3話 正体バレなきゃ暗殺
ユアは今、スクールバスの中で縮こまっている。
別に縮こまる必要は全くないし、両隣をラグビー部に囲まれて物理的に狭い訳でもない。
なのに縮こまっている理由は、ラグビー部ではない隣の少年のせいだ。
「……あの」
「……なんだ」
「……何してるんですか?」
「……座ってる」
「いや、そういうことではなくて」
そこには、裏社会最強の殺し屋集団のリーダーのオウルがユアと同じジュニアハイスクールの制服に身を包み、明らかに不機嫌な顔で座っていた。余りの不機嫌さに同級生たちもユアに近づけないほどである。
オウルは面倒臭そうに首を落すと、スマホを弄り出す。
するとユアのスマホで見たこともないアプリが勝手に起動してメッセージが送られてきた。
どうやらスマホを再現する際に仕込まれていたようだ。
『表だっての護衛の為に、最低一人は近くで直接ユアを守れる存在が必要になった』
『サーペントは基本裏方専門なのでいないと困る』
『テウメッサは諜報系の活動を阻害されるので困る』
『ミケはイカレサイコなので論外』
『消去法で俺』
『年齢も近いので身分を偽造して入学手続きをした』
一方的なメッセージを一通り読み終えると、オウルが口を開く。
「初めまして。今日から転入してきたオウル・ミネルヴァだ。今朝の星座占いの結果が最悪だったんで機嫌が悪いが今だけは許せ」
「え、えっと」
アプリがまたメッセージを受信する。
『そういう
つまり、「貴方昨日も会った殺し屋ですよね?」なんて馬鹿正直な反応はせずに演技をしろということらしい。いきなりそんなこと言われても状況が予想外すぎて何を言えばいいのか分からない。仲の良い同級生もオウルの不機嫌オーラに腰が引けて助けてくれない。
ユアは護衛されているのにひどく居心地が悪い状態のままバスで揺られはじめた。
「どーしてこうなったの」
「俺が聞きたい」
殺し屋、中学校に通う。
◇ ◆
オウルは全力で不機嫌だった。
泣く子も闇に消すクアッドの一員であり、今まで眉一つ動かさず何百という命を不当に奪ってきた自分が何故馬鹿なふりをして今更ジュニアハイスクールになど通わなければいけないのか理解はしても納得しきれなかった。
オウル以外のメンバーではどう足掻いても学校の事務員が精々で、常に近くでユアを見張るには生徒の方が緊急時に事に対処出来るという理由は実に合理的だ。
しかし、幼少期に一般人に擬態して生きるために必要な全ての知識を詰め込まれた身としては、裏社会の入り口さえ知らない連中の築いたコミュニティで無知なふりを続けなければならないことはもどかしくてならない。
(そもそもこんな護衛が必要なのか、こいつに?)
しきりにオウルの方をちらちら見る居心地の悪そうなユア。
確かに彼女はどちらかと言えば犯罪の食い物にされやすいタイプだ。
しかし、先だっての誘拐のようなケースがそう何度も起きるとはオウルには思えない。
サーペントの調べでは、彼女の経歴や血筋には何の変哲もなかった。
人間関係も洗ったが、やはり政府が厭う理由も護る理由も分らない。
気になるのはせいぜい両親が事故死しておじが保護者ということくらいだ。
ジルベス合衆国政府が独自にその人物の将来的な危険度をAIに割り出させる数値、『イデアル値』は10。これは平均値と比べても低めの数値で、極めて善良で国家に従順な国民と言えるだろう。
こんな娘を護って何になるのか。
もしユアを脅かす存在が出てこなければ、オウルは一体いつまで一般人のふりをし続けなければならないのか。命令は一度発されると終わるまで次の命令は来ないので、クアッドは檻の中に閉じ込められてる。
スクールバスの外を窓越しに見れば、暢気に民家の塀の上を歩く猫がいた。
井戸端会議に華を咲かせる主婦たち。
通勤のために電動自転車を漕ぐサラリーマン。
顔見知りの警察官と談笑する通行人。
オウルはこの平和な世界の中にあって余りにも場違いだ。
無性にもどかしい気持ちになり、叫びたくなった。
ここには慣れ親しんだ死と退廃の臭いがまったくしない。
同じ国で生きているのに、まるで別世界のようだ。
それが、酷く落ち着かなかった。
(……はぁ。いい加減に気持ちを切り替えないとな。護衛対象にストレスを与え続けるなんて傍迷惑極まりない)
オウルは小さく息を吸い込み、思考をリセットする。
いい加減に気も済んだ。
やることは暗殺依頼を請けていないときと同じだ。
ただ周囲に同化して、わざわざ目を留めるほどでもない程度の存在でいればいい。
