2―4

「…………」

 窮屈に強張る体と一面の黒。死後の世界は極楽でなく地獄なのだなと、ソラは重い瞼の隙間から周囲を見回す。

 まぁ……私の場合は地獄行きの方があっているのかも――を耳にしアレイスターの元を飛び出したあの日。師から盗んだ旅費を使い果たし、這う這うの体で辿り着いた鉱山街。そこからの半年間魔道具整備士としてがむしゃらに働いた日々。闇の中で直近の思い出が浮かび上がっては無力感に包まれるソラ。

「ま、人形のためにを捨てたんだからさ……師匠もお墓くらい建ててくれるかな」

 どうせ建てるなら捨てられた故郷ではなく、鉱山街がいい。そんな希望も生者へ届かないと思うと彼女は死という絶対の前に更なる惨めさを覚える。

「……」

 魔術師は魔術という人の身に余る力を得たことと引き換えに転生する機会を失った。これは東方ドミネアの宗教的死生観の一つであり、ユウディオのそれとは異なる。しかしながらソラはその世界観は案外間違いではないと思い始めていた。実際死んでみて広大な闇の中に閉じ込められているのだ。いくら無宗教を自称しても現実がそうなのであれば信じざるを得まい。

「暗いのは……嫌いだなぁ……」

 走馬灯はさらに遡り、アレイスターと出会う前まで映し出す。幼少期から並はずれた魔力を持ったソラ。魔力の過剰発散に伴い、人形たちは彼女を囲み出す。生まれながらに身につけた力は彼女に迫る迫害の手を退けるが……それは同時に彼女へと差し伸べようとする手まで振り払ってしまう――

 違う……違う……! 欲しいのはそんな手じゃない! 私が……本当に欲しいのは――

「……どうして暗いの……」

 走馬灯がトラウマの核心を抉り出そうと迫る。闇に押し潰されそうになったソラ。彼女は今ささやかでもいいから光を求めていた。

「やっぱり死にたくないよぉ……!」

 無駄だと思いながら光の魔術を唱える――

「⁉︎……っ――」

 すると一面の黒は一転、瞳を焼き尽くすほどの青へと輝き出した――

「なに⁉︎ なんなの!??」

 慌てて魔術を解くソラ。瞼の裏にも青色がこびりつき、彼女は瞳を閉じているにもかかわらず完全覚醒を果たした。

 同時に、走馬灯も崩落直前まで引き戻される。

「こんな場所で! 鉱山での魔力放出は厳禁です!」

 脳内に響くハンスの声。

「……!」

 それに天啓を得たソラ。彼女は頭の中で術式だけを思い描き瞳を開き始める。

「……わぁ……」

 坑道の魔力灯よりも純度の高い青の空間。目の前に広がるのは地獄などではなく、鉱山地下に広がる大空洞だったのだ。

「……?」

 瞳を凝らせば青い空間に一点の空白が。どうやらあの小さな隙間こそが自分達を飲み込んだ亀裂なのだなと結論づける。相対距離は今まで接したどの建物よりも高い。山の中にもうひとつ山があるのではとソラは彼我のさに慄いた。

「ふぅ……」

 とりあえず自分は生きている。光が彼女に生きる気力を蘇らせ、思考も前向きに。一息着くと、この空間から脱出するための算段を始める。

「てか、あんなところから落ちてなんで無事なの?」

「!」

「!??」

 唐突にソラの体が揺れる。

「……」

「あ!」

 ガラテア!――振り向いた先には整った青い顔、運命を共にしたガラテア人形の姿が。

「ご無事ですか? マスター」ガラテアはそう尋ねるように首を傾げる。

 落下の際に無意識に操作したのか、それとも偶然そうなったのか……ソラの体はガラテアにお姫様抱っこの形で抱き止められていた。そして二人が佇むその場所はクレーター状にえぐれている。落下の衝撃はオリハルコンの肢体によって受け流され、地面へと放出されたのだろう。

