6話 甘い暗殺

 ユアは安心半分、不安半分で生活を送っていた。


 安心部分とは、親の形見を手放したくないというユアのワガママをオウルが即答で了承してくれたことだ。

 この町の建築物の9割は新築だが、残りの一割は元々この辺りにあった建築物がそのまま残っており、ユアの家もその数少ない一つだった。両親が亡くなったのは随分昔なのでユアの記憶の中の思い出は多くない。だからこそ少ない思い出を手放したくないからこの一帯の再開発計画が持ち上がったときおじに家を残すようにしてほしいと頼んだし、この町の中学に通っているのもこの家が理由だ。


 幸いな事にこの町は住みよく、住民も移住者ばかり故に逆に助け合いの精神が自然と根付いていた。尤もそれがいいことばかりかと言えばそうでもなく、ばっちりユアは怪しい人に攫われそうになったが。


 しかし不安半分に含まれる不安はそれではなく、町の建築物の欠陥のことだ。

 詳しくは聞いていないが、この町で2年以内に建てられた建築物は全て危ないらしい。

 調べない方が良いと言われたので調べてはいないが、いくらユアでもたった四人の殺し屋が町まるごとに等しい欠陥を修正するのが困難なことくらい理解出来る。


 学校で他愛のないやりとりを交わす友達の家も、多くは欠陥建築だ。

 何かの拍子に事故が起きれば彼らとは二度と会えなくなる。

 きっと詳しく知れば実感が湧いてもっと怖くなるだろう。


 だからこそ、せめて気を紛らわせるいいニュースがないかと思い、最近のユアは家の近くに移転してきた新たなクアッドのアジトに出入りしている。


「そうホイホイ来られても困るんだがな」

「私だって本当は困るよ。唯でさえオウルに気があるんじゃないかって疑われてるのに、家にまで入っちゃってるんだもん」


 学校の宿題を片付けながら、ユアはオウルを見る。

 オウルは面倒臭そうにユアと同じく宿題をしているが、解答速度はユアより段違いに速い。


「勉強どこで習ったの?」

「何でもこなせるよう教育を受けたとしか言わない。尤も詰め込みにも限界があるんでな。分からんことは普通に調べる」

「意外。なんかスパイっぽいし何でも知ってるのかと思った」

「コミックの読み過ぎだ。スパイだって仕事に合わせて知識をアップデートしてる筈だろ」

「それもそうかぁ……ね、オウル。宿題写させて」

「写させない。自力で解け」

「……けち」


 護衛の仕事にそれは含まれないようでユアはちょっとがっかりした。

 そのままオウルの二倍の時間をかけて宿題を終わらせると、オウルが紅茶とロールケーキを用意してくれていた。護衛としての仕事かどうかは分からないが、有り難く頂く。


「ねぇオウル。そういえば聞きそびれてたんだけど……あのときビルを吹き飛ばしたのってオウルだよね?」

「そうだ」

「あれってさ……ユニットなの?」


 ユアはそれほどじっくり見る余力が無かったが、あのときビルを粉砕したパワードスーツは空中で姿勢を固定するという困難な姿勢を簡単にこなしていた。ユアはあのパワードスーツが何なのか調べてみたが、どれも印象とは違い、最も印象も性能も近かったのがあのジルベス――いや世界最強の兵器であるユニットだった。


 誰もがテレビで見たことがあり、ユニットが主役のアニメが子供達の間で大人気のヒーロー。CMで登場するユニット達の活躍は少し誇張が入っているものと思っていたが、あの一瞬でビルを丸ごと消し飛ばして霞のように消えたあの性能がユニットによるものなら、まんざら嘘でもなさそうだ。


 答えてくれないかと思ったが、オウルはあっさり白状した。


「そうだ。クアッドは全員がユニットを所持している」

「ホントにそうなんだ。でもどうやって手に入れたの……?」

「さあ、知らん」


 はぐらかしたのか、それとも与えられただけだから本当に知らないのか、ともあれ追求しても仕方がなさそうな雰囲気だった。この素っ気なさにもユアは慣れてきた。

 しかし、改めて考えると殺し屋がユニットを所有しているとはおかしな話だ。

 ジルベスでは当然、殺し屋は違法な存在なのだから。


「ジルベスの平和を守る正義のヒーローなのに殺し屋が使ってるって……ユニットってよく分からないけど多分軍事機密の塊みたいなものだよね?」

「それだけジルベスの裏は汚れてるってことだろ」


 端的な事実を指摘されて、二口が告げられず閉口する。


 ユアはこれまで政府に悪い印象を抱いたことはあまりない。

 ジルベスは世界をリードする大国家で国際秩序の平和を保ち、高い技術力を誇り、他国に様々な援助を行い、国内でも様々な政策で国民生活を豊かにしようとしている――そんなニュースを横目に見て「ジルベスに生まれたのは幸せなことなんだな」と何となく思っていた。

