第4話

冬休み明けから一カ月後の二月。

 外はまだまだ寒くて、登下校中のマフラーと手袋は必須だ。寒くてやってられない。下駄箱まで来てしぶしぶ手袋を外す。乾燥した手にそっと、白い息を吹きかける。でもすぐにその熱はどこかへ行ってしまった。

 あれ?と一瞬思った。一瞬後、ああと気が付く。口から白い息が漏れた。

 次に思ったのは、古典的だなってこと。下駄箱に手紙なんて。

 なぜ今日なのだろうと考える。今日はふんどしの日……、いやそれもそうだけど、じゃなくてバレンタインデーか。


 なんとなく予想できたことだけど、雪絵ちゃんは学校にお菓子を持ち込んで説教を食らっていた。なんでも雪絵ちゃんは、担任に義理チョコを渡したらしく、そのまま説教タイム。当然だけれど、うちの中学はお菓子禁止だ。でも先生は鬼じゃないらしく、鞄の上にチョコは大事そうに置いているし、説教の声もどこか優しい。先生として怒る義務があるから、しかたなく形だけ怒っているようだった。



「あの、す、好きです。付き合ってください」

 隣のクラスの子が私に向かって言った。朝の手紙の子。

「いきなりごめん。前から好きでした。優しいところとか、笑顔がかわいいところとか……全部」



「なんでフッたのさー」

 と、美紀ちゃん。教室に戻ってくるなりそう言われた。

「何で知ってるの」

 少しあきれ気味に返す。

「そりゃだってバレンタインデーに校舎裏に女子呼び出してさ、その後一人でとぼとぼ帰ってく男見たら誰でも察するでしょ」

 彼氏と楽しく帰っているだろう雪絵ちゃんの椅子に逆向きに座り、私の机に頬杖つきながら美紀ちゃんは言った。

 私は帰る準備をし始める。

「浮かない顔してるね。それじゃどっちがフラれたか分かんないぞ」

「だって、なんか申し訳なくて」

「あたしだったら申し訳ないとは思わないけどね」

「でもさ……」

「まあそう落ち込みなさんな。にしても咲希、モテるよねー」

「そうなのかな。知らないよ」

「まあいつかいい男が現れるよ」

 私の肩をポンポンと叩いて彼女は教室を出て行った。

 壁にかかった時計を見た。まだ時間に余裕がある。

 なんとなく帰る気になれなくて、学校の図書館方面へ足を向ける。あそこは静かで、でも全くの無音というわけでもなくて落ち着く。

 中はやっぱり独特な香りがする。本の匂い。嫌いな人もいるかもしれないけれど私は好き。カウンターに座っていた名前の知らない先生に、軽く会釈して通り過ぎる。

雪絵ちゃんと勉強した図書館とは比べ物にならないけれど、たくさん本棚があって、その中にもたくさん本が詰まっている。小説、ラノベ、職業や学問に関するもの、漫画も少し。こんなにもたくさんの本があるのに、図書館では大半がほとんど目に留まらないまま終わる。少しもったいない。

 丸窓のそばの椅子に座る。

 一つ、手に取る。水色が多くの面積を占める表紙には、高校生くらいの男女が描いてある。最近増えてきた、ザ、青春ってやつ。

 少しの間だけ、心が晴れる気がする。ストーリーは心が透き通るようで、直視しずらいほどに光を放っている。私の歩めなかった人生。

 小説の主人公とヒロインの関係は美しくて……。とても、恋だとか恋愛が素晴らしく思える。

 でも、恋や愛が美しいのはフィクションだけ。十分知ってる。



「せーんぱいっ」

 小走りで近づき、前を歩いていた先輩の肩をぺしっと叩く。

 春になって、私たちは一個上の学年になった。

「先輩行くのちょっと早いよ」

 別に待ち合わせも、一緒に帰る約束もしていないのだから早いも何もないのだけれど。

「ごめんごめん」

 先輩が笑って言った。

 よく晴れた、桜降るいい日だった。桜の花びらが道の上に積もる。咲いている姿も、散る姿さえも綺麗で、落ちてきた花びらも汚したくない。アスファルトの黒い部分だけを軽い足取りで進んだ。今日は心地よい暖かさで自然とテンションが上がる。