「……」

「……」

 本来であれば死んでいたところをガラテアに助けられた。それだけで人形遣いとしての冥利に尽きるというものだ。人形が、私の意志に応えてくれた!――ソラは今からでもアレイスターに自慢したい気分だった。

 とはいえ……状況が良いとは言い難い。

 ――山に女と魔術師を入れてはならない。

 魔術の実力が未熟だった故に山に取り殺されそうになったハンス。対してソラは一級魔術師であるアレイスターが認めるほどの魔術の才能があり、彼の手解きを受けてきた。今も彼女は鉱山から受ける膨大な魔力を受けつつも、体内のそれと循環・放出を行い状態を維持している。

「……っ――」

 しかしながら、訓練を受けたソラですら押し潰さんとするプレッシャーの前に体外の魔力の均衡を保つので精一杯になっていた。

 マキシム鉱山の魔鉱石の純度は高い。鉱山の地上より上の部分ですら三級魔術師を押し潰してしまうほどの魔力を発しているのだ。利益率国内二位の成績は主に鉱石の純度が担っているとみていいだろう。

 そしてその純度は、彼女が置かれた状況から推測するに地下に行くに従ってより高まるのだろう――

「……」

 ガラテアに命じ、クレーターの上へと降り立つソラ。触れた地面、輝くドーム状の空間、飲み込む空気にすら強壮な魔力が混ざっている。どれほどの量なのかは魔眼鏡ルーペをかけるまでもない。流石の魔術師もこめかみに手を当てた。

「……」

 ソラは試しに光の魔術式を複数パターン思い浮かべてみた。するとドームはそれに応え、彼女の思い描いた通りに光のパレードを投影し始める。

「……っ」

 実験は成功し……同時に、彼女の膝が崩れる――

 とんでもない事になったぞ……――ソラは山師たちのジンクスを「競争相手を一人でも減らすための方便」だと軽視していた。

 確かに鉱山の魔力はハンスのような未熟者では耐えられるものではない。とはいえ、魔術の実力も十全に鍛えた山師であればこのジンクスは意味をなさない。彼女は付き合いで参加した酒盛りで二級程度の実力を持った山師を何人か見ている。魔術師の前で実力の全てを秘匿するからのは難しい。同業者はジンクスなど無視しツルハシ一つ構えてはしれっと稼ぎに参加していた。

「……」

 そんな山師も今のソラと同じ状況に放り込まれれば冷静ではいられまい。自分は何故ジンクスを蔑ろにしてしまったのか後悔しながら鉱山の魔物に押し潰されるだろう。

 ソラの脳裏に魔術師消失事件が浮かび上がる。

 過ぎた力は身を滅ぼす。術式を開示せずとも、脳内で思い描いただけで魔術が実現してしまう。今彼女の体には鉱山が発する無限にも等しい魔力が循環している。その圧倒的な力は彼女の思考ひとつで思いのままに形となる――この圧倒的な力の誘惑に耐えられる者がいるだろうか? ソラは数々の事件の原因が、術者の思いがけない魔力の流入が引き起こした事故などではなく、魔力に取り込まれた魔術師が力に溺れた結果報いではないかと恐怖する。

 一刻も早くこの場所を離れないと……私もおかしくなっちゃう――ソラは生まれたての子鹿のような足取りでガラテアへと戻り、彼女の手を掴む。とにかく落ち着ける場所が欲しい彼女は人形を引っ張りドームの端へ一と一心不乱に駆けていく。

「はぁ……はぁ……はぁ……――」

 ここは本当に山の中なの……――壁面にへたりこみ、呼吸を整えながら彼女はゆっくりと青い空間を眺める。

 山の中にもうひとつ山が収まるであろう大規模な空洞。マトリョーシカめいた構造があるにもかかわらず今までよく崩落事故が起きなかったものだと彼女は自然が生み出した圧倒的なスケールに呆れるばかりだった。

