第7話 キーとミー
あーさんの独白に空気が静まり返る。
ワーさんの身体を形成する淡い光が弱々しく点滅する。
長老は、尻尾を垂らし、力なくあーさんを見る。
ミーも痛む身体を起こしてあーさんを見た。
あーさんは、恐怖とそして僅かな喜びの混ざった表情でワーさんを見ていた。
「ねえ、貴方。私はどうしたらいいの?そっちに逝けばいい?それとも約束を破り続けた私のことなんてもうどうでもいい?一人で死んで一人で彷徨った方がいい?」
あーさんの言葉にワーさんは、何も言えずに唇を戦慄かせる。
ワーさんは、そんなことは言っていない。今日まであーさんのことを思い出せずに、動けずに、ずっと二つ目池公園の慰霊碑の上を彷徨っていたのだ。
あーさんに会いたい、それだけを思って。
それなのにあーさんは、ずっと自分の幻影に怯え、苦しんでいたのだ。
その原因を作ったのは自分、側にいれなかった自分、答えられなかった自分、死んでしまった自分のせい。
ワーさんの身体が黒くなる。
夜よりも暗く、深く染まっていく。
まずいにゃ!
ミーは、あーさんの腕から飛び出ようとしたが、身体に力が入らず動けない。
ミーは、長老を見た。
長老も動けずにいた。
怯えているのではない。
戸惑っているのだ。
あーさんの抱えている重さを知り、そのことで深く傷を負ったワーさんを知り、それを知った上で払っても良いのかを。
『あけ・・・み・・ごめん』
黒く染まった相貌から涙が溢れる。
泥水のような切ない涙。
『オレのせいで・・・オレが死んだから』
ワーさんは、手を伸ばす。
その手の先、指の先から触手が伸びる。
糸玉から伸びるように弛みながら触手は、あーさんの頬に触れる。
あーさんの身体がびくりっと震える。
いけない!
ミーは、震える身体を振り起こし、かぎ尻尾で触手を払う。
しかし、触手は限りなく伸びてあーさんの身体を捉えようとする。その動きは優しく抱きしめようとするように見える。
しかし、触れされる訳にはいかないにゃ!
「長老!」
ミーが怒鳴って呼ぶと、ようやく我に返った長老が今の状況に気付き、慌てて参戦する。
しかし、二匹がかりでも無限に来る触手を払うのには限度がある。
なんとかワーさんに近づいて払わないと。
でも・・・。
ミーの頭の中に絶望に嘆くワーさんの顔が過ぎる。
恐らく長老もなのだろう、苦悩の表情を浮かべている。
座り込むあーさんの足元でたまちゃんとクロちゃんが服の裾を噛んで引っ張ろうとしている。ミーに触れていないからワーさんのことはもう見えていないはず。でも、頭のいい二匹は、異変に気づいてあーさんを助けようとしているのだ。
しかし、当のあーさんは動かない。
醜く変貌したワーさんをじっと見つめていた。
その目に浮かんでいるのは悲しみと受容。
あーやっぱり貴方は私を恨んでいたのね。
そんな匂いがあーさんから漏れる。
違うにゃ!ワーさんはそんなこと思ってないにゃ!
ワーさんは、ずっとあーさんに会いたかっただけにゃ!
どうしたらいいにゃ!
どうしたらワーさんの気持ちは届くにゃ⁉︎
かぎ尻尾に力が入らなくなり、振り回せなくなる。触手がミーの前を通り過ぎていく。長老を見ると体力の限界を迎えており、こちらにまで尻尾をまわせない。
黒い触手があーさんの頬を撫でようとする。
あーさんは、目を閉じてそれを受け入れる。
だめにゃー!
「ダメだよ」
優しい声が鈴の音のように響いた。
「大きいばーちゃんをいじめちゃダメ」
いつの間にかキーがワーさんの横に立って着物の裾を掴んでいた。
「キーちゃん?」
あーさんは、ここにいるはずのない存在に驚き、小さく呟く。
ワーさんは、キーを見下ろす。
その双眸は、邪魔をされたことに怒り、赤黒く燃えていた。
あぶにゃい!