「綺麗だねー」

「だなー」

 私たちは笑う。

 暖かい。嫌なこと何もかも忘れられて、周りなんて気にせず、ただ友達とはしゃぐ。青春だと思う。

「咲希の担任誰やった?」

「なんかね、眼鏡かけた女の人で、優しそう先生。新しく入ってきた人」

「あー、あの人か。前に立ってあいさつしてたな」

「そうそう。怖そうな先生じゃなくてひとまず安心。先輩の担任は?」

「福岡先生。ヤバい」

 福岡先生と言えば、体育の先生でよく怒鳴る人。

「ヤバいねそれは」

「これから一年、毎日福岡先生と顔合わせるんだよ。寿命が縮む」

「がんばれー」

 青になって、横断歩道を渡る。

「他人事だなー。あ、そうだ。今日たい焼き食べ行く?」

「あー、この頃ね。ちょっと太ってしまいましてですね」

 おなかをふにふに触りながら先輩に言う。

「太ったって嘆く体系か?咲希はやせすぎだと思うけど、ちゃんとご飯食べてる?」

「ちゃんと食べてるよー」



 私たちの担任になった山内先生は良く言えば、面倒見のいい人だった。

「咲希さん、今日の放課後職員室に来てください」

 五月半ば。山内先生に言われた。私何かしでかしたっけ。それとも……。

 あまり怒る人ではなかったけれど、少し不安だった。


 私が職員室へ行くと、山内先生はパソコンを閉じて、私のほうへ体を向けた。

「再来週の保護者面談のことなんだけれど」

 ああ、両親のことか。

「お母さんが病気で入院中だと聞きました」

「はい」

「それで、お父さんのことな……」

「父は来ません」

 言葉を遮る。

「でも、懇談は……」

「無しじゃだめですか」

「そういう訳にも」

「……」

「あの、率直に聞きます。学校に提出してもらった住所や保護者の連絡先が書いてある書類に目を通させてもらったんですが、お父さん今仕事に就いていないんですよね。現在の咲希さん家庭状況が知りたいです。ちゃんと暮らせているんですか?先生は心配なんですよ」

 担任は、悪く言えば、ウザいほどに世話を焼きたがる人だった。

「何も、問題ありません。ご飯だって三食食べていますし、今のところ不自由はないです」

 職員室だから当然、他の先生がいる。生徒がいる。

 帰ってしまいたかった。教師という立場なら、何でも聞いていいのか。ずけずけと、踏みつぶしていいのか。

「でも心配なんです。本当に大丈夫なんですか?何か困っていることがあるなら先生力になります」

 困っていると告げたとして、それを何とかできますか。人の支えって、そんなに簡単になれるものじゃない。

「待ってください!」

 背を向けて出ていこうとする私の腕を、担任は掴んだ。

「……痛いです」

 本当に。

「っ……すみません」

 しぶしぶ手を離した。長袖の制服に皺ができた。

「もし、おうちの人が来られないなら、懇談の時間は咲希さんに来てもらいます。一番初めの時間にしておきますから、来てください」

 返事はしなかった。


 まだ異様に明るい外の光が差し込む廊下。窓ガラスに映った私の横顔が、なんだか怖く見えてはっとする。頬の緊張を動かす。

 人がいるせいか、教室は外より暖かい。

「あ、咲希帰ってきたー。なにしてたのー」

 今年も同じクラスになった雪絵ちゃんだ。

「ん、別にー。先生のお手伝いしてただけ」

 私は笑う。

「真面目かよー」

「へっへっへ、私は真面目なのだよ」

 また笑って言った。

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