第十五話
「今夜は宿から出ないでおきましょう」
清泉は黒曜丸に向き直ると、そう告げた。
「えっ⁉︎何で?」
すごく驚いた様子で、黒曜丸は清泉に聞き返した。
「女中さんに言われて、黒曜丸さんも気をつけるって、言っていたじゃないですか」
「それは…外に出る時は気をつけるって意味で…」
「だったら、今夜は出ないでおきましょう!」
清泉は黒曜丸を真っ直ぐ見据え、強い意志の込もった口調で、もう一度そう言った。
黒曜丸は、自分がわがままな子供になったような気分になり、バツが悪そうに視線を外し、
「わかった…。今日はゆっくり休もう」
と、清泉の意見に押し切られる形で、素直に従うことにした。
その日の夜、黒曜丸と並んで床についた清泉は、
「黒曜丸さん、さっきはあんな風に言ってすみませんでした」
そう言って、黒曜丸に謝った。
「いえ、清泉さんがああ言われたのには、ちゃんとした理由があるからだと、俺もわかってますんで」
「理由という理由はないんですけど、あれだけの情報で闇雲に動くのは、違う気がしたので…」
「そうっスよね、俺、その場の感情で動いて、よく無駄足を踏むんですよ」
清泉と知り合ってからの黒曜丸は、以前に比べると少しだけだが、己れを冷静に振り返れるようになっていた。
これは清泉に対しての絶対的な信頼が、己が行動の指針になっているためで、黒曜丸が女性の言葉に従うのは、母親以外では清泉だけである。
翌朝、黒曜丸と清泉は朝食を摂ると、改めて霧乃杜の町を見てまわることにした。
昨夜は事件も起こらず、起こるのが夜ということもあってか、夕方だった昨日に比べ、町の人々も幾分穏やかな表情をしている。
「狩人の方たちもいらっしゃいませんね」
「夜中じゅう探し回って、まだ寝てんだろうな」
清泉が言うように、目つきの鋭い連中の姿は見えず、仕事を始めた町の住民か、出立する旅装束の者という、この町本来の風景であろう朝があった。
「とりあえず護用所で、事件の詳しい内容を教えてもらおうか!」
『護用所』とは、領主が設けた地方の警察署のようなもので、武人を含めた役人と配下の者が詰める、治安維持のための役所である。
武人の役人は『
霧乃杜は大きな町だけあって、護用所も立派な建物であった。
しかし、門番としてそこにいた男は、警杖を抱えて座り込み、うとうとと眠りこんでいる。
「起きろっ!」
黒曜丸はしゃがみこみ、門番の耳元で大声で叫んだ。
門番の男は驚いて飛び上がり、寝ぼけ眼のへっぴり腰で、慌てて警杖を構えた。
「入っていいか?」
門番の男は、自分より頭一つ背の高い、絵から抜け出たような美丈夫に声をかけられ、
「ハィ…いやいや、ダメだ!誰だオマエは?何の用だ?」
と、やっと自分の仕事を思い出し、黒曜丸を制した。
「俺か?俺は尾上黒曜丸、話が聞ける偉い奴はいるか?」
「お…尾上、黒曜丸ぅ⁉︎」
門番の男は目を丸くして、
「ちょ、ちょっと待っててくださいぃ」
慌てて護用所の中に駆け込んだ。
「有名人ですね黒曜丸さん」
清泉は楽しそうに笑い、
「いやいや、ダメだったら清泉さん頼りで、お義父さんの名前を出すつもりでした」
黒曜丸もいたずらっぽい笑顔を返した。
ほとんど待たされることなく、門番は廻役と思われる、刀を差した若い役人を連れて戻ってきた。
若い役人は長身で眉目秀麗な黒曜丸を目にして、息を呑んで目を丸くしてから、改めて興奮した様子で、
「貴方が剣士隊、六番隊隊長の尾上黒曜丸殿ですか⁉︎」
「ああ、この腕をなくして隊長も剣士隊も辞めたが、俺が尾上黒曜丸だ」
「そ、その背中の大太刀が雲斬りですね!」
「なんだ、よく知ってるな?そう、こいつが雲斬りだ」
「辞められたとはいえ、初めて剣士隊の方にお会いできて感激です!」
大きな宿場町とはいえ、霧乃杜は王都から遠く離れた辺境の地である。
そこに、自分のことをこんなに知る者がいたことに、黒曜丸は驚きはしたが、悪い気はしなかった。
「ところで、こちらには…あ!」
若い役人は、自身の好奇心ばかりが先にたち、名乗りもしていないことに、やっと気づいて、
「失礼しました、私はここで廻役の末席を務める、
深々と頭を下げた。
左内は頭を上げる途中、黒曜丸の後ろにいる清泉に、こちらもやっと気づいたようで、
「そちらの方は?」
と、黒曜丸を下から見上げた。
「妻の清泉と申します」
初めて『妻』と名乗ったことに、清泉は少しの恥じらいと喜びに頬を染め、それを聞いた黒曜丸も、思わず口元が緩みそうになるのを、我慢して抑えるのに必死だった。
「やはりそうでしたか!長身の黒曜丸殿に、小柄で可憐な奥様、美しく絵になるご夫婦ですね!」
確かに黒曜丸と清泉は、誰が見ても美男美女の夫婦である。
しかし、この向島左内という役人は、剣士隊への憧れの強さからか、持ち上げる言葉しか発さず、なかなか本題に入れない。
黒曜丸と清泉は目を合わせ、黒曜丸が口を開いた。
「この町で起こってる、連続の殺しのことを、出来れば詳しく聞きたいんだが?」
「そのためにこの町に来られたのですか?」
「いや、立ち寄ったのは偶然だが、見過ごせなくてな」
「さすがは元剣士隊隊長の黒曜丸殿!」
「それはもういい!で、犯人のことはどの程度わかってるんだ?」
「お恥ずかしい限りなのですが、犯人のことはまるで…」
左内は初めて表情を曇らせると、最初の被害者の状況から、説明を始めた。
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