ミーは、キーに駆け寄ろうと身体を持ち上げるが、力が入らず足を踏み出すことが出来なかった。
長老も動けず、たまちゃん、クロちゃんに至っては何が起きているのかも分かっていない。
しかし、キーは、吸い込まれるような純粋な目でワーさんを見上げていた。その目に怯えも恐れはない。あるのはどこまでも広く温かな無垢な優しさ。
産まれたばかりのキーがミーに向けた笑顔と同じ温かい、太陽のような優しさ。
「先生が言ってたよ。叩いても、殴っても何も気持ちは伝わらないって。人は言葉があるんだから言葉で気持ちを伝えなさいって。気持ちの詰まった言葉はどんなに拙くても伝わるって」
キーの言葉にワーさんの表情に動揺が走る。
変化が起きた。
キーが掴む着物の周りから土塊が崩れるように黒色が剥げていき、元の淡い光が浮き出てくる。
それをきっかけに触手が消え、黒色は、どんどん剥げていき、足が、手が、胴体が戻っていく。
「大きいばーちゃんのことが好きなんだよね?だったらちゃんと言おう」
そういってキーは、あーさんの方を向く。
「だって大きいばーちゃんもきっと好きだから」
あーさんは、大きく目を見開く。
ワーさんの顔を覆っていた黒色が割れた。
涙がとめどなく溢れている。
キーは、にっこり微笑む。
『・・・ありがとう』
ワーさんは、はにかむように口元に笑みを浮かべ、キーの頭を撫でる。
触れているのにキーに変化はない。むしろ温かな風がゆったりと流れる。
キーは、嬉しそうに笑う。
そして目をしょぼしょぼさせて擦ると、そのまま座り込んで寝てしまった。
ワーさんは、あーさんに向き直り、優しい笑みを浮かべる。
「明美・・・」
あーさんは、びくっと身体を震わせる。
ワーさんは、ゆっくりと近づく。
その温かな雰囲気に敵意はない。むしろ安らぎを与えられ、ミーも長老も動かず、じっと近づいてくるワーさんを見つめた。
あーさんからも震えが消えた。何かを待っているような、恋焦がれるような眼差しをワーさんに送っていた。
ワーさんは、逞しい腕を伸ばし、あーさんを優しく抱きしめた。
『・・・会いたかった』
温かい。花のような、樹木のような心から安らげる匂い。
覚えている。思い出した。
これは間違いなく貴方の匂い。
あーさんも細い腕を伸ばして、ワーさんを抱きしめる。
「私も・・・会いたかった」
あーさんは、涙を流し、目を閉じる。
あーさんの姿が写真に写っていた若かりし頃の姿に戻ったようにミーには見えた。いや、ミーだけでなく、長老にも、たまちゃん、クロちゃんにもそう見えているように感じた。じっと二人を見ている。
『オレが早く死んでしまったが為に苦労をかけたな』
「そんなことないよ。あれから娘が、貴方の子どもが生まれて幸せだった。あの子を見てるとね。貴方が生きているように感じたの。一緒にいるように感じたの」
『娘か。会いたかったな』
ワーさんは、あーさんのこめかみに顔を埋める。
「会えるよ」
あーさんもぎゅっとワーさんの胸に顔を埋める。
「ずっと貴方が私を恨んでいると思った。約束を破り続けている私を恨んでいると思った」
『恨む訳ないだろ。オレがそんな奴じゃないことはお前が一番良く知ってるはずだろ?』
「そうだね。なんで私、忘れてたのかな?こんなに好きだったのに。誰よりも貴方のことを知っていると思ってたのに」
『それだけ長い年月が過ぎたのさ』
こめかみから顔を話し、ワーさんは微笑む。
「そうね」
あーさんもゆっくり微笑む。
「会えて嬉しかった・・・」
『オレもだ』
二人は、再び抱きしめ合う。
優しく、強く、お互いの温もりを忘れないように。
「私、生きてていいの?」
『当たり前だろ。オレの願いは明美が幸せに生きること。それだけだ』
「寂しくない?」
『今日会えた。また、すぐ会えるさ』
「そうね。直ぐにお迎えきちゃうわね」
そう言って二人で笑った。
そして二人で見つめ合う。
暖かい、甘い、愛しい眼差しで。
『ゆっくりおいで。気長に待ってるから』
「待っててね。必ず会いにいくから」
二人は、笑う。
お互いを慈しむように。
ワーさんは、あーさんから離れると、ゆっくりと庭の真ん中に向かって歩く。
そしてこちらを向くと柔らかく微笑む。
月の光が優しくワーさんを包む。
『ミー頼む』
名前を呼ばれ、ミーは痛む身体を起こそうとすると、長老がそれを制する。
「私がやるよ。あんたが離れたらあーさんが見えなくなる」
そう言ってワーさんに近寄る。
長老は、ワーさんを目を細めてじっと見上げる。
「悪かったね」
『構わないさ。君たちのお陰で明美に会えた』
ワーさんは、月の明かりのようにゆっくり微笑む。
『明美のこと、頼んだぞ』
長老は、無言で頷いた。
当たり前のこと言うなとばかりに。
そして、顔を上げて、あーさんを見つめ、にっこりと微笑む。
『じゃあ、また』
あーさんもにっこりと微笑む。
「またね」
長老は、ゆっくりとかぎ尻尾をわーさんに当てた。
ワーさんの身体は、淡く強い光を放ち、星屑のように崩れていた。
『ありがとう』
ワーさんは、消え去った。
まるで月に帰っていったかのようなその光景にあーさんは、じっと月を見つめた。
「また、会いましょうね」
あーさんは、涙に濡れた顔を見てくしゃくしゃにして、嬉しそうに微笑んだ。
ミーは、この光景を一勝忘れないと思った。
キーは、草の上て身体を丸めてゆっくりと眠っていた。
つづく
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