第二十九話

何アレ⁉︎」

 いきなり穴から吹き上がった白い柱に、甘露は目を丸くして声をあげた。

 

 しかもその白い柱は、甘露がいる屋根の上からの、視界を遮る霧か煙のように飛散し、広がったのである。

 よく見ると、それらは不規則に飛び回っており、その多くが篝火に群がっていた。

 

「蛾?蛾よねアレ⁉︎」

 側にいる市蔵に聞いたわけではない。

 甘露は、思ったことをすぐ口にしてしまうだけなのであるが、

「どうでもいい、見るのは人だ!」

 強い口調で、市蔵にたしなめられた。

 

 

 女が吹いたのは『蟲笛むしぶえ』であった。

 蠱王の国では割と知られている、虫を操るための道具である。

 人の耳ではほとんど聞き取れない周波数の音で、虫の種類によって吹き方も違うため、習得するには時間がかかるが、習得すれば虫を集めたり、追い払うことが出来ることもあり、それ専門の『蟲笛師』という職業の者もいる。

 

 女が『蟲笛師』かどうかは定かではないが、先に女が寂雨に語った『アレ』というのは、洞窟内の隠し部屋のことであり、そこに大量の蛾が集められ、女は隠し通路から洞窟に入って、その扉を開けておいたのである。

 

 篝火ごとに、数百もの大量の蛾が押し寄せたことで、集まった群衆たちは混乱し逃げ惑い、護用所の役人たちも収集がつけられなかった。

 

「ごくろうはん」

 寂雨は女の肩を軽く二度叩くと、

「ほな、仕上げといこか」

 寂雨は張られた縄をまたいで越えると、女を伴って大通りの交差した中央、準備してきた最後の儀式の場所へ、誰にも邪魔されることなく歩いて行く。

 

 大通りの中央に女と並んで立ち、混乱する人々を眺めながら、寂雨は、あの巨大なスズメバチの入った、琥珀色の樹脂の塊を取り出し、

「すぐ出してあげるよって、もうちょっとだけ待っててな」

 と、頬擦りをした。

 

「寂雨さま、贄はどれにします?」

 そう女に尋ねられた寂雨は、

「ヒヒル、これ、持っとってくれるか?」

 女の耳元に顔を近づけて囁くと、スズメバチの入った塊を手渡し、一歩前に出て群衆を眺めた。

 そして、振り返って『ヒヒル』と呼んだ女に、優しく微笑むと、

「かんにんやで」

 そう言って、両手を広げて舞うように、くるりと体を一回転させた。

 

 寂雨の言葉の意味がわからず、キョトンとした表情のまま、ヒヒルは回る寂雨の袖先に、光る何かを見た気がした。

 

 一瞬の間をおいて、背中を向けた寂雨の右手に、湾曲した短い刃物を確認した時、ヒヒルの首から血が吹き出した。

 頚動脈から湧き出るその血しぶきを、ヒヒルは手で押さえて止めようとしたが、とめどなく体の前面に流れ落ちて、手に持った樹脂の塊も、その血にまみれていた。

 

「じゃ、寂雨さま…なんで?」

 ヒヒルは膝から崩れ、膝立ちでスズメバチの樹脂の塊を、祈るような姿で抱いていた。

 しかし寂雨は、ヒヒルに背を向けたまま、返事をすることなく、早口で何かを唱えている。

 

「…その力で我を導き、蟲の王の恩恵を与え賜うことをここに願い、贄の血と我が忠誠を捧げん!」

 詠唱を終えた寂雨は振り返って、ヒヒルの抱いた樹脂の塊に向けて手をかざし、詠唱中にも送り続けていた気を、更に強めて送った。

 

 ヒヒルは、遠のきかける意識の中、自分が握った樹脂の塊が光り始め、それがどんどん強くなるのを感じて、その手を開いた。

 スズメバチを封じた樹脂の塊から、虹ににも似た光の柱が伸び、それが緑・黄・赤・白・紫の五つに分かれ、それぞれが弧を描きながら、等間隔、等距離の場所に流れ落ちて消えた。

 

 

「今度は、何なの⁉︎」

 飛び交う蛾に視界を遮られ、この騒ぎの大元の人物探しに苦労していた甘露は、その蛾の幕を突き破って、真っ直ぐ伸びた光の柱に驚いて叫んだ。

 

 八面狼こと正宗市蔵は、身を乗り出して、その光の発生元にいるであろう、連続殺人の犯人の気を探ってみた。

 そこには、徐々に弱くなっていく女性の気と、以前この場所から見たことのある、地中を移動していた幽霊の気があり、幽霊は弱くなっていく気に、己れの気を送っている。

 

(あの気が奴だったか!)

 市蔵が刀を手に取り、腰を上げたその時、光の柱が五つに分かれ、それぞれが連続殺人の現場だった場所、五芒星を描く頂点の位置に落ちた。

 

(何をした?次は何が起こる⁉︎)

 市蔵は屋根の上に立ち、五方のそれぞれの落下地点を見てしまった。

 

 後に市蔵は、この時の己れの一瞬の行動の遅れを、深く後悔することになる。

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