第十七話
門番をしていた男に案内され、黒曜丸と清泉は、四日前に番頭が襲われた現場の裏路地に着くと、門番の男に礼を言ってを帰し、そこを調べ始めた。
「狭いですね」
「ウン、二人並ぶのがやっとだ。雲斬りで闘うには向いてないな」
「隠れるような場所もないですし、もし誰かがいたら、普通は通りませんよね?」
「じゃぁ、上ってことか?」
そう言って黒曜丸は顔を上げ、清泉も建物の間の空を見上げた。
裏路地の両側の建物は二階建てで、結構な高さがあった。
「ちょっと見ててください」
黒曜丸は少し屈んだかと思うと、次の瞬間には建物の間の空にその姿はあった。
そのまま降りてくる途中に、黒曜丸はその長い脚を開いて、両側の建物の壁に足をつけると、身体を半回転させ、頭を下にして止まった。
目の前に現れた、逆さになった黒曜丸の顔に、清泉が呆気に取られていると、
「こんな感じで首をかっ切るのは、どうっスかね?」
黒曜丸は逆さのまま声を清泉にかけると、足を外して再び半回転して着地した。
「屋根まで跳び上がれるなら、誰にも見られずに逃げられますね」
犯人がどこから現れ消えたのかを、真剣に推理しようとしていた清泉は、黒曜丸の規格外の身体能力に、あっさり可能性を導き出され、がっかり感を隠すような笑顔を見せた。
「あと、上に先客がいましたよ」
こともなげな様子で、黒曜丸は清泉に驚きの報告をした。
「先客⁉︎」
清泉は目を丸くして、建物と建物の間の空を見上げた。
「ええ、狐の面みたいなのを付けた奴が」
黒曜丸が跳び上がったのには、高さを確認するためだけではなく、微かなその先客の気配を感じたからでもあった。
「狐ではない」
頭上から抑えた静かな声が聞こえたと同時に、建物に挟まれた空を影が遮り、ほとんど足音もたてずに、その影は二人の少し後ろに降り立った。
「狼だ」
その男は、白髪の混じった髪を無造作に束ね、顔を口元以外は隠すように、当人が狼と言った面を付けていた。
半袖の灰色の甚平の上に、狼のものであろうか?袖無しの毛皮を羽織り腰帯で留め、膝が隠れるくらいの皮製の短袴、両手脚には、やはり皮製の手甲と脚半を付けた、猟師のようないでたちで、左手に長刀を握っている。
「アンタ、狩人か?」
静かにそう聞いた黒曜丸を見て、清泉は驚いた。
狼面の男を見る黒曜丸の表情が、カマキリ男と闘った時以上に、真剣なものだったからである。
狼面の男は闘気も殺気も放ってはいない。 しかし黒曜丸は、この男から対峙して初めてわかる、研ぎ澄まされた刃のような、静かだが圧倒的な存在感に、気圧されていた。
「ああ、狩人だ」
狼面の男はそう一言だけ言うと、背を向けて歩き出したが、通りに出る直前で足を止め、
「八面狼だ」
そう名乗って、通りに消えた。
「アイツが犯人だったら、今の俺じゃ…」
剣士隊の隊長まで務めた黒曜丸は、狩人という職業の者たちを、どこかで実力的には下に見ていた。
しかし、今の八面狼という男からは、剣士隊の隊長と同格か、それ以上の実力を秘めていると認めざるを得ない何かを感じ、無意識のうちに弱音を吐いていた。
(八面狼…?最近どこかで…)
清泉は黒曜丸の弱音にも気づかずに、聞き流してしまうほど集中して、その名前の記憶を辿っていた。
(そうだわ!確か父が…)
それは、鱗王軍との戦で負傷した黒曜丸が、蘇童将軍の屋敷に療養に来たばかりの頃、戦の後処理中の蘇童将軍が、一時帰宅した際に語った、懐かしい知人の娘に会ったという話に、出てきた名前であった。
「黒曜丸さん、今の八面狼って狩人の方、多分ですが、元剣士隊の隊長です」
「えっ⁉︎そうなんスか?どおりで…」
「父が剣士隊の隊長だった頃の、同僚だったそうで、最近になって八面狼と名乗って、狩人をされていることを、やはり狩人をされている、娘さんから聞いたそうです」
(あの威圧感通りの実力なら、将軍にだってなれたんじゃないのか?)
黒曜丸は剣士隊の隊長の中では、一番若く新参者であったが、自分が他の隊長たちに劣ると感じたことはない。
もちろん若さゆえの、過剰な自信もあっての評価だったかもしれないが、あの八面狼から感じたような気圧される空気は、他の隊長たちから受けたことがなかった。
黒曜丸は自分とは違う理由で隊長を辞めたであろう、八面狼に興味を持ちながらも、改めて今の自分の実力不足に、歯がゆい思いを拭いきれずにいた。
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