第8話
文化祭の二日目は、私と雪絵ちゃんの担当する仕事の都合が合わず、一緒に回れそうにない。ちなみに雪絵ちゃんはお化け役で、私は直接驚かすことはない裏方だ。
空いた時間、どーしようかな、と寝転びながら考える。そういえば私、同級生で親友と呼べるのは雪絵ちゃんくらいしかいない。美紀ちゃんはつかず離れずだし、彩佳ちゃんとかほかの子もそれほど親しくない。去年は、仲の良いクラスだった。でもそれどまり。友達というか、友人って感じ。多分向こうも同じこと思ってる。
周りではすでに誰と回るかっていうグループが決まっていて、その中に飛び込む勇気はなかった。
『先輩、文化祭の二日目暇だったら一緒に回らない?』
文を送信し、布団の上にスマホを投げる。ボスっと音を立ててスマホが布団に沈んだ。
文化祭で男子と二人、それってはたから見たら彼氏以外の何物でもない。これまでそういうの意識してこなかった。でも最近否応なしに周りが突き付けてくる。しょうもない。そんなこと考えている自分も。私めんどくさいやつだ。
夏休みが明けるとすぐ文化祭が始まる。
たまに文化祭準備に行くぐらいで、あとは大体引きこもっていた。何をしたか思い出せない夏休みだったけれど、特に後悔や名残惜しさはない。家は割と快適だった。
綺麗な海とか、輝く青春とか、身の程知らずな夢は見ない。旅行の予定があって、それがつぶれたら悲しいけれど、初めからなければ関係ない。
お化け屋敷の準備も順調に進み、何事もなく文化祭がやってきた。
お待たせ、まった?とベタなセリフを言う雪絵ちゃんに、今来たところと返す。
「どこ行こっか。あ、これあげる」
雪絵ちゃんはタピオカが入ったカップを一つくれる。彼女曰く、知り合いが店にいて、一杯サービスしてくれたそう。
「ありがと。もう買ったの?」
「ああいうとこはお昼行列だからね」
そう言うと、雪絵ちゃんは自分の分のタピオカを一口飲む。
「くー、冷てー。生き返るー」
雪絵ちゃんはタピオカを風呂上がりの牛乳みたいな飲み方をする。私は飲むの初めてだけれど、絶対その飲み方は違うと思う。
普通においしい。タピオカまだ解凍できてなくて固いけど。
「咲希のも一口ちょーだい」
「いいよ。てか何味コレ」
「んー、知らね。タピオカくださーいって言ったらくれた」
嵩増しの氷が、ジュースの中で揺れる。雪絵ちゃんのはオレンジだろうか。
「あ、間接キスだね」
また語尾にハートでもつきそうな声で言う。
私は笑って、雪絵ちゃんが一口飲んだタピオカを受け取る。
「そうだ。お化け屋敷行こうぜぇ。うち以外にもう一つあったでしょ。視察だ視察」
「雪絵ちゃんはお化け大丈夫な人?私は怖いのちょっと苦手」
「任せんしゃい。お化けなんてぶっ飛ばしてやる」
「ぶっ飛ばしちゃだめだよ、中身人間なんだから」
「そうやね、じゃあ人間屋敷行くかぁ」
空になったプラスチックを、段ボールで作られたゴミ箱へ捨てる。私たちは日陰の席を立った。日向に出ると、一気に気温が増す。じりじりと刺してくる日が痛い。
お化け屋敷は案の定人気で、教室の外に行列ができていた。私たちは、廊下に並べられた順番待ちの椅子に座る。ちょうど目の前のロッカーに、血まみれの生首もとい、マネキンの頭が置いてあって気味悪い。私たちの後ろの席もあっという間に埋まっていった。私たちのクラスもこれくらい人が来ているだろうか。
順番は思っていたよりすぐ回ってきた。
「雪絵ちゃんの後ろついてかせて。やっぱ怖い」
雪絵ちゃんの袖をつかむ。
びくびく進む私とは反対にずんずん進んでいく雪絵ちゃん。すごいなあ、と思っていたらお化けが横から出てきた。
ギャー、という声。お化けじゃなくて、雪絵ちゃんの悲鳴にびっくりする。歩く姿は勇ましいのに、私以上に怖がっていて、そのギャップがなんだかかわいかった。
二人できゃあきゃあ言いながら進んだ。楽しかった。出口の段差にも悲鳴を上げる雪絵ちゃんを引っ張って、教室から出てきた。
「咲希ー、怖かったー」
雪絵ちゃんは腕にしがみついてくる。出口で手を振って見送ってくれたお化けに笑われた。
教室の入り口付近に並んでいた男の人も、こっちに手を振ってる気がした。
「雪絵ちゃん、あの人知り合い?」
「ねえ、安心したらトイレ行きたくなった。咲希も巻き添えだぁ」
入口と反対方向だけ見ながら、雪絵ちゃんは私の手を引っ張る。後ろで笑い声が聞こえた。
お化け屋敷の階の下は、文化祭の出し物がない。そのため歩いている人はいない。普段使わない教室たちだから、廊下の光は最低限で、お化け屋敷の後だとなおさら怖い。
「……雪絵ちゃん?」
口を結んだまま、私をトイレまで引っ張っていく彼女に問いかける。
トイレの電気が、私たちが入ったことで自動でついた。明るさの落差が怖い。
「あいつ。元カレ」
さっきの手を振っていた人のことだろう。
「……大丈夫?顔色悪いよ」
「……気持ち悪い」
不安になって、彼女の背中にそっと手を置く。震えが伝わってきた。