「……」

 試しに壁面を叩くソラ。拳から伝わる高度は荒い岩石よりも精錬した鋼鉄に近い。これは最新の工業魔道具でも悲鳴をあげる硬度だろう。

「……」

 命こそ助かったものの、彼女が置かれている状況が追い詰められたものであることは変わらない。

 ドームの半径はおよそキロ単位。落下の原因となった割れ目は見上げても点にしか見えない。手を伸ばしても、投げ縄を引っ掛けようにも届けることは不可能だ。

「飛行魔術……」

 いやだめだ――ソラは思いついた案をすぐさま頭から消し去った。

 ソラは師からもしものときのために人形魔術以外の魔術も習っていた。それには飛行魔術も含まれており、この術こそ脱出の近道ではある。

「……」

 お前ヘッタクソじゃのう――ソラの脳裏にアレイスターの小馬鹿にした声が浮かぶ。

 飛行魔術はソラの最も苦手とする魔術である。彼女は自身はもちろん、人形を定まった位置に浮かすことも、空中で飛ばすこともできない。一度発動したら最後魔力が尽きるまで一直線に上昇するだけだ。

 今の環境で飛行魔術を使ったら最後――彼女は鉱山の魔力の多大なる後押しにより急上昇、一瞬でドームに到達しその勢いのまま天井へとぶつかり……赤い染みとなるだろう。

 穴にさえはまれば勢いは止まるかもしれない。しかしながら飛行魔術においては普段の手業のように、針の穴に糸を通すごとき制御が利かないのだ。

「……」

 彩度を調整しながら壁面をつぶさに観察し始めるソラ。凹凸はほとんどなく、鏡面のようにとっかかりがない。僅かな突起も掴むには小さ過ぎ、これを手足を使って登るのは不可能に等しい。そもそもキロ単位の行程を手掴みでいくのは人間では不可能だ。

 下手に魔術を使えば何が起こるかわからない。かといって人体の力では脱出不可能な逆境。分析をすればするほど行き詰まりが見えて来る悪循環――

「……だったら!」

 ソラはポケットから黒い鍵を取り出し、

「召喚魔術・影!」

 空に放ると鍵に込められた魔力を解放した。

「――っ‼︎」

 鍵の装飾・宝石が砕けると灰色の光が彼女を照らし出す。そこから暗い色をした魔力の糸が飛び出し、ソラの影へと侵入を始める。

 召喚魔術・影。それはアレイスターが禁術によって身につけた特殊な魔力による魔術。使用者の影をゲートとし、生物以外のあらゆる物体を呼び出す万能の召喚術だ。

 この魔術を十全に発揮するためには当然アレイスター本人の魔力が必要であり、黒い鍵に嵌め込まれていた小粒ほどの魔石では物体をひとつだけしか呼び出せない使い切りの魔術となる。だがこの状況においては使用できる魔術の種類が限定され、外部の魔力による暴走が起こりにくいインスタントな術式こそベストだとソラは確信した。

「シーザー!」

 暗い糸が対象を掴み、彼女の影から引き上げる。

「ぐまああああああああああああ!!!」

 現れたのは全長3メートル、ピンク色の毛皮を纏った特大のクマのぬいぐるみ・シーザーである。

 人形もまた黒い鍵同様外部からの魔力に耐性のある魔道具だ。

 元々魔力を流すことで起動する魔術師の人形には過剰な魔力や、使用者以外の悪意ある存在の影響が及ばないように何十のプロテクトがかけられている。

「ぐまああああああああああああ!!!」

 吼えるシーザー。このぬいぐるみにももちろんソラの縫合魔術によってリミッターが施されている。故に鉱山内の魔力に毒されず、魔力は須く人形の力に変換される。

「やっちゃって!」

「ぐま!」

 シーザーはソラへ敬礼をし――

「ぐまああああああああああああ!!!」

 右手を構えると壁に向かって走り出した。

 シーザーは戦闘に特化した機能を持ち、とりわけ打撃の攻撃力は工業用の魔道具をはるかに超える。素材は綿なれど、施された術式で強化された一撃は鋼鉄をも砕く。

「ぐまああああああああああああ!!!」

 振りかぶり、激突!

