2―3

「……さぁて」

 彼女は改めて現場を見回した。

 本来の予定であれば魔眼鏡ルーペを使ってガラテアの持ち主である魔術師の痕跡を辿るはずだった。

 しかしながら横穴は魔鉱石が発する特濃の魔力で汚染されており、技術屋用の魔眼鏡ルーペでは見分けられなくなっている。彼女はアレイスターから魔眼の修行をつけてもらうべきだったと、修行の途中で抜け出したことを少し後悔した。

「ま、プランBだってきちんと用意しているんだけどね」

 彼女はリュックサックをひっくり返し地面に向けて中身をぶちまけた。

「チーズ!」

「!」「!」「!」「!」「!」

 一角が手のひらサイズの灰色ねずみのぬいぐるみで埋め尽くされる。追跡特化型ぬいぐるみ・チーは記憶させた魔力に向かって一心不乱に行動するようプログラムされている。今回用意したチーは五〇体。彼らにはガラテアの匂いを隅から隅まで記憶させている。これだけ広い横道も数の力で攻略できる。これが彼女のプランBだった。

「さあチーズ! 行動開始!」

「……」「……」「……」「……」「……」

 五〇体のチーたちは主人であるソラの前で整列したままその場を動かない。

「……?」

 彼女のイメージの中では既に各方面へと散り散りになり、どれだけ細かい痕跡も逃さず動き続ける――はずだった。

「あの……ねぇ……何で?」

「……」

 チーの一体が申し訳なさそうに彼女の肩へと飛び乗った。

 身振り手振りでサインを送るチー。これはソラが搭載したサインの一つ「追跡不能」を示すものだ。

「え? だって昨日あれだけ匂いを記録させたんだよ⁉︎」

 チーは魔力はもちろん、体臭といった匂いの要素からも目的を操作できるようになっている。一度記録したものであればこの世の果てだって追いかけ回す。それをコンセプトに縫い上げられた人形だったのだが……――

「本当にわからないの?」

「……」「……」「……」「……」「……」

「本当の本当に?」

「……」「……」「……」「……」「……」

 相変わらず人形は応えない。試しに人形の一体を割って術式を確認するも不備は見当たらない。チーの反応は正常であった。

「……じゃあ、何でもいいからガラテアに近いものを条件に加える。それで追跡してみて」

「!」「!」「!」「!」「!」

 五〇対の瞳が輝く。

 今度こそ大捜査が始まる。彼女はぬいぐるみたちにエンジンがかかる様子を満足げに見下ろし――

「!」「!」「!」「!」「!」

「!!?」

 ――目の前を覆い尽くす黒い波に飲まれた。

「ちょっ……! 何よ!」

「!」「!」「!」「!」「!」

 いきなりチーズに覆われるソラ。彼女は大慌てで停止の指示を出し、鞄の中へとひっこめさせた。

「……もう……一体どういうこと……」

 彼女はチーに、ガラテアの持ち主が自分のような魔術師であれば魔力を、山師たちのように魔力を持たない作業員であれば匂いを辿るように術式を縫い込んでいた。

 そしてそれが正常に作動していたとなれば……ガラテアに触れていた時間が最も長く、魔力も注いでいた人間はソラ自身であるということになる。

「……」

 意気揚々と乗り込んだものの、彼女は自分の魔術に対する自信を無くし始めていた。人形魔術、とりわけぬいぐるみを中心にした縫合術式はアレイスターも認めるところだったのだが……――

「……わっかんね」

 人形たちを指揮して華麗に事件を解決するつもりでいたソラ。その目算は脆くも崩れ去り後にはがらんとした横穴が広がるばかり。

「……」

 ゆっくりと起き上がるソラ。不貞腐れてばかりもいられない。たとえ夢破れようとも時の針は刻一刻と進んでゆく。彼女は限られた時間の中で動かなければいけない。

 こうなったらプランC――ソラは拝借した魔力灯で横穴の中を照らし始める。魔術的な方法で調査ができないのであれば、これはもう地道に足跡でも辿るしかない。彼女は足元を照らし出すと横穴の中をしらみつぶしに回り始める。

「……」

 一時間、二時間と歩き回るが、ソラはそれらしき足跡を見つけられないでいる。

 時折それらしきものを発見したと思えば自身のブーツの靴底であったことはもう何度目だろうか。一定間隔で目印を立てておかなかったら彼女はそれに惑わされてトンネル内を無闇に這いずり回っていただろう。

 整備された坑道と異なり、天然の横穴は塵に塗れている。誰かが訪れたとなれば足跡は確実に残るはずだ。

 にもかかわらず、ブーツや靴、素足といった痕跡もまた横穴には無い。

 いや、仮にも盗掘者であるならば、何らかの方法で自身の痕跡を消していたのかもしれない。世の中には自分の想像を超える魔術や技術があることは彼女も理解するところだ。

 だが一歩踏み出すだけで地面に深々と痕跡を残すほどの重量があるオリハルコンの足形すら見当たらないのは明らかにおかしい。自動操縦が封じられた彼女を操るには二級以下の魔術師であれば直に手を振れる必要がある。人形操作と同時に、いちいち派手に痕跡を残すガラテア、彼女の尻拭いまで随時行うとなればその作業は煩雑になるはずだ。魔術・技術、双方の面から漏れがあって然るべきだろう。

