第二十六話

 竹筒が“コン”っと乾いた音をたてたと同時に、女は黒曜丸から目を離さず、正面を向いたまま後方に清泉の上を飛び越え、後ろに数歩下がってから踵を返して走り出した。

 

 爆薬か毒煙かと、そばに倒れている清泉の身を案じ、黒曜丸は一瞬ヒヤリとしたが、竹筒は何の変化も見せず、逃げた犯人の後を追おうと、グッと足元に力を入れ踏み込んだ瞬間、清泉の何かを訴えかける目に気付き、黒曜丸は動きを止めた。

 

 女が落とした竹筒は、地面に伏せたまま動けない、清泉の視線の先に落ちた。

 その竹筒の中から、黒い数匹の大きな羽蟻のような虫が這い出していた。

 羽蟻と違うのは、胸部と腹部の間が細長くなっていて、腹部や頭部近くに黄い模様が入っている。

 

(もしかして私を刺した蜂⁉︎)

 自分が刺された時、清泉はその蜂の姿を見たわけではないが、直感的にそう感じた。

 だとすれば、黒曜丸が危ない。

 動けず声も出せない清泉は、ただ目で訴えかけるしかない。

 そして、黒曜丸は清泉の意図に気付き、逃げた女を追うのをやめた。

 

(なんだありゃ?蜂か?)

 竹筒の先に蠢いていた四匹の細身の蜂は、それぞれ羽根を広げて飛び立つと、獲物を探すかのように、空中で静止している。

 

 本来ならジガバチは、攻撃性の強い蜂ではない。

 ただ、今ここにいる蜂たちは、清泉を麻痺させて動けなくするほどの毒と、その方法は不明だが、あの犯人の命令をきくように改良されていた。

 

(動いたら襲って来るのか?)

 横穴は横の幅はそれなりに広いが、長身の黒曜丸がなんとかまっすぐ立てるほどの高さしかなく、愛刀の大太刀雲斬りを振うには、あまりにも狭く適してなかった。

 

 黒曜丸は、ゆっくりと肩に担いでいた雲斬りを動かし、切先を蜂たちに向けた。

 蜂たちもその動きに気づいて、体を黒曜丸に向け攻撃態勢に入るやいなや、気の早い一匹が襲いかかって来る。

 

「ガキん時以来だな!」

 少年時代に剣術の特訓と称して、蜂の巣に石を投げては、怒って襲って来る蜂を木剣で払い落とした。

 数の多さに逃げ出したこともあったが、黒曜丸は一度も刺されたことがなかった。

 

 最初の一匹が間合いに入ると、黒曜丸は僅かに切先を動かし、銃弾を発射するかのように、ほんの一瞬だけ気の刃を伸ばす。

 と同時に“ピシッ”という音と共に、最初の一匹の細長い胴は切断され、蜂はくるくると縦回転しながら地面に落ち、ただジタバタと羽根を動かし続けている。

 

「これにもだいぶ慣れたな」

 そう言って笑顔を見せる黒曜丸を、気を見ることができない清泉は、何が起こったのかわからず、目を丸くして見つめた。

 

 次に来た一匹も、気の刃で胸から羽根もろとも落とされ、次の一匹は気の刃を使わずに、軽く雲斬りの刃を当てただけで、蜂自体の推進力と、雲斬りの切れ味により切断された。

 

 清泉から見ると、黒曜丸はほとんど動くことなく、雲斬りを持つ手を伸ばしているだけで、蜂たちを落としていた。

 その視線に気づいたわけではないが、黒曜丸は最後の一匹が近づくと、雲斬りを横穴の天井近くまで水平に放り上げ、皮製の手甲を付けた右手の裏拳で蜂を打ち払うと、何事もなかったかのように、雲斬りを掴んで肩に担いだ。

 

 元々、数匹の蜂で相手が務まる黒曜丸ではなかったが、ジガバチは単独行動をとる種であり、大きな蜂の巣を作る種の蜂であれば、集団での攻撃で、黒曜丸を苦労させられたかもしれない。

 とはいえ、四匹の蜂の犠牲によって、まんまと犯人は逃げおおせたのである。

 

 黒曜丸は、雲斬りに気を送り鞘に納め、清泉に駆け寄ると、右手一本で抱え起こし、

「清泉さん、大丈夫ですか?怪我は?」

 今にも泣き出しそうな表情で声をかけた。

 

 黒曜丸に抱き寄せられた腕のぬくもりを感じて、清泉は心からの安堵を感じると共に、その顔の血の涙の痕を見て、黒曜丸がどれだけ心配して、必死に自分を探してくれていたのかを察した。

 と同時に、麻痺して動かない体の機能全てが目に集まって、涙が堰を切ったかのように溢れ出し、それでも足りない分は鼻水となって流れた。

 

「大変でしたね、全部俺のせいです…一人にしてスイマセンでした〜」

 黒曜丸も大粒の涙をポロポロ流しながら、抱き抱えた右手の袖で、不器用に清泉の鼻水を拭ってやると、嗚咽しながら清泉に謝った。

 

「おーい、いるのか?大丈夫か〜?」

 黒曜丸が開けた穴から声がして、横穴に響いた。

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