 ギィイイイイイイイイン――

「!??」

「グマッ⁇」

「……!」

 拳がぶつかると同時に広がる悲鳴に似た高周波の激突音がドーム中で反響する。青色も狂ったように点滅を繰り返し、ソラの聴覚と視覚を惑わせる。

「うっ……うっぷ――」

 感覚の不調和が隙を生み出し、彼女はプレッシャーに負けるとたまらず吐いた。

「げほっ……うげぇっつ……」

 この際だと割り切り不要な中身を吐き切るソラ。空っぽになったことで意識は強制的に覚醒し落ち着きを取り戻し始める。

「……なんなのよもう……」

 両手で頭を抱えながらシーザーに近づくソラ。先ほどの衝撃でぬいぐるみに異常はないか点検を始める。

「……」

 術式に歪みは見られず、破損も見当たらない。どうやらぬいぐるみを使った戦略自体は悪くないものだったようだ。

 となれば先ほどの不調和は鉱石が持つ性質によるものなのだろう。どういった理屈でこのような現象が発生するのか全く見当がつかないものの、破壊を試みようとするならばこの性質を押さえなくてはいけない。

「……げぇ……」

 壁面を見ると彼女は無いものを吐き出したい気分に襲われた。

 シーザーが当てたはずの箇所には傷ひとつなく、鏡面のごとく彼女の渋い表情を映し出していた。

 先ほどの一撃は手加減なしのぬいぐるみの全力。縫い上げた術式に鉱山のありったけの魔力供給を受けた拳は本来なら勇者の魔法剣ですらへし折る力を持っていた。

 それにも関わらず魔鉱石は泰然と構えている。密度の濃い魔鉱石の硬度はは精錬した鋼を上回るのか。それとも同系統の魔力同士が反発してしまったのか。理由はどうあれ計画が失敗したことに変わりはない。

「あーあ……もう!」

 思わず彼女も拳を叩きつける。もちろん壁面はびくともしない。しかしながら自棄になったソラにはそれしかできない。

 術者が行使する魔術はリスクが大きい。人形魔術はいい線行っていたけど魔鉱石との相性が悪すぎる。だったら……私はどうしたらいいのよ!――

「この! この!」

 何度も、何度も壁を叩くソラ。彼女の一撃は壁を鳴らすことも点滅させることもない。それはひたすらに両拳を痛めるだけの無駄なものに過ぎず――

「…………はぁ」

 虚しさが満ちると彼女は両手を下ろした。

 持てる手段は全て出し尽くした。後に残るはにじり寄る絶望感。

「……」

 ソラはおもむろにシーザーの背部に備え付けられたジッパーを下ろした。

「こうなったら……」

 着ぐるみのように大開きになるぬいぐるみの背中。内部は綿ではなくさまざまな備品がギュウギュウ詰め込まれている。

 召喚魔術・影で呼び出せる物体は基本一回につき一つ。使い切り故に呼び出せるものの範囲が限られているのが弱点だ。

 とはいえ、どんな魔術にも付け入る隙はある。シーザーはサバイバル用に仕立てられたぬいぐるみ。その外装は術者の命令に従って攻撃を行い、内部の収納スペースにはさまざまな物品を収納できる仕様だ。

 ソラはこの内部に一週間分のサバイバル用品を備えていた。これをぬいぐるみに包んでしまえば一個の物品として召喚が可能というわけなのだ。

「とりあえず寝ようかなぁ」

 鉱山からの魔力を遮断するために術式を施したテントを設営し始めるソラ。シーザーの体を少しずつ萎ませながら道具を並べだし――

「あ!」

 ペグを打とうとしたところで作業の手を止める。

「ああ〜……」

 地面ももちろん高硬度魔鉱石でできている。磨かれた鏡面にペグが刺さることは当然無い。

「!」

 彼女は悔しさで手に持つ道具をぶちまけた。自分にはふて寝すら許されないのか。このまま強烈なストレスにさらされた状態では一週間分の備蓄を使い切るまでもなく発狂して終わる。

