第5話 ヘラクレスオオカブト

キーは、寝るのが早い。

 小学一年生という年齢を考慮しても二十時半には布団に入って、二十一時には寝てしまう。それも深く。一度寝たら中々起きない。その変わりに朝も早いので、この前の二つ目池公園事件のようなことが起きるのだが・・・。

 それなら比例するように両親は寝るのが遅い。

 キーが寝たのを見計らって夫婦の語らいをする。

 最近は、キーも一人で寝られるようになったので、細やかな夫婦の時間が取れるようになり、二人とも喜んでいた。お菓子を食べ、お茶を啜り、取り止めのない話しをする。大概は、ママさんの子育てに対する悩みであったり、ご近所の話しであったり、最近の流行りことであったりをママさんが話し続け、とーちゃんが相槌を打つ。

 それだけのことなのに二時間以上続く。

 夫婦円満で良いことにゃ。

 そして二十三時きっかりにママさんがキーの様子を見に行きがてら布団に入り、とーちゃんは、仕事部屋へと向かう。普段は、こんな遅くに仕事なんてしないがここ最近は忙しく、寝る前にも仕事をしている。

 仕事部屋を除いて電気が消え、夜の帳が降りて、家の中を闇が包む。

 そして計画が動き出す。


 チクッ。

 髪の毛の中を何かが潜り込んできて、頭皮を甘く刺す。

 痛いと言うよりかむず痒い感じだが、それが何回も続くと流石に不快になる。眠い時なんて尚更にゃ。

「うーん、ミーやめて」

 キーは、唸り、寝ぼけたまま両手で頭の上を叩く。 

 フワッと言う柔らく、温かな感触が手に残る。

 猫の暖かく、柔らかな毛の感触。でも、何かいつも違うなとキーは感じたようだが、寝ぼけてるので、それ以上考えられず、尚も続くむず痒い感触に両手をバタつかせ、身体を捩る。

 少し覚醒を促せたところで次の計画が始まる。

 ガサガサ。

 枕元を何かが蠢く。

 気味が悪く、しかし、聞き覚えのある音。

 大好きな、心をくすぐる音。

 キーは、ぼんやりと薄めを開ける。

 キーの目の先に来たのは、雄々しいツノを高らかに伸ばした優美な姿をした生き物だった。

 琥珀色の鎧を纏い、黒真珠のような兜から伸びるツノは、美しく鍛え上げられた剣のよう、六本の足は太いが飴細工で作られたように美しく、大きな身体を支えている。

 ヘラクレスリッキー。

 ヘラクレスオオカブトの中でもさらに大きく、貴重な種。

 外国の虫の輸入が緩和された日本でも滅多に見ることの出来ない、幻のヘラクレスオオカブト・・・。

 そこまでキーが理解出来たか分からないけど、リッキーを視界に収めた瞬間、一刀両断するかのように右手が振り下ろされる。 

 動体視力の良い猫ですら見切るのが至難な速さ。

 しかし、その手にリッキーの感触はなく、柔らかな布団の身がそこにあった。

 ミーは、身体を起こして周りを見回す。

 豆電球の淡い光に包まれた薄暗い部屋の中を、目、耳、鼻、触覚を全てフル稼働して失われたものを探す。

 ヘラクレスリッキーは、カーテンの上に張り付いていた。カサカサと動き、時折、羽をばたつかせるも、飛ぶ気配はない。

 キーは、ジャンプして、手を伸ばすも届かない。虫に関しては超人的な身体能力を発揮するキーも身長の壁は埋められない。

 キーは、リッキーを苦々しく睨みつけながらも部屋を飛び出す。時間にして一分にも満たない時間の間に戻ってきたキーの手には、ママさんから禁止されて握ることすら許されなかった伸縮自在の虫網、肩には虫籠が下げられていた。

 虫籠の中でワーさんが揺れている。

 第一段階、成功にゃ。

 そしてここからが本番。

 これを失敗したら二の次はない。

 キーは、カーテンを切り裂くように網を振るう。

 しかし、ヘラクレスリッキーは、網から逃げ、床に落ちると、そのまま六本の足を使って部屋から逃げ出す。

 キーは、鬼のような顔をして追いかけ、何度も網を振り下ろすもヘラクレスリッキーは、捕まらない。嘲笑うかのように壁に飛び、階段を飛び降りる。

 その度に網の叩きつける音が家中に響くが、ママさんは熟睡して起きず、とーちゃんもイヤホンをして音楽を聞いてるので気づかない。有難いが親のセキュリティとしてはどうなのか疑ってしまう。

