回ってソラの思考が冷静になる。

「でもガラテアの性質上それは――」

「見つけたぞ!」

「「「⁉︎」」」

 山師に匹敵する大声が辺りに響く。

 声に向くソラたち。彼女たちの前に高級なスーツに身を包んだ恰幅のいい金髪の中年男性が猛烈な勢いで迫り来る。

「やべえ、見つかった!」

「あの人って……まさか!」

 ソラは身に迫る危機とスクラップ写真とを見比べる。

「君がソラさんかね⁉︎」

「……!」

 両肩をがっしりと掴まれるソラ。その迫力に彼女はなすがままうなづく。

「単刀直入に言おう。ガラテア人形を私に譲ってくれ! 金ならいくらでも出す!」

「えぇ……⁉︎」

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