第三章 人形のある生活

3―1

 ポスポスポス、と柔らかい弾力が頭を撫でる。

「……ん……」

 寝ぼけ眼にぼうっと浮かぶふたつの小さな影。

「ああ……ジャッキー……メアリー……」

 ソラは頭部へ手を伸ばすと影たちの頭を撫でた。すると弾力が止まり――

「おはようございます」

「⁉︎」

 硬質な腕によって引っ張り上げられる。

「……」

「? いかがいたしました?」

 閉じた瞼から注がれる暖かな視線。オリハルコンの両手は主人の戸惑いを他所にベッドメイキングを始める。

「マスター、いつまでも横になっていないで起きてください」

「……はい」

 言われるがまま起き上がるソラ。彼女が離れたそばからオリハルコンの腕がテキパキとベッドを整える。

「……」

「#」

「♪」

 ボーッとしている彼女の元へぬいぐるみたちが着替えを携えてきた。

「ありがとうございます」

 ガラテアは小さな先輩たちへ頭を下げるとソラのパジャマを脱がし、着替えさせてゆく。

「これで完璧ですね」

「……」

「☆」

「※」

「はいはい」

 調理担当のぬいぐるみから皿を受け取るガラテア。テーブルの用意を整えると――

「マスター、朝ごはんです」

 どうぞ召し上がれ――ぬいぐるみたちと人形の声が重なる。

「……」

 席に着くソラ。トースト、目玉焼き、ベーコン、サラダ、ミルクとオーソドックスな朝食をお前に「いただきます」と両手を合わせる。

「……」

 味はいつも通り、万能ぬいぐるみに施した通りの出来栄えに彼女は満足していたのだが……――

「♪」

「ミュー様、重いものは私が」

「&」

「ディーノ様! 危なかった……あなたまで洗濯桶に入られては濡れ鼠です」

「!」

「なるほど……隅の埃はこのように。マリー様ありがとうございます」

「……」

 ぬいぐるみと人形は賑やかに家事をこなしてゆく。住み始めて以来雑然としていたソラの工房の中はよく整えられ、その出来栄えに家主が口を挟むまでもない。

 今朝だってソラは目を覚ましただけで全ての準備が終わってしまったのだ。お世話人形によって実現した煩わしさの無いスタート。実現した理想は想像以上に快適だった。

「……はむっ」

 カリッとしたトーストの香ばしい香りが鼻に抜ける。

「……」

「? ソラ様いかがなされました?」

 しかしながら、ガラテアが覗き込む、朝食をつまむソラの表情は渋い。

 一体自分は何をしてしまったのだろう。一ヶ月前、ガラテアとドームを脱出して以来起きてしまった変化に彼女はいまだに追いつけていない。

「……」

 ソラはガラテアの胸部、その奥の魔力炉心に向けて視線を伸ばす。

 ガラテアが自我――正確には万能ぬいぐるみたち同様の術式によって構成された行動パターンの集積――に目覚めたのは炉心に欠けていた箇所が修復されたからだ。

 物理的な力では傷つくことのないオリハルコンだが、魔術的な力は例外の一つ。魔王の強大な魔術に、錬金術師の彫金技術がそれに当たる。

 魔眼鏡ルーペを使わずとも彼女の網膜には人形の炉心、それに刻まれた変化が焼き付いている。

「なんでよりにもよって……」

「?」

 どうしました? マスター――応える人形。その炉心の欠けていたはずの箇所はソラを示す神聖魔術文字で補われていたのだ。

 ガラテアの態度を察するに、あの箇所は人形の所有者を登録するためのものだったのだろう。人形は使えるべき存在を求める。最大のアイデンティティを喪失していたからこそ膨大な魔術式は機能せずにガラテアを腐らせていたのだ。

 それが今ではソラのことを「マスター」と呼び、溌剌と稼働している。

「……ずずっ」

 こうなってしまった原因・過程を解明することは難しい。だが、その一端は間違いなく鉱山脱出が関わっていると見て間違いないだろう。

 あの時ソラは自身とガラテアをつなぐ導線として、彼女の血液が染み込んだ赤い糸を炉心へとくくりつけた。たったそれだけの処理でオリハルコンに変化を与えたとは思い難いが……彼女は生き残るために魔王の魔力に匹敵するほど膨大な鉱山の魔力を受け入れた。それが血液という最高の触媒に変化をもたらし、ガラテアへの命令とともに炉心への変化を促したのではないだろうか――