「ああああああああああ!!!!!」

 理不尽を押し付けられ続ける状況にとうとう魔術師の生命線たる理性が引きちぎれた。

「ああああああああああ!!!!!」

 この際穴なんか開けられなくてもいいい。ペグが刺せるだけの隙間さえあれば――今のソラに必要なのは青い重圧から逃れられる術。テントの設営のために彼女はなりふり構わずドームの空白を求めて這い回る。

「――!」

 あった! ちょうどペグ一本が収まる隙間を見つけ有頂天になるソラ。驚くべきことに隙間は密集しており、テントを設営するのに十分すぎるほどのスペースがあった。

 これで休める――

「――でも……なんで?」

 落ち着きを取り戻すと再び理性が働き始めた。彼女は立ち上がって状況の把握に努めだす。

「……あ!」

 今彼女が立っていたのはガラテアが生み出したクレーターの上だった。人形が落下の衝撃を受け流した爆心地。このエリアだけは荒削りなひび割れが半円状に広がっていたのである。

 ――オリハルコンはな、物理的な衝撃では絶対に壊れる事の無い唯一の物体なのじゃよ。

 ソラの脳裏にアレイスターとの鑑定の修行が浮かび上がった。

「! リッキー!」

「⁉︎ ぐまっ!」

 ソラの命令でぬいぐるみは体内の備蓄を全て吐き出した。そして身軽になるとすぐさま主人の元へと駆けつける。

「脱出……できるかもしれない!」

 背後にぬいぐるみを従えたソラ。彼女の目の前には――

「御用ですか? マスター?」閉じた瞼越しに人形の視線が突き刺さる。

 つま先から毛先の一本に至るまでその全てがオリハルコンでできた人形・ガラテアがある。

 オリハルコンこそは三百年前に勇者が絶対的な敵である魔王を滅ぼした物質。いくら硬度を誇る魔力鉱石だろうと――このクレーターが証拠だ――オリハルコンの一撃には耐えられない。

「リッキー……ごめん!」

 ソラはぬいぐるみに頭を下げ、感謝と謝罪を込めたハグをした。

「ぐま!」

 リッキーも覚悟の敬礼で応え、その身をクレーターへと横たえる。

「……術式再構築!」

 オーバーオールのポケットから裁縫道具を取り出すソラ。彼女はリッキーに迫ると破竹の勢いで解体を始めた。

「この方法なら最小限の接触で――」

 複雑な術式を抜糸してはその全てを防衛の術式へと縫い直してゆくソラ。リッキーは四肢を失うと頭部だけ残し、寝袋のような姿へ様変わりしてゆく。

「よし!」

 続いて後頭部にショルダーハーネスを施し、ガラテアの胸部にくくりつける。

「……」

 魔眼鏡ルーペをかけるソラ。ガラテアの魔力炉心を視認すると関節の隙間から虎の子の赤い糸を滑らせ、ぬいぐるみとの接続を確立させてゆく。

 これならいける!――ソラが見出した打開策。それはシェルターと化したリッキーに入り、これを抱いたガラテアごと飛行魔術で上昇させるというシンプルな方法だった。

 入口を通過するのがベストだが、直上しかできないソラの魔術ではコントロールは期待できない。だがガラテアのオリハルコンの強度とリッキーに施した何重もの防衛魔術で身を守れば衝突で天井の染みになることは避けられる。仮にガラテアが天井に突き刺さったところで再び地面に降りればいい。トライアンドエラーのための魔力ならこの空間にいくらでも満ちている。穴を通らずとも、最低でも五メートル程度接近できれば穴に向けて糸を飛ばし、そこから這い上がることもできる。

