第十一話

 少し離れた場所から、清泉は対峙する黒曜丸とカマキリ男の動向を、息を飲みながら見つめている。

 

(大丈夫、黒曜丸さんなら…)

 清泉は自分に言い聞かせるように、その言葉を頭の中で繰り返した。

 

 木々の梢の葉が擦れ合う僅かな音と、鳥のさえずる声だけが聞こえる、静寂の時間が流れる中、その瞬間はいきなり訪れた。

 

 カマキリ男は、何の前触れも気の乱れもなく、音も出さずに伸びた脚を数歩動かすだけで、黒曜丸との間合いを一気に詰める。

 と、同時に両の手の鎌状に変化した指が、大きくて前方に伸ばされ、黒曜丸に襲いかかった。

 

 自分を捕獲しようと、左右から伸びてくるその鎌を、黒曜丸は肩に担いでいた大太刀、雲斬りで受け止めることはせず、素早く一歩踏み込んで、捕まる前に頭から一刀両断しようと、上段から雲斬りを振り下ろした。

 

 しかしカマキリ男は、その怪しげな複眼で、大太刀の軌道を予測したのか?それとも反射的な行動なのか?

 跳ねるように後方へ跳び退き、間一髪で回避すると、両手を広げて威嚇するようなポーズをとった。

 

「意外と素早いな、だったら…」

 

 黒曜丸は雲斬りを右肩に再び担ぎ、少し屈んで足に神経を集中させると、弾けるように距離を縮め、カマキリ男の間合いに入る寸前で、グッと踏み込んで高く跳び上がった。

 そのままカマキリ男の真上から、前方に回転するような勢いで、雲斬りを振り下ろして斬りかかる。

 

 ガツッという音をたてて、雲斬りは交差させた鎌で受け止められ、黒曜丸は一回転して地に降り立つと、間髪入れずに身体を横に半回転させ、カマキリ男の背後を薙ぎ払った。

 

 しかし今回も、前方に跳ねるように跳んで避けられ、首だけを傾げるように後ろに向けた、カマキリ男の偽瞳孔が、無感情に黒曜丸を見つめていた。

 

「硬ぇな…。いや、俺の方が軽いのか?」

 

 確かにカマキリ男の硬質化した皮膚は、刀の刃を受け止められるほど硬かったが、以前の大岩を真っ二つに出来た黒曜丸であれば、断ち斬れない硬さではなかった。

 

「悪ぃな、まだまだ使いこなしてやれなくてよ…次はアレ、試してみるか」

 黒曜丸は雲斬りに語りかけてから、雲斬りを左の腰側に持っていき、右足を前に腰に差した刀を抜刀するかのように構えた。

 

 そうしている間に、カマキリ男も身体の向きを変え、頭を前にした前傾姿勢で、黒曜丸と対峙していた。

 黒曜丸は細く長い呼吸で集中力を高め、相手が動くその瞬間を待った。

 

 

 呼吸をするのを忘れてしまいそうな、緊張した空気が流れる中、清泉は対峙する二人を見つめながら、全く別のことを考えていた。

 

(人をあんな風に変えたしまう薬…)

(確か、蠱王の国では蟲の力を使って、人を強化するって先生が…)

(強壮剤のようなものかと思っていたけど、あれじゃ魔術か呪いだわ…)

(国境が近いからって、こんな薬が入ってきてたなんて…お父様に知らせなければ!)

 

 清泉が、次の町で父親である蘇童将軍へ、文を託さねばと考えた矢先、張り詰めていた空気が揺らいだ。

 

 

 先に動いたのはカマキリ男であった。

 鎌の先を地につけた四足歩行で、下げた頭の位置を一定に保ったまま、感情のない偽瞳孔を向け、滑るように近づいて来る。

 

 黒曜丸は相手が動く前から、左腰に当てた雲斬りに念を込め続けていた。

 それは本来、気と呼ばれるものなのだが、これまで意識して気を扱ってこなかった、大雑把な黒曜丸にとっては、気の流れを意識して増幅するといった、理論的な小難しい説明より、そうなって欲しいと念を込めろと言った方が、理解と修得が早いと判断した、義父、蘇童将軍の教えであった。

 

 カマキリ男が接近し、己が間合いに入るかなり前で、黒曜丸の起こりは始まった。

 『起こり』とは、動作が始まるきっかけの動きのことで、相手に気付かれると、動きの先を読まれ、反撃の機会を与えてしまう、隙のことでもある。

 

 カマキリ男は本能でその起こりを察知し、黒曜丸の間合いに入る前で動きを止めた。

 それを見ても、黒曜丸は動きを止めずに、カマキリ男の頭を狙って、踏み込みながら、大太刀雲斬りを左腰から大きく振り切った。

 

 当然、距離が足りずに雲斬りは空を斬るはずであったが、いや、雲斬りの刀身それ自体は空を斬った。

 しかし、刀身から伸びた気の刃が、カマキリ男に襲いかかり、カマキリ男もそれに気付いて、頭を守るために鎌でガードを固めた。

 気の刃の勢いは凄まじく、ガードした右手の鎌と前腕部を切断、押し込まれた勢いで左に体勢が崩れたため、頭ではなく、飛び出した右の複眼の一部が、斬り飛ばされた。

 

「おお〜っ!出来たぁ」

 

 刀匠『萬伝翔』の鍛えた刀は気に呼応する。

 

 黒曜丸がいま使った技は、義父、蘇童将軍が愛刀『斬波』で用いる技で、蘇童は刀身の三倍の長さの気の刃を発動させる。

 蘇童の『斬波』と黒曜丸の『雲斬り』は萬伝翔作の兄弟刀であり、蘇童は娘婿となった黒曜丸に、その技のコツだけだが教えていた。

 

 さすがに三倍とまではいかなかったが、刀身の長い大太刀雲斬りである、この結果は十分と言えよう。

 

「本当に雲まで斬れんじゃねぇか?」

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