 そして、ヘラクレスリッキーとキーは、ミーのトイレのある場所まで来る。

 いよいよにゃ。

 隠れていたミーは、トイレの中に入る。

 そしてかぎ尻尾でトイレを叩く。

 いつもは、二回だけど、今回は違う。

 三回、四回、五回、六回、まだまだ叩く。

 叩く度にミーの中から力が抜けていき、疲労が襲ってくる。やめたいと何度も思うがやめられない。止めるわけにはいかない。

 そして二十回以上叩き、ようやく適した大きさに広がった抜け穴を確認し、小さく鳴く。

 決闘するかのようにキーと睨み合っていたヘラクレスリッキーが動く。

 キーは、網を振り下ろす。

 しかし、リッキーは、網を逃れ、飛び上がるとミーのトイレに、抜け穴の中に飛び込んだ。

「まてー!」

 キーも網を持ち上げてトイレへと走ってくる。

 ミーは、キーに向かって飛び上がり、襟元を噛むと残った力を振り絞り、キーの体を傾け、トイレに、抜け穴の中へと飛び込んだ。


 満月が目の中に飛び込んできた。

 柔らかい暗闇に星が浮かび、鈴虫の耳をくすぐるような軽やかな鳴き声と共に湿気を含んだ草の匂いとぬるい風が毛をくすぐった。

 振り返るとそこにあったのは猫屋敷の大木、その根元に顔から草に飛び込んでうつ伏せになっているキー、さすがと言うか虫網は、手離していない。腰の虫籠もそのままにゃ。その横にたまちゃんとクロちゃんが自慢げな顔をしてミーとキーを見ていた。

 どうやら作戦は、うまくいったらしい。

 そう思った瞬間に手足が震え、今まで味わったことのない疲労感が襲ってきた。

 ミーは、そのまま草の上に倒れた。

 鼻が乾いていく。

 ミーの様子に気づいたクロちゃんが慌てて駆け寄り、ミーの身体を毛繕いする。

「大丈夫かい?」

「・・・なんとか生きてるにゃ」

 心臓がバクンバクンッ言って耳から飛び出しそうになるのを感じながらもミーは強がって言う。

 後輩に弱いところは見せれない。先輩猫の意地にゃ。

「作戦うまくいったね」

 たまちゃんが嬉しそうにこちらに走ってくる。

 その口には糸を巻き付けられてもがくヘラクレスリッキーが咥えられていた。

 キーが身体を起こし、草の上に倒れたショックと抜け穴酔いしたのか頭をクラクラ回している。


 たまちゃんとクロちゃんの作戦はこうにゃ。

 ワーさんの入った虫籠を運べるのはキーだけ。なら、キーが自分で虫籠を持ってあーさんの家に来るようにしたらいい。と、言う単純な解答だった。

 しかし、問題がある。

 ママさんの言いつけが絶対のキーにどうやって虫籠を持たせるか?

 そして言葉の伝えられないミー達がどうやって誘い出すのか?

 その為に必要なのがヘラクレスオオカブト。

 日向町の中にある住宅ならどこでもお邪魔することが出来ると豪語した、たまちゃんは、町に住む昆虫収集マニアのお宅も把握しており、作戦開始一時間もしない内に生きたヘラクレスオオカブト、リッキーを捕獲してきたにゃ。驚くミーと長老。そのヘラクレスリッキーが逃げないよう、クロちゃんは爪の先を器用に使って拾ってきた凧糸をリッキーの小さな身体に結びつける。そしてさも自分で動いているかのように見えるよう器用に糸を引っ張ってリッキーを操作する。その手際の良さはキーが二歳くらいの頃に見ていた人形番組も顔負けの動きだったにゃ。

 二匹とも何でそんなことが出来るにゃ?と当然の疑問をぶつけたら、「日向町猫会に所属する猫の当然のスキルだよ」と小さい胸を張って答える。

 その返答に対し、猫会の長は、「そうなの?」と言う顔をしていたが。

 こうすれば虫取りの類稀なる才能と本能を持ったキーは、虫網と虫籠を持ってヘラクレスリッキーを捕まえようとするはず!

 しかし、一番の問題があった。

 いかにして虫籠を持ったキーをあーさんのところまで連れ出すか?その答えが猫の抜け穴だった。

 ヘラクレスリッキーを寝ているキーの前に置き、ゆっくりと覚醒させる。寝ぼけたキーの前に夢にまで見たリッキーが現れる。自分にとっての刀ともいうべき虫網と虫籠を持ってヘラクレスリッキーを捕獲しようとする。寝ぼけて夢現のキーにはママさんからの禁止令など頭の片隅にも残っていない。神速で網を振るうキーを爪先巧みにリッキーをコントロールしてミーのいるトイレまで誘導するクロちゃん、面白がるたまちゃん、そしてミーのトイレの前までやってきたのを確認するとミーは抜け穴を開く。ただ、開くだけではダメ!キーが通っても安全な大きさまで抜け穴を広げる。十回でキーが通れる大きさまで広がったと思う。でも、ダメだ。キーが安全な大きさまで開かないと。キーは、ミーの宝物にゃ。絶対に危険な目には合わせないにゃ。