 ふと、何となくという言葉の意味に気付く。


「なんとなく、か」

「?」

「なんとなくジルベスはいい国だと思ってたけど、よく考えたらテレビとか人の話を聞いてそう思っただけで実情を調べた訳じゃないなって。本当になんとなくでしかないんだなって自分にびっくりした」


 実際にユニットという航空ショーでもそうそうお目にかかれない代物を間近で見たからこそ、初めてユアはそこに疑問を抱くことができた。オウルはユアの考えに思うことがあったかのように少し口調が柔らかくなった。


「政府にとってはそのなんとなくが重要なのさ。大半の人間は事実より印象に先に食いつく。コマーシャルは商品をよさげに見せるものだろ?」

「それはそうだけど、よさげに見えて買ってみたらいまいちで評判が下がることもあるじゃん」

「その評判さえコントロールできたら、随分話が変わってくるのさ」

「……AIによる情報統制」

「よくできました。知らない方が楽だとは思うがな」


 ユアはオウルの言葉の真意が分からず、問い返す。


「騙されてるのに楽なの?」

「皆が同じ価値観を共有してればそこに秩序が生まれる。別に貶めるために騙してる訳じゃないとすれば、そんなに損する訳でもなし。勿論権力が腐敗すれば話は変わるが、あんまり何でも疑いすぎると人は主義者に走る」

「あんなの信じる方がどうかしてるよ」


 ユアは反射的にそう口にする。

 主義者はあらゆる事実を曲解し、発生した矛盾さえ曲解させる出鱈目な理論を展開する。ユアにはそれを信じる人の気持ちなど分からない。しかし、意外にもオウルはその意見に同意しなかった。


「人の心は信じるものなしに生きていけるほど強くない。思い込みだろうがなんだろうが『これが正しい』って言い張って縋れるものが欲しいのさ。主義者とそうでない人の違いは縋るものが何かの違いくらいだ」

「……オウルも?」

「さあな。俺がもし縋っているものがあるとすれば――」


 オウルの右手が輝き、そこからパワードスーツのように逞しく、しかししなやかな漆黒の装甲が姿を現す。その手はロールケーキの皿に乗ったフォークを容易につまみ上げ、ペン回しのように指で弄んだ末に一瞬で握り潰した。


「力。殺し屋はみな力に縋っているのかもしれない」


 開いたオウルの漆黒の腕から零れ落ちたフォークは、とても元がフォークだとは思えない小さな鉄の塊と化してからんとテーブルに落ちた。オウルの表情は無感動で、普段のどの彼の顔ともまた違ったものに見えた。


 ユアはほんの少し彼の本音に触れた気がした。

 そして、自分のロールケーキの皿が空になっているのにオウルのものが丸ごと残っていることに気付いて、自分のフォークをティッシュで拭いて差し出す。


「はい、これ」

「……お前やっぱり独特なマイペースさがあるな。いいよ、お前が食べて」

「ん、わかった」


 あっさりオウルの皿を奪い取ったユアは、皿の上のロールケーキを一口大に切ってフォークで突き刺すと、それをオウルの口元に突きつける。


「一口あげる。私だけ食べるのってなんか嫌だし?」

「いや、いいって」

「ノリでフォーク握り潰したから気まずいとか?」

「違う。二人分ないとお前が遠慮して食べない気がしただけだ。俺はどっちでも……」

「どっちでもいいならオウルが食べてもいいよね!」

「お前はあれか、人に食べさせることに心理的幸福を感じるタイプか? ああいい、もういい分かった一口だけ食べるからそれで満足しろ」


 オウルは諦めたようにユアの差し出したロールケーキを口にした。

 ユアとしては、食事は一人より二人でした方が楽しいものである。


 そして不安の和らいだユアは帰宅し、その日の夜――秘匿通信会議にて。


『頼まれてた調査が終わったよ。あむっ、ロールケーキ美味っ』

『やー、ユアちゃんとオウルの映像見せられて食べたくなっちゃったの! あむっ』

『その場にいないのに食べながら会話。これぞ流行のバーチャル会食だねぇ。あむっ』

「……お前らぁ」


 実はユアとオウルの繰り広げる光景はサーペントにばっちり録画録音されており、ベクターホールディングスに探りを入れるためずっと別のアジトを使っているテウメッサとミケまでもに全力でイジられて苛々するオウルだった。

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