第三十三話
黒曜丸と清泉が滞在する部屋からも、五匹のスズメバチたちが描いた、天空の五色の五芒星は見えていた。
「五芒星…清泉さんの言った通りでしたね」
窓枠に腰掛け、夜空の五芒星を見上げながら、黒曜丸は清泉に声をかけた。
「とうとう最後の犠牲者が出てしまったんですね…」
表情を曇らせ、残念そうに清泉は言った。
「ああ、そうなるのか、すみません」
「黒曜丸さんが悪いわけじゃないですよ」
「それよりも、あの五芒星が完成したということが心配です」
真剣な表情で清泉は続けた。
「あの男の人は、私を最後の贄にすれば、赤目に匹敵する力が、自分にも手に入ると、言ってました」
「赤目って、なんか聞いたことあるな…」
「蠱王の国を支配している、王族の人たちの瞳が赤いことから、国民たちからは畏れと侮蔑も含めて、そう呼ばれているそうです」
「ああ、それだ!」
隣国であっても、蠱王の国の王族の力の情報は、ほとんど入って来ない。
ただ、その赤い目を持つ王族の者らは、昆虫の力を取り込むことで、超人的な力を得られる特殊能力を持ち、その力を使って国を統治しているという。
「てことは、あの野郎は蜂の力を取り込むつもりなんだろうな」
「だと思います。凄く大きなスズメバチを、大事そうにしていましたから」
「カマキリの次は、スズメバチか…」
黒曜丸は大きく一つ息を吐くと、
「清泉さん、身体は動きますか?」
真剣な表情で、清泉に尋ねた。
「ハイ、違和感は無くなっているので、軽く走れる程度には、戻っていると思います」
「じゃ、一緒に行ってもらえますか?たぶん俺一人じゃ荷が重いんで」
「もちろんです」
そう言って、清泉は黒曜丸の愛刀『雲斬り』を手に取ると、背中に担がせた。
そして、胸の前にまわした刀紐を結びながら思った。
(今度は足を引っ張らないように、しっかり周りにも気を配って、黒曜丸さんを補佐しなきゃ)
「毒針が二本から一本になった!いけるわ」
父、正宗市蔵が、スズメバチ女の毒針の付いた右腕前腕部を斬り落としたのを、離れて見ていた甘露は拳を握り、声に出してそう言った。
甘露の後ろの大通りには、いつの間にか人通りも減り、やけに自分の声が響いたことに驚いて、辺りを見まわしたその時である。
大通り右手遠方から、何かに追われるように取り乱した群衆が、甘露のいる方に走って来たのである。
「やだ、何っ⁉︎」
その物言いこそ女性らしかったが、甘露は一瞬で高めた闘気を身に纏うと、腰の長刀に手をかけ、いつでも抜刀出来る状態で身構えた。
そんな甘露には目もくれず、何かから逃げ惑う群衆は、慌てふためきながら、甘露の目の前を通り過ぎてゆく。
甘露が最初にその何かを認識したのは、先程から耳にしていたものに酷似した、唸るように響く翅音だった。
その翅音は、群衆が逃げて来た方向から、その最後尾を追うように近づいてくる。
そして、最後尾から群衆数人が倒れ、転がったことで、甘露もそれの姿を確認することが出来た。
それは、父、市蔵が闘っている、スズメバチ女と酷似した姿をしてはいるが、丸っこくかなり小型で、逃げる民衆の肩ほどの高さで宙に浮いていた。
背中の翅を響かせながら群衆を追い、蜂の腹のような両腕の毒針で、民衆を一人また一人と刺しまくり、毒に侵された者は悶絶して倒れ、のたうちまわっている。
「子供⁉︎」
顔の複眼や大顎に肌の質感を含め、背中の翅、両前腕部は、スズメバチのそれではあるが、宙に浮かぶそのシルエットは、五、六歳の子供のものであった。
「あんな小さな子が犠牲になったの⁉︎」
女性がスズメバチ人間に、変態する様子を見ていた甘露には、その小さな殺戮者が、少し前まで幼い子供であったことが、容易に理解出来た。
故に、その小さな殺戮者が自分を見つけ、襲いかかろうと迫って来た時、刀を抜くことに、一瞬躊躇してしまった。
(しまった、間に合わない!)
思ったことをすぐ口に出してしまう甘露であったが、その言葉を発する猶予を、小さな殺戮者は与えてはくれなかった。
その小さな殺戮者は、甘露の力量を察したのか、民衆を追っていた時とはあきらかに違う速さで迫り、伸ばされた毒針のついた右腕は、すぐ眼前にまで迫っていた。
甘露は上半身を大きく後ろに反らし、毒針をかわしつつ、長刀の
タイミング的には、長刀の柄尻はその腹に届き、当たるはずであったが、そこに手応えはなく、ただ押し上げただけの、空を切る感覚しか残らななかった。
小さな殺戮者は、甘露の動きを察知していたかのように、背中の翅を震わせて瞬間的に浮上し、柄尻が届かない高さで後方に一回転すると、毒針のついた両腕の肘を直角に曲げ、攻撃態勢に入った、
(やられる‼︎)
体を反らしたままの不安定な態勢で、甘露は頭をフル回転させて、回避方法を模索してみたが、ベストなものを見つけられないまま、とにかく毒針から遠のくように、後方に倒れ込みながら、顎を引いて水平に跳んだ。
全ての時間が止まったかのように、遅々として届かない眼前に迫った毒針を、目を閉じることなく、冷静に観察しながら、
(痛いのかな?刺された人たち苦しんでたもんなぁ、やだなぁ…)
と、甘露が己れの最後を、緩く覚悟しかけたその時である。
視界の端に広がる星空を横切って、銀色の閃光が走り、小さな殺戮者に吸い込まれて消えた。
同時に時間は一気に流れ出し、甘露は背中から落ちた。
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