「確か、前言ったよね。別れたって。はじめは、よかったんだよ。はじめは。だんだん関係がおかしくなってきてさ。いつかのデートでさ、待ち合わせ場所に行ったら、さっきも後ろにいたやつらがいてさ。名前は知らないけど同学年で、元カレと同じ学校のやつら。それからあいつとデートするときはその取り巻きが毎回のようについてきてさ。そいつら、私のからだじろじろ見てきて馴れ馴れしくボディタッチしてくるし気持ち悪かった。助け求めるように元カレのほうみたらさ、あいつ、全部分かってて、分かったうえでニヤニヤしてんの。その日、もう友達は連れてこないでって言った。その頃ぐらいから、なんとなく彼はいい奴じゃないってわかってたんだけど、惚れた弱みかな。信じないようにしてた。そのあとは取り巻きが付いてくることはなかった。けどある日さ、あいつが電話してるの聞いちゃって、多分相手は取り巻きの誰か。ヤれそうとか、胸がどうとか、動画がどうとか。あいつ電話が終わって、私に気が付いて、誤魔化しもせず、開き直ってべたべた触ってくるし。逃げて、ラインブロックして、それっきり。学校違うし、家教えてないからもう会わないと思ってた。さっきあいつ、ニヤニヤニヤニヤ、私のほうに手振っててほんと、もう無理。はじめはほんとに好きだったのに。分からない。なんであんなことができるの。ニヤニヤ笑って……」
言葉を失う。代わりに彼女の背中を撫でる。それしかできない。
「ごめん、ごめんほんと急にこんなこと。楽しかった文化祭台無しにして」
私にできること。人の支え。
手が真っ白になるくらい握りしめる彼女を、私は抱きしめる。
「大丈夫。私が付いてる」
彼女に私は、精いっぱいの笑顔を向ける。
「さきぃ」
嗚咽交じりの声。私は今にも壊れそうな彼女に触れる。頬を拭う。
私は、私が幸せになってほしいと願う人だけでも幸せになれるように、その人の支えになりたい。
辛いとき抱きしめてくれる人がいる喜びは、あたたかさは、よく知っている。
「さんきゅー、咲希。愛してるぅ」
彼女が弱弱しく、私の背中に手を回す。私の体温が、笑顔が彼女の支えになればいい。
「私も」
少し元気になった彼女は、のんびりできるとこ回ろ、と言った。
お化け屋敷から離れ、人が少なかったドラえもんの展示がある教室に行った。
どこでもドアをくぐり、タケコプターで空を飛んだ。出口にあったドラえもん顔出しパネルに顔をはめ、雪絵ちゃんの全く似ていないドラえもんの声まねに笑った。
あまり混んでいなかったたこ焼き屋に並び、二箱買った。喧騒から外れ、日陰のコンクリートに腰掛けそれを食べる。
「笑った笑った。なんか悩みとかふっとんだわ。なにが男子だ。世の中クソだな」
キャベツをシャキシャキさせながら彼女が呟いた。
「青春だねぇ」
ソースのついたパックを輪ゴムで縛りながら彼女が言う。渡り廊下に遮られ、青い空は見えない。生焼けだったたこ焼き。うらやましがられるような、思い通りな日々じゃないけど、私もこれを青春と呼びたい。
翌日、お化けの格好をした雪絵ちゃんに応援の言葉を送り、教室を後にした。今日は先輩と待ち合わせをしている。
文化祭は二日目もすごい賑わいを見せていた。
待ち合わせの渡り廊下。もうすでになんか食べてた先輩。
「もうなんか食べてる……」
「ん?プリンだよ」
見りゃわかるわい。
「食レポしてよ」
私がそう言うと、先輩はプリンを乗せたプラスチックのスプーンをもう一度口に運んだ。
「んー、卵と牛乳のハーモニーが……えっと、おいしいです」
ごり押した。
「なんか今日テンションおかしいね」
そうか?と先輩が問う。そしてもう一口、もう一口プリンを食べる。うまいしか言わなくなってしまった。その様子がおかしくて笑えて来る。
「食レポって難しいんやな。芸人さんすごいわ」
なにか悟ったような声でぽつりと呟いた。
先輩がプリンを食べ終わったので、私たちは歩き出す。文化祭のしおりを開くが、色々ありすぎて迷う。
近くの教室で演劇が始まるとのことで、私たちはそこに向かった。うちの学校の演劇は、大きい教室を使い、何クラスかが順番に劇を披露する方式だ。開始時間がそれぞれ決まっており、見たい人がそこに集まる。同じ劇は一日二、三回やるけれど、見る人の数はかなり多い。
私たちが見た劇は結構めちゃくちゃだった。ジュリエットは男だったし、ロミオも男だった。おそらく一日目と二日目の役者は違う人だと思う。オリジナル展開を入れてくるし、セリフを忘れてアドリブをしだすから何が何だか分からなかった。でもそれが文化祭らしくて楽しかった。
楽しかった。後半は裏方の仕事があって、周れなかったけれど、それはそれで面白かった。あっという間に終わってしまった。
辺りを見回す。窓に張った暗幕や、お化け屋敷の小道具たち。いつもの教室とは思えない光景だ。これを今から片付けなければならないと思うと、少し寂しい。この二日は久しぶりに笑って過ごせた。
校舎の鐘の声が聞こえる。
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