 そして十分過ぎるほどに広がった抜け穴の中に、ミーとキー、そしてたまちゃん、クロちゃん、ヘラクレスリッキーは、飛び込んだ。


「いやー楽しかったね!」

 たまちゃんは、ヘラクレスリッキーを咥えたまま、器用に鳴き、無邪気に喜ぶ。

「うまくいったな!」

 そういってクロちゃんが右手を掲げるとたまちゃんも右手を上げて、人間のようにタッチした。

 音は、パチンッではなく、ポフだが。

 ミーは、色々と言いたいことがあったが、身体中から湧き出る疲労感と痛みで言葉が出せない。

 その時、鳴き声が聞こえた。

 擦れた雌猫の鳴き声。

 長老の鳴き声にゃ。

 長老は、こう言っている。

 あーさん、こっちだよ。

 続けて聞こえてくるのは床を摺る静かな足音。

「プー、どうしたの?お腹がすいたの?」

 あーさんのか細い声が聞こえた。

 長老があーさんをこちらに連れてきている。

 その声を聞いたからか、今た行け抜け穴酔いに頭をクラクラ回すキーの虫籠が小刻みに揺れ出す。

 虫籠の中でワーさんがピンポン玉のように飛び跳ねている。

 ミーは、急いで起きあがろうとするが、足に力が入らず立てない。

「たまちゃん、クロちゃん」

 痛みに呻きながらもなんとか声を絞り出す。

「ミーをあそこまで運んでにゃ」

 ミーは、震える手で縁側を刺す。

 ミーのか細い訴えにたまちゃんとクロちゃんは、互いの顔を見合わす。そして、猫の表情筋としてあり得ないような笑顔を浮かべると、クロちゃんがミーの上半身を、そしてたまちゃんがミーの下半身に身体を入れて一文字にらなるように真横で背負い、神輿のように身体を揺りながら、

「えっさ、ほらさ、えっさ、ほらさ!」

 昭和のコントのような掛け声をあげながらミー縁側まで連れて行くとそのままの勢いで縁側の上に放り投げた。

「はぎゃあ!」

 ミーは、縁側に叩きつけられた衝撃と全身の痛みにありえない悲鳴を上げた。

 その声に二匹は、高らかに笑う。 

 お前ら、覚えてろにゃ。

 恨みの念を視線に込めて二人にぶつけていると、摺り足の音が止まる。

「ミーちゃん!」

 あーさんの悲鳴にも近い声が上がる。

 一週間ぶりに見るあーさんは、また痩せていた。

 それでも月明かりに照らされる長い髪を下ろし、花柄の浴衣を着たあーさんは、古い写真に写ったあーさんと遜色なく綺麗だった。

「どうしたの?何があったの?」

 あーさんは、狼狽し、縁側に倒れるミーを抱きかかえる。

 作戦ニが成功にゃ。

 縁側の下で再びたまちゃんとクロちゃんがハイタッチする。

「どこも怪我はなさそうね。病院に連れてった方がよさそうかしら?いや、その前に彼に電話を・・・」

 あーさんの手に抱かれるミーの耳に煉瓦をハンマーで砕くような衝撃音が響いた。

 その音に皆が視線を向けると、草の上に座り込むキーと破裂し、粉々になった虫籠、そして蛍のように宙に浮かぶワタゲ・・・。

 ワーさん・・・。 

 あーさんの目が大きく見開く。

 ミーを抱っこすることでワーさんを見ることが出来ているのだ。

 ワーさんは、ゆらゆらと人魂のようにこちらに、あーさんに近寄ってくる。

 あーさんを守るように長老が前に出て、威嚇の姿勢を取る。

 あーさんから数歩と言うところでワーさんの動きが止まる。そして淡い光を放ちながら、その身体を膨らませ、丸い輪郭が歪んでいく。触手が伸びたかと思いきや、それは手となり、足となり、歪んだ輪郭はがっちりした男性の体格になったかと思うと、そこから触手がさらに伸び、衣服を形成していく。そして最後に胴体から餅のように丸いものが膨らみ、輪郭を作り、男性の顔になっていく。

 それは写真で見た若い頃のあーさんと並ぶワーさんの姿を見てそのものだった。

 あーさんの身体が大きく震える。唇が戦慄き、吐息が荒くなる。見開かれた双眸からは一筋の涙が流れた。

「あなた・・・」

 あーさんは、掠れる声で呟き、その場に座り込む。

 人の姿を取ったワーさんは、にっこりと微笑む。

『久しぶりだな明美。会いたかったよ』

そう微笑む顔は、本当に嬉しそうだった。生きているなら泣いているであろう表情。

 ワーさんは、優しくあーさんに向けて手を伸ばした。

 しかし、あーさんの表情は、恐怖に歪んだ。

「いやー!」

 あーさんは、ワーさんの手を払い除けると、座り込んだまま後退りする。

 その光景にミーも、たまちゃんも、クロちゃんも、長老も、そしてワーさんも驚く。

「ご・・・」

 あーさんの唇から声が漏れる。

 それは心からの恐怖と、そして懺悔が滲み出た声。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 あーさんは、必死に謝り、髪の毛を掻きむしる。

その姿にワーさんは、呆然とする。

『おい、どうしたん・・・』

「死ねなくてごめんなさい!」

      

                つづく

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