「はぁ〜……ぁ……」

 ところが、魔術調査はもちろん科学調査ですら盗掘者の痕跡は見当たらない。

 また分からない事が分かっただけかぁ……――ソラは半ば放心状態で坑道へ引き返してゆく。

 無駄足だったことは決して無駄なわけではない。魔術は魔力を用いた学問・科学研究の側面を持つ。あらゆる可能性を挙げてはそれらを一つずつ潰してゆくことは科学の常道であり、横穴を調査しなくても良くなったという事実は間違いなく一つの前進なのだ。

 その一方でガラテアにまつわる謎は底なしに深まったと言える。誰がどうやって何の目的であの場所に人形を放棄したのか。それが実地調査を行った上で分からないとなればもはやお手上げだ。

「どうしよっかなぁ〜……」

 トーノが稼いでくれた時間も残りわずか。このままボーッと鉱山に残っていても意味はない。山師たちに見つかれば間違いなくドヤされるだろう。魔術師と非魔術師間の火種を無闇に起こすリスクは避けるべきだろう。

 そう結論づければ行動あるのみ。ソラは足早に道を引き返してゆく。

「ガラテア!」

「……」

「おっと!」

 ソラはつい、ぬいぐるみたちのように人形へ呼びかけてしまった。リッキーにチーズと得意の魔術を行使した癖が残ってしまったのである。

 当然ガラテアは動かない。周囲には表の比にならないほどの魔力が溢れているというのに、炉心の一部分が欠けているというだけでそれは魔力を吸収しないのだ。

「世話が焼けるなぁ……」

 彼女は改めて横穴の入り口で横たわるガラテアの手を取る。

「よいしょ――」

 魔力を込め、彼女を立ち上げようと指示を送り出したその時――

「?」

 鉱山がいきなり揺れ始めた。

 地震自体は珍しいものではない。地盤の硬いユウディオ英雄国も三カ月に一回のペースで地震が発生する。ソラはこの自然現象をそれほど恐れたことはなく、普段通りしばらくやり過ごせるものだとたかを括っていた。

「!?!!!!????!???」

 とはいえ――足元の感覚がいきなり無くなったとなれば話は別だ。

「っ――」

 気づけば地面はぽっかりと割れ、大地の奥底へとソラを飲み込まんとしていた。

「――縫合魔術っ‼︎」

 袖口から大量のワイヤーを飛ばすソラ。ワイヤーは坑道の支柱へと絡まり、落下を防いだかに見えた。

「――⁉︎」

 張り詰めたワイヤーが一本、また一本と引きちぎれてゆく。

 それもそのはず、鋼鉄は人一人を支えるので一杯で、オリハルコンの重量は全くの想定外である。

「……」

「……」

 ソラの右手にぶら下がるガラテア。彼女の存在がソラを深淵へと引き摺り込もうとしている。

「……」

 汗ばむ右手。対照的にオリハルコンの体表に焦りはない。魔力で密着した手のひらはソラの焦りや緊張を受けてなお表面温度を低温に保っている。

 この状況から助かる方法はただ一つ、ガラテアを放棄することだけだ。引き上げるにもワイヤーは続々とちぎれ、ソラ一人登り切ることができるかすら怪しい。一瞬の判断で決めざるを得ない状況、手放すだけで全てが解決する。

「……」

「……」

 元々降ってわいたような存在。たとえガラテアを失おうとも山師たちは日常へと戻れる。彼らは得がしたいだけであり、たかだか人形一体のために一人死んだとなればその方が後味が悪いと考えるはず――そう思うのは買い被りすぎだろうか。ソラの生存本能が美化された山師像を捏造し出す。

「……」

「……っ――」

 肝心な時に限って人形は表情を表さない。それは瞳を閉ざしたままソラへと向き、彼女の決断を待っている。人形はソラが手を離しても嫌味ひとつ表情に出さずに結末を受け入れるだろう。なぜなら人形には元来表情も、感情も、ましてや自由意志も無い。人形のあまねく行動は術者の鏡。人間は彼らの表情に己が願望を映し出すだけ……――

「っはは――」

 ゆえに……ソラはワイヤーを千切れるまま――ガラテアと共に落下することを選んだ。

「はははははははははははは――」

 死ねば全てが終わりだと分かっていても、ソラは人形を選んだことを後悔していない。むしろ誇らしいとさえ思っている。

 御免なさい皆さん、師匠……私――

 クレバスは魔物が口を開けるように広がり、二人を深淵へと引き摺り込む。

 横穴は深淵を残し、揺れが収まると同時に彼女たちの痕跡を消し去った。

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