「ふぅ……ご馳走様」

「お粗末様です」

 あっという間に皿が片付けられ、続いてテーブルには朝の仕事が用意される。

「……」

 あらゆる煩わしさから解放された朝。人形たちの動きに合わせて彼女も負けじと仕事をこなしてゆく。

「……」

「マスター、出勤時間です」

 黙々と作業に打ち込む中で人形の声が響く。時刻は朝八時、なるほど出勤時間だ。

 席を立つと人形が背後に周りリュックサックを背負わせる。ドアを出ればプレートの交換を行い、すれ違う人々への挨拶もそつなくこなす。

「それではマスター、私は鉱山に入ります」

 事務所に到着してようやくガラテアはソラの元を離れる。当初の目的通り、山師たちの共有財産としての労働をこなすのだ。

「ソラさんおはよう」

「トーノさん……おはようございます」

「なんだか疲れているね」

 トーノはチラリとガラテアの背に目を向ける。

「とてつもなく便利な人形って評判だけど、そんなに魔力を消費するの?」

「いや、ガラテアの魔力源は待機中の魔力なので。私の魔力はほとんど使っていませんよ」

 だから大丈夫です、とソラは言うも、トーノを安心させるのは僅かに表情が暗い。

「仕事、やっぱりきつい? あれだったらシフト減らしても――」

「いや! むしろ仕事ならウェルカムというか! もうめっちゃ働きたいです、はい!」

「……」

 一転瞳を輝かせるソラにトーノはポカンと口を開ける。

「あ〜あ……みたいな悩みね」

「あっははは……」

 得心がいったトーノと苦笑いを浮かべるソラ。

 今の彼女に必要なのはガラテアと離れる事であり、ガラテアの存在を意識の外へと追い出す事だった。

 ガラテアのおかげでソラの生活は間違いなく快適になった。綿でできたぬいぐるみたちには出来ない仕事を鉄造りのガラテアが補うことにより、ソラは持てる時間の全てを自分のために使うことができるのだ。魔女業、新型のぬいぐるみの製作、最新の魔道具カタログの読み込み、魔術の勉強、etc……今の彼女は貴族と同じだけの生活の豊かさを持っているに等しい。

 ……納得できねぇ――だがその状況を受け入れられるかどうかは別である。

 身の回りのお世話をしてくれる可愛らしいぬいぐるみに囲まれる生活はソラの理想であった。

 ところが、無類の快適さを押し進めた最後のピースがガラテアという自身の理解を超えた存在であることがどうしても受け入れられないのだ。

 これは「自らの理想はその細部に至るまで己の実力で達成させなくては気が済まない」という魔術師が抱えるである。

「こんにゃろ! こんにゃろ!」

 猛烈な勢いで魔道具整備に励むソラ。

「おいおいお嬢ちゃん……」

「最近のお嬢ちゃん荒ぶっているな……」

 解決していないガラテアの謎に、成り行きで施してしまった己の名前、異物によって実現した理想の生活。なまじ快適なことがかえって彼女の神経を逆撫でる。

 一つ幸運があるとすれば、ガラテアが一日中ソラにべったりでなく、自立して行動できるところ。鉱山労働や宴会のウェイトレス、山師からの仕事・命令にも柔軟に対応し、それはひと時人形から解放されることを示す。

 鬼の居ぬ間に洗濯――とは意味がズレているかもしれない。とにかくソラに必要なのはガラテアから離れ、尚且つ彼女のことを頭から追い出せる程の作業であった。

 幸い工場には毎日セットアップを待つ新型の魔道具に山師たちが壊した修理待ちの魔道具が絶え間なく並ぶ。直せば直すだけ彼女の歩合も増える。それが後押しとなりとりわけこの数日は誰にも追いつけ無いほどの一日あたりの整備台数の記録を更新していた。

「あああああああああああああ!!!!!」

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