「これぞ人形魔術の醍醐味ってね!」

 希望を取り戻したソラ。彼女は瞳を輝かせながら人形たちの最終チェックを始める。変貌したリッキーに再び謝り、解れや強度を確認。ぬいぐるみと赤い糸を使ってのガラテアの稼働。その仕上がりに満足すると――

「!」

 シェルターに入り込み、内部からガラテアの操作を始めた。

「!」

 ガラテアの腕がぬいぐるみの頭部を掴む。閉じた瞳で落下してきた穴を見据えると脚部を落とし――

「飛行魔術!」

「!」

 膨大な魔力がソラに流れ込み、それは糸を通してガラテアへ――

「「!!?」」

 内臓が持ち上がる独特の感覚に襲われるソラ。視覚こそ遮断されているものの、狙い通り上昇を始めた手応えを覚える。

「!!!!!――」

 一方本格的に魔術を行使したことで鉱山の魔力は彼女へととめどなく流れ込んでいる。入り込む魔力をガラテアに供給しているおかげでギリギリ理性を保てているが、身を滅ぼすほどの力の奔流の中で彼女の意識は次第に削れてゆく。

 これは……マズい――

 いくら接続状態といえど、ソラが意識を失えばガラテアは行動できない。天井に突き刺さったところで彼女が気絶してしまえば……覚醒まで突き刺さった状態を維持していれば御の字。仮に寝ている間に落下でもしたら――そうならないための防衛術式ではあるものの――骨の一本、最悪死を覚悟しなくてはいけない。

 死にたくない死にたくない死にたくない!――恐怖と魔力は否応なく彼女にプレッシャーをかける。

 いや……だったら……いっそのこと!――

「ガラテア!」

「!」

「お願い!」

 ソラは体の硬直を解くと一転、その身に鉱山の魔力を抵抗せずに受け入れ始めた。

 堰を切って流れこむ魔力に彼女の意識は霧散する。だがそこに一片の恐怖もなく、ソラは笑みを浮かべて気を失った。

 この空間で目覚めたときガラテアはなぜか彼女をを抱き止め、衝撃から身を守っていた。彼女はその可能性、ガラテアの持つ未知の機能を信じることにしたのだ。

 人形と心中してこそ人形遣い。それは決してマニアックなあ嘲りではなく、人形遣いから人形へ送る最大級の信頼。ソラはガラテアを信じるからこそ膨大な魔力に侵されようとも笑って気絶できたのだ。

「!」

 人形遣いは全てを出し尽くした。ならばあとは人形が応えるだけ。

 ガラテアは真っ直ぐに天井へと向かう。残念ながら座標はソラの目視のせいか大幅にずれている。一〇メートルもズレてしまえば彼女の縫合魔術では穴まで届くことはないだろう。

