第三十二話
スズメバチ女は、抜刀する動きを察知したかのように身体を起こし、背中の翅を震わせることで、直進する勢いを殺すと、市蔵の刀が届く間合いに入る寸前で、刀の描く放物線を逆になぞるように移動した。
そして、無防備に開いた市蔵の左半身めがけ、右腕の毒針を突き伸ばした。
スズメバチ女の毒針は、市蔵が刀を返すより早く、その左半身に届く速さであったが、市蔵は抜刀の際に握っていた、刀の鞘を立てるように引き上げ、鞘の腹で毒針の攻撃を防いだ。
間髪を入れず、スズメバチ女の左腕の毒針も、襲いかかって来たが、その攻撃には市蔵の刀も間に合い、蜂の尻のような左腕の、毒針の根本を狙い振りおろした。
しかし再び、市蔵の刀は空を斬る。
人の前腕ではありえないが、蜂の腹のような前腕は、一瞬で毒針を収納、そのまま半分ほどの長さにまで節を縮め、市蔵の刀をかわしたのである。
市蔵もそれと同時に、後方に大きく跳んで下がり、体勢を立て直した。
張られた縄の外から見ていた甘露は、父、市蔵の攻撃が二度もかわされたことに、驚きを隠せなかった。
市蔵の剣は疾く鋭く、しかも正確である。
受け止めるならともかく、簡単にかわせるものではない。
「何なのあの動き⁉︎完全に人間じゃないわ」
そうつぶやいた甘露の脇を、遅ればせながら縄張りの中の異変に気づいた、二人の狩人が縄を飛び越え入って行った
寂雨はというと、市蔵とスズメバチ女ヒヒルとの攻防に、さほどの興味も見せずに半眼に目を閉じ、呪文のような言葉をつぶやいている。
「来た!」
寂雨が目を見開いてそう言うと同時に、肩にとまっていた巨大なスズメバチは、大きな翅音を立て、真っ直ぐ上空に向かって飛び上がった。
時を同じくして、五色の光が落ちた場所から、それぞれの色の光の柱が立ちのぼり、それぞれの地面の中からは、寂雨の肩にとまっていたものより少し小さいが、それでも普通の個体より大きな、スズメバチたちが這い出してきていた。
そのスズメバチたちは、光の痕跡を追うように舞い上がると、一定の高さでホバリングをして留まった。
すると、それぞれが伸びた柱と同じ色に発光、そのまま水平に真っ直ぐ、違う色の別の蜂のいた場所へ飛んで行き、そこに着くとまた次の色の場所へと、移動を繰り返した。
その規則的な動きは、光の残像となって、空に大きな五芒星を描くことになる。
「何なんだコイツは⁉︎近くで見るとキメェ〜!」
縄を飛び越え入ってきた狩人の一人が、スズメバチ女と化したヒヒルを見て大声をあげた。
「危ないから下がってろ!」
市蔵は、二人の狩人の実力を一瞬で見定め、本心からそう言ったのだが、
「この街の
と、さっき大声をあげなかった、もう一人の狩人が啖呵をきって、市蔵を遮るように前に出た。
「そうそう、おっさんこそ下がってな!」
そう言って、もう一人も前に出た時、夜空に立ちのぼった五色の柱を起点に、五芒星が描かれ始めた。
「何だ?」
二人はほんの一瞬、スズメバチ女の存在を忘れ、五芒星に目をやってしまった。
そして、ブーンという翅音が耳に入った時には、スズメバチ女は二人の間に移動、腕を左右に広げ、その毒針を二人のわき腹に突き刺していた。
逆に、市蔵はこの機を逃さず、スズメバチ女の右腕の関節部分をめがけて、刀を振りおろし、右腕前腕部の蜂の腹を切り落とした。
しかし、スズメバチ女には痛覚が無いのか、追撃を避けるために、滑るように下がりはしたが、翅を激しく震わせて威嚇音をたて、大顎をギシギシ鳴らすだけである。
毒針を受けた二人の狩人は、刺された痛みを感じる間もなく、全身を巡る毒による不快感や激痛、呼吸困難に侵され、苦しみのたうちまわっていたが、程なく泡を吹いて激しい痙攣を起こし、そのまま絶命した。
五芒星を描いたスズメバチたちは、その中心にいた、寂雨の肩から飛びたったスズメバチの元に集まると、指示を受けるかのようにしばらくホバリングして留まった後、散り散りに地上に向かって飛んで行った。
五匹のスズメバチたちは、それぞれが獲物を探し、ある一匹はは中年男性を、別の一匹は子供を、そして他の三匹たちも、御用所の役人、老婆、狩人と、全く関連性のない、ただ視界に入っただけの人間を狙って、その針を突き立てた。
そしてそれは時をおかずして、ヒヒルのように人から虫に変態する、五体のスズメバチ人間を産むことになる。
その時すでに、一番巨大なスズメバチは地上に降りており、人間を刺しに行った五匹のスズメバチたちも、一匹また一匹と地上に降りて、待っていた一番巨大なスズメバチの元に集まった。
そして、そこで驚くことが起こる。
最初に戻ったスズメバチが、一番巨大なスズメバチの前に出ると、一番巨大な個体はなんと、それを喰らい始めたのである。
そして、その個体を喰らい尽くすと、共喰いをした巨大なスズメバチは、全身から紫色の光を放ち始めた。
更に驚くことには、残りのスズメバチたちも、まるで喰らわれる順番を待つかのように一列に並んで、ただ翅を震わせている。
一番巨大な個体は、並んだスズメバチを喰らうごとに、緑,黄色、白、赤と、空に立ちのぼった光と同じ色の光を纏った。
全てのスズメバチたちを喰らい尽くした、巨大なスズメバチの体は、既に二倍近くにもなっており、その巨大な全身を纏う光は、喰らった個体それぞれの色が混ざりあって、オーロラのように波打ちながら輝きを増すと、まばゆい金色の光へ変わっていった。
さほど離れていない場所で、寂雨はその一部始終を、狂気をはらんだ笑顔で見ていた。
そして、全ての共喰いが終わり、金色のスズメバチが誕生したのを確認すると、
「待ってたんよ、この時を!おいで!」
大きく両手を広げて、金色のスズメバチを呼び込んだ。
金色のスズメバチは寂雨の声に反応し、寂雨の方へ体を向け、翅を広げて震わせ始めると、少し重そうに浮かび上がって、寂雨に向かってゆっくりと飛んで行く。
それを見て寂雨は、懐からヒヒルの首をかき切った、湾曲した短剣を取り出すと、着物をはだけて胸板を露わにし、
「女王よ、我と共にあれ!」
恍惚の表情ででそう言って、湾曲した短剣を両手で握り、己れのみぞおち辺りをめがけて、躊躇することなく突き刺した。
不気味な笑顔のまま、寂雨は短剣を引き抜いて、無造作に投げ捨てると、腹から血を流しながら、再び両手を広げた。
金色のスズメバチは寂雨の前まで来ると、胸の前で少しホバリングしてから、傷口の脇に止まると、溢れ出る血の中に頭を突っ込んで、寂雨の体の中に潜り込んでいく。
寂雨は、激痛に顔を歪めながらも、狂気をはらんだ笑顔を浮かべ、目を見開いてその様子を見ていた。
金色のスズメバチが、完全に寂雨の体内に入ると、胸の中心が光を放ち、不思議なことに傷口は、ゆっくり塞がって消えた。
と、同時に、寂雨は全身の力が抜けたかのように膝から崩れ、そのまま膝立ちの状態になると、虚な瞳をしたまま頭を垂れ、全く動かなくなった。
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