第7話

「ちーす」

 相変わらずな先輩。今は帰り道。

「ういっす」

 ふざけた調子で返し、おどけて敬礼のようなポーズをとる。

最近は週一くらい先輩と帰っている。帰る時間がかぶった時に一緒に帰るだけだから頻度は上下する。

先輩は三年だけれど、ここは中高一貫の学校だから、受験はない。お姉ちゃんもそう。

「久しぶりにたい焼き食いに行かね?」

「……ダ、ダイエット」

「んー、まあチートデーってやつ。無理ばっかりじゃ息がつまるし」

「確かに……たまにはいいかもね」

「んじゃ決まりだな」

 私たちはのんびりと歩き出す。最近少し暑くなってきて、二人とも夏服を着ている。日焼けしたくないという乙女な理由で、腕にそれ防止のアームカバーをつけている。だけれど肌触りが気に入らないし、つけている人が少ないし目立っているようで嫌だ。


「あ、財布持ってきてない」

 たい焼きの目の前まで来て気が付いた。どうせ使わないからと最近持ち歩いていなかった。

「じゃあ奢るよ。たい焼きくらい」

「いいの?」

 先輩は頷く。私は感謝を述べた。

「そういえばいつもお土産に一つお持ち帰りしてたよね」

「あー、うん」

「たい焼き三つお願いします」

 先輩がたい焼き屋のおじさんに告げた。

「たい焼きの一つや二つ奢らせて。そんな気にせんでいいから」

 言葉を濁す私に先輩が言った。

 焼きあがったばかりのたい焼きを二つ受け取る。

「咲希のお姉さんって俺と同学年で、同じ学校なんだよね」

「そうだよ」

 ベンチに座りながら私は答える。

「クラス一緒になったことないし、全く接点ないから顔も曖昧なんだよね。名前ってなんだっけ」

遥華はるか。はるか彼方の遥に、難しいほうの華の字で遥華」

「なんか姉妹って感じする」

「お母さんがつけてくれたらしい。私たちの名前」

 小さいころたまに、名前の由来についてお母さんが話してくれた。

「へえ」

 先輩はたい焼きの尻尾を齧った。

「あのね、お母さん今入院してるんだ」

 なぜ今それを言ったのか、自分でも分からない。

誰かに話したかった。気まずくなるのは分かっている。みんな気まずい話題は嫌いだし、そういう話ばかりしていると、距離を置かれる。

「え、そうなの」

「ずっと眠ったまま目を覚まさなくて、お医者さんには目が覚める確率はほとんどないって言われた」

 先輩が驚いて、息を呑んだのがわかった。

「……大丈夫?」

 先輩が少しして口を開いた。

「お母さんは、目は覚まさないけど容態は変わってないっぽいし、生活もまあ、大丈夫」

 足元を睨む。

「お母さんは、いつから……」

「私が一年だった頃の冬からずっと」

 唇を噛む。

「ごめん。咲希が悩んでるのに気が付かなかった」

「大丈夫。大丈夫、私は」

 唇を噛んで堪えていたのに。色々耐えられなかった。

 嗚咽が漏れる。私、傷ついてたんだ。気が付かなかった。人の心とか空気とかの変化には気が付くのに、自分のことは全く知らなかった。

 たい焼きを包んでいた紙が、手の力でぐしゃっと曲がる。せっかく先輩が奢ってくれたたい焼き、食べてない。


 先輩は何も言わなかった。ただ横に座ってくれている。今はそれが嬉しい。今は、いっぱい泣きたい。



 疲れた。いや、疲れていた。ただいま、という小さな声は奥の暗い所へと吸い込まれていった。手の中で、お土産のたい焼きが入った袋がガサガサ音を立てる。

 玄関には、ニゲラの花が場違いに咲いている。今年はお姉ちゃんと二人で庭に植えた。家の中の、腐った柿のような嫌なにおいを誤魔化すために、私が庭から一輪持ってきた。でも最近は柿の匂いはしない。