「!」

 ならばやるべきことは一つ。このままドームを打ち抜き坑道まで出てしまえばいい。

「!!!」

 幸い魔力はソラを通して必要以上に供給されている。この魔力全てを天井にぶつければ貫通も容易い。

「――――――――!」

 ガラテアは衝突のタイミングに合わせて左拳を突き上げた――

 ギィイイイイイイイイン――

 ガラテアの一撃はドーム内部に留まらず、鉱山内部の魔鉱石全てに青い波紋をもたらした。

「……⁉︎ 何だ!??」

 突如として淡く輝き出す坑道に山師たちの作業の手が止まる。

 さらに光の波紋は鉱石を震わせ、

「地震か⁉︎」

 ガラテアの一撃は今や坑道、鉱山全体を揺らしていた。

「総員退避っ!!!」

 そのあまりの激しさにさしもの山師ですら逃げ出してゆく。

「何だ一体⁉︎」

「山が光っているぞ!」

 異常事態は工場からも確認できた。作業員たちは手を止め、表に出ると避難した山師たちと合流する。

「何が起きているんだよ!」

「知らねえよ! いきなり山が光ったと思えば揺れ出したんだよ!」

「おい! あれを見ろ!」

「⁉︎」

 一人の山師の指摘に男たちは向く。

「あれは……」

 鉱山の登頂から一条の青い流星が飛び出す。

 眩いばかりの魔力の奔流、それは夕焼け空には似合わない凶星の如き輝き。

 相次ぐ異常に男たちは立ち尽くすばかり。明星すらかき消す輝きに釘付けになる。

「……おい! あれって!」

 だがしかし、光の中に見慣れたシルエットを認めると俄かに正気を取り戻す。

「お嬢ちゃん!??」

「……!」

 ソラを抱き留めながら上昇するガラテア。防衛術式は鉱山を突き抜けるまでは機能したのだが、光の奔流の中でとうとう燃え尽き彼女を露出させてしまったのだ。

「おい! お嬢ちゃんを助けるぞ!」

「バカ言え! あんな高さから受け止めたら俺たちが死ぬぞ」

「おい……こっちに向かって落ちてくるぞ!」

 蜘蛛の子を散らすように駆け出す山師たち。

「!」

 ガラテアは空いた円の中心に狙いを定めると足を下に急降下を始めた。

「「「‼︎」」」

 ドン! と強烈な一撃が地面を襲う。巻き上がる土埃、吹き荒れる衝撃波。間髪入れない変化に男たちの何人かは腰を抜かしてしまう。

「……」

「……」

「……」

 もうもうと巻き上がる土煙が落ち着く頃には日が沈み、星明かりが彼らを照らす。

「……ソラさんは?」

 山師たちをかき分けトーノが前へ出る。

「……」

「……」

 果たしてソラは無事だった。ドームに落下した時のように、落下の衝撃は全てガラテアのオリハルコンの体が地面へと押し流したのである。

「「「お嬢ちゃん!」」」

 クレーターに向かって山師たちも駆け出す。何が起きたのかはわからない。けれどひとまずは自分達の小さな魔術師を迎え入れよう。彼らは持ち前の度量の広さを発揮し救助を始めたのだった。

「……」

「お嬢ちゃん!」

「今助けるからな!」

 男たちの声にソラの意識が一瞬反応した。

「……助か……った」

「そうですよ、マスター」

「⁉︎」

 耳慣れない女性の声に目が泳ぐソラ。

「……」

 耳を澄ませど聞こえるのは暖かくも野太い声ばかり。先ほどの雲雀のような声の持ち主は一体どこに――

「……まさか――」

「はい、マスター」

 ガラテアの口が開く。

「マスターのおかげで私たちは見事に脱出できました」

 さすがは私のマスターです――彼女の美声はよく通り、それは山師たちも聞く所となる。

「……」「……」「……」

「……」

「……?」

 いきなり動き出した人形に固まる人間たち。そんな彼らを見て「何故?」とガラテアは首をかしげる。

「……」

 ガラテアがどこからどのようにしてやってきたのか、それは結局分からずじまいに終わってしまった。

 その一方で――こちらも原因がわからないものの――ガラテアの機能は見事に復旧し、彼女たちの前で自立・稼働を始めている。

「……」

 ひょっとしたら……自分はとんでもないことをしでかしてしまったんじゃ――ガラテアを鉱山の共有財産として運用できるようにする。当初の目的に絞ればソラはやり遂げたと言えるだろう。

「……マスター?」

 不思議そうにソラを見つめるガラテア。瞼だけは回復しなかったのかその瞳は閉じられたままである。

 とはいえソラは今まで以上に人形の視線を感じている。理由もわからずに動く人形は、例え人形遣いといえど快く受け入れられるものではない。

「……」

「……」

 親愛と困惑、両者の視線は交わる。

 相棒であり恩人であり、そして自身の理解を超えた存在であるガラテア。彼女を前にソラは生まれて初めて人形に対する畏れを感じたのだった。

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