第3話

「あぁぁぁぁやっとテスト終わったぁぁ」

 疲れたよーんと抱きついてくるのはやっぱり雪絵ちゃん。

「雪絵ちゃん、重いよ」

「乙女に重いっていうなー。いいじゃんちょっとくらい」

「はいはい、お疲れさん」

 抱きつかれたまま、手を伸ばして彼女の頭をぽんぽん撫でてあげる。

「相変わらず髪サラサラ。うらやましい」

 彼女の長い髪をわしゃわしゃした。

「えへへー、ありがとー。咲希もサラサラだよう。てか咲希ってこれ地毛?」

 まだ抱きついたままの彼女は、私の茶色っぽい髪を一房つまむ。

「うん、地毛。お母さん譲りなんだ」

「へー、そうなんだ。綺麗」

 雪絵ちゃんはちらりと時計に目をやる。

「あ、もう帰んないと」

 ようやく私から離れ、雪絵ちゃんはにこにこしながら机の中身を鞄に入れ始める。

「なにかいいことあった?」

「んー、ナイショ」

 人差し指を唇に当て、彼女はいたずらっぽく微笑む。

「ふーん、彼氏か」

「なぜバレたし。そーだよ彼氏だよ。帰りの電車同じなんだー」

「楽しんできてねー」

「うん。楽しんでくるー」

 すたこらさっさと教室を出ていく彼女に手を振る。無意識に自分の髪に触れていた手を戻した。


 ローファーに足を入れる。買って一年足らずの靴はまだ少し大きく、走ると脱げてしまいそうだ。早く大きくなりたい。

「あ、先輩」

 一個向こうの下駄箱から靴を履きながら出てきた友人に声をかける。

「よう、今帰り?」

「うん、一緒に帰ろー」

 砕けた口調で話す。先輩とは、中学一年の半ば頃に話すようになった。何がきっかけだとかはあまり覚えていないけれど、特段ドラマみたいな出会いがあったわけではないし、あまり関係ないと思う。多分、友人ってそういうものだ。始まりは、話していたらなんとなく波長が合ったり、ふざけあうのが楽しかったり。

 一緒にいることに、大きすぎる気づかいだとか、自分を演じるとか、駆け引きだとか、あとはしょうもない下心とか、そんなものはいらないのが友人というものだと勝手に思っている。

「そういえば久しぶり。今年初めて会った。あけおめ」

「あ、そうだね。あけおめ。学年違うとまあ機会ないよね。先輩と同じ学年がよかったなー。先輩留年して」

「やだよ留年は」

 先輩が笑う。

「冗談だよ」

 私も笑っていった。

「今日もたい焼きたべにいく?」

「あー、うん。そうしよっかな」

 駅を通り過ぎ、店が立ち並ぶ通りの端に、おじさん一人で経営するたい焼き屋がある。厨房に二人も入れないような小さな店だ。帰り道のそばにあるし、最後の方にはくどくなってくるクリームましましのなんかより、ずっとおいしいしリーズナブルだ。

 十五分も歩けば目的地。おしゃれな店やら、ギラギラ光っている店に押しのけられてひっそり建っている。この知る人ぞ知る名店、みたいな雰囲気好きだ。

「たい焼き二つ……あとお持ち帰り一つお願いします」

 冬なのに半袖Tシャツで頭にタオルを巻いたおじさんに告げる。たい焼きの鉄板のせいで暑いのかもしれない。

「お持ち帰りすんの?」

「うん、お姉ちゃんにね」

 型に黄色の液体が流し込まれ、ジュウといい音がして、甘い香りが鼻をくすぐった。

「あ、お姉ちゃんいたんだ」

「うん。しっかり者の優しいお姉ちゃんなんだ」

 一つ一つ別の型で丁寧に焼き上げるたい焼きを天然ものというらしい。このまえおじさんがボソッと教えてくれた。

「お待ちどう」

 ありがとうございますと言い、たい焼きを受け取る。一つを先輩に渡し、店の横のベンチに移動する。出来立てほやほやのたい焼きからは湯気が立ち上っている。私は巻いていたマフラーを緩めた。

 頭からかぶりつくと、中から熱いあんこが飛び出してくる。はふはふしながら味わうのがやはりいい。

「先輩尻尾から派なんだね」

「ん?ああ気にしたことなかったな。確かに尻尾から食べることのほうが多いかも」

 もう一口かじる。たい焼きを持つ手と、おなかが暖かくなる。スカートから伸びた足が風に吹かれて寒いけれど大丈夫、耐えられる。

 少しの間無言でたい焼きに頬張った。

 たい焼きが入っていた紙袋を折りたたんで捨てた。

 それじゃあ。うん、またいつか。そう言いあって先輩と別れた。



「ただいまー。お土産あげる」

 洗面所で手を洗っていたお姉ちゃんに笑って言う。たい焼きが一個だけ入った白い紙袋を渡した。

「あ、あそこのたい焼き。懐かしい……」

 紙袋を開く前に、お姉ちゃんは中身を言い当てた。

「まだちょっとあったかいと思うから早めにね」

「うん。ありがと、咲希」

 お姉ちゃんはお母さんのように笑う。

 私も笑い返す。

「どういたしまして」



 休み時間、クラスメートの美紀ちゃんが私の机の前に来た。

「咲希ぃ、昨日のあれ彼氏?」

 私の机に手を置くなり彼女はそう言った。なんとなく周りの視線を感じた。

「昨日?」

「そう、昨日の帰り道。男と帰ってなかった?」

「あー、うん。彼氏じゃないよ。友達」

 美紀ちゃんは派手だ。髪の毛は私と同じような色だけど彼女は染めているし、スカートも短め。でも不真面目というわけでもなくて、根は真面目ないい子だ。

「あ、そうなん。彼氏じゃないんか。咲希に彼氏できたんかと思ってびっくりしたのに」

「大げさだよ」

 中学に入って半年も経たない頃だっただろうか。そこそこクラス全体が仲良くなり始めたとき。必然と言うべきか女子何人かで話しているとき、クラスメートのどの男子がかっこいいかという話題になって、恋バナが始まった。

 誰を好きとか誰が嫌いだとか、そういうことを考えたことなかった私は、好きな人がいるかという問いに首を横に振った。空気が盛り下がったのを感じた。嘘でもいると言っておいたほうがよかったと後で後悔した。それからクラスの女子たちと仲が悪くなることはなかったが、恋バナは私がいない所で行われていることを知っている。それは別にどうでもいいのだけれど。

「好きな男できたら教えてねー」

 彼女はそう言って自分の席に戻った。

 うん、とだけ私は返事を返した。

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