 たい焼きを机の上に置いておく。袋の中身は一つだけ。お母さんの分はない。それと、父のも。




「咲希―、ちょっといい?」

 血まみれの包丁を持った美紀ちゃんが話しかけてくる。もちろん作り物だ。文化祭でやるお化け屋敷のやつ。美紀ちゃんが持つとマジに見えてしまうのが怖い。

「ちょ、怖い怖い。その顔と声わざとやってるでしょ。で、なに?」

「んや、そっちの進み具合どうかなって気になっただけー」

「さぼりたいだけじゃ……」

「あ?」

 血まみれの包丁を向けられる。

「殺されるー」

「へっへっへ」

「美紀ちゃんがそれ持って追いかけてくるお化け屋敷とかシャレになんないよ。命の危機を感じる」

「誉め言葉として受け取っとくよ」

 にやにやしながら包丁を振り回し始める美紀ちゃん。

「てかさー、夏休みに学校来んのだるいんだけど。まあ楽しいけどさ」

 そう、もう夏休みに入った。教室には、八人くらい居て、各々文化祭の準備をしている。机は奥に移動してあって、空いた床には色々物が散乱している。夏休みだからその辺結構自由だ。

 どうやら私たち以外のクラスも文化祭準備をしているらしい。ほかのクラスや、外から楽しげな声が聞こえる。

「マジ?お前らお化け屋敷なんだ」

 元クラスメートと現クラスメートが話しながら教室に入ってきた。

 「俺らさあ、誰かがふざけて入れたメイド喫茶に票集まっちゃってよ、男装女装メイド喫茶よ。地獄だわ」

「なんやそれ当日絶対行ったるわ」

「ちくしょー、俺もお化け屋敷がよかったー。めっちゃうらやましい。やーいお前のクラおっばけやーしきー」

「……すべってんぞ」

 むしろ一瞬で教室が静かになって、その沈黙がなぜか面白くてみんな笑いだす。

「ちょっと男子ー、話してないで手伝ってー」

 高めの声で言う男子。

「おめーも男子だろ」

 美紀ちゃんが強めにツッコむ。ついでに包丁を向ける。

「うっわ怖っ」

「え、めっちゃリアルじゃん。お前これ本物じゃねえよな」

 と、元クラスメート。

「お前は私をなんだと思ってんだ」

 美紀ちゃんは律儀に包丁を元の場所に戻し行く。私は幽霊の衣装づくりを再開する。

「よっす、咲希。久しぶり。なに作ってんの?」

 長い教卓に座っていた私の横に、元クラスメートが座ってくる。

「ん?お化けの頭についてる三角のやつ」

「手先きよーだな」

「取れたボタンとか自分で直してるからね」

「すげー、俺なんて針に糸通せねえよ。何か縫おうもんなら指が穴だらけになる」

「そっちのクラスは今何作ってるの?」

「こっち?女子はメイド服作ってる。裁縫得意な奴多いんだよな。んで、俺らは教室の装飾作ってんだけど、メイド服に比べて負担少ないんだよ。そういや聞いてた?俺ら女装させられんだよ。ひでえよなー」

「面白そう。眺める分には」

「当日来てよ。あ、ところで誰と回るか決まってる?一緒に回らん?」

「先客がいるから、ごめね。友達と回るんだ」

「え、誰―?男?」

「男じゃない。雪絵ちゃんだよ」

「あー、お前ら仲良かったもんなー」

「お前うちのクラスでナンパすんな」と美紀ちゃんが割り込んでくる。

「はあ?ナンパじゃねーし。何言ってんだ」

「咲希、将来こういうやつに気をつけろよー。うまく騙されそうだからな。はい、お前は帰った帰った」

 彼はしぶしぶ教室を出て行った。急に教室が静かになる。

「やっぱりナンパなの?あれ」

「多分そーだろ」

 さっきの男子は私を女子だと意識して話していたんだろうか。そう思うと、やけに馴れ馴れしく話しかけてきたのも、さりげなく誘いに来てたのも、一緒に回る人を聞き出そうとしてきたことも、なんだか気持ち悪く思ってしまう。ただ元クラスメートの友人として私は楽しく話していたつもりだったけど、彼は全然違ったのだろう。恋愛とか、それ自体は素晴らしいし良いのだけれど、その裏に見え隠れする何かに気が付いてしまうと嫌になる。身勝手な理想論だということは分かっている。

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