(心を殺せ。暗殺者なら簡単だろ? なぁ、オウル)
今ならば窓の外の景色を見ても何も思わないだろう。
ユアは隣の圧が弱まったことに気付いたのか胸をなで下ろす。
「ずっと不機嫌だったから緊張しちゃってちょっとバス酔いしたかも」
「すまん。今度からはなるべくやらない」
「なるべくかー。はぁ、こっちは酔いのせいかビルまで傾いて見えるよ」
ユアの視線の先では突如として基部が陥没し、めきめきと轟音を立てながら不気味なほどゆっくりと傾き始める20階建てのビルの姿があった。
「……」
「……」
「……あの」
「……なんだ」
「あれ、こっちに倒れてきてない……?」
「おめでとう。君の判断能力は正常だ」
次々に砕け散るガラスの飛沫で輝きながら、大質量の巨体が頭を垂れる。
最初の刺客、ビルの登場であった。
――オウルはビルがいきなり倒れてくるという想像だにしないシチュエーションに呆然としてはいたが、冷静に情報を分析してはいた。すなわち、ユアを連れてバスを脱出することで彼女の護衛を全うする算段は立っていた。
あとはそれを実行するだけだった。
しかし、ユアの手を引いた瞬間、はっとした彼女はそれを拒絶した。
「このままじゃ皆が!」
そこには、自分が助かりたいという感情がない。
代わりにあったのは、咄嗟に危険な目に遭っている人を助けようとする反射的な想い。
オウルのような裏の人間と対極に位置する、善性の塊。
テウメッサでもサーペントでもミケでも、彼女の善性を躊躇いなく無視しただろう。
その善性に意味も価値も見いだせないだろうから。
しかしクアッドの中でオウルだけは想像が出来た。
助かった後、彼女は何も出来ずに一人だけ生き残った自分を責めるだろうと。
既に決まった出来事に対しても意味の無い不平不満を態度に出してしまう、オウルにだけは。
唯一真の意味で怪物ではない、彼には。
「ちっ――全員助からなくても文句言うなよ」
忌々しげに舌打ちしたオウルはバスの窓を開くと驚異的な身体のしなやかさで足から外に出て、バスの死角に入る。この間わずか1秒――唯一の目撃者であるユアさえ一瞬過ぎて動きを追えなかったほどの早業。
たった一人の少女の願いを受けてジルベス合衆国最強の兵器、『
まるでコミックのヒーローみたいに陳腐で、低俗で、愚劣。
こんなものはまったくオウルの在り方ではない。
なのに――命令の主はどうしても自分をヒーローにしたいらしい。
「……まぁ、任務失敗で無様に処分されるよりはマシか」
どうせなら開き直ってヒーローの真似事でもしてやろう。
自嘲気味に、オウルはまったく口にする必要の無い言葉を紡いだ。
「ユニット・アクティブ」
どくん、と、心臓が鳴動し、全身に膨大なエネルギーが迸る。
それは枷が外れた獣の歓喜の咆哮。
血を求める絶殺の鎧が虚空より出でてオウルの全身を包み込んでいく。
しなやかで、頑強で、凶暴性と美意識が融合したような漆黒の装甲がオウルの全身を覆い尽くす。
やがて一分の隙も無く黒に覆い尽くされたとき――そこにジルベスが散々プロパガンダで勇姿を強調するそれと類似しながら、どうしてか悪魔的な存在感を放つ『ユニット』が顕現していた。
オウルとは、名前ではない。
クアッドの席に座り、ユニットネーム『オウル』を拝領した者がオウルになるのだ。
暗殺者が人命救助など偽善を通り越して非現実的だが、オウルの名を泣かせたくもない。
「最低の茶番劇の始まりだ!」
オウルは、地面を砕くほどの脚力を籠めて真上に飛び上がった。
生体反応を確認したが、あのビルの内部には人がいないようだ。
正確には僅かにいたが、異変を感じて既にビルを脱出している。
つまり、どんなに派手に破壊してもユアに文句を言われる事はない。
(だったら……)
ユニットの専門家ならざるオウルは概要程度しかユニットのことを知らないが、そんな彼でも確かに言えることは――ユニットは装甲も武器も質量を無視して自在に取り出すことが出来る。
オウルが選んだのは、メビウス式試作荷電粒子砲『グラトニー』。
眩い光とともに虚空からがユニットの身の丈の三倍を超える巨大な砲台姿を現す。
本来ならパワードスーツでも固定台座が必須な筈の『グラトニー』の重量を、ユニットの細い片腕が易々と支える。それどころか全身のスラスターを姿勢制御のために噴射したオウルは空中で砲身を完全に固定する。パワードスーツでは到底真似出来ないどころか、この世でユニット以外のどの兵器にも実現不可能な絶技だ。
(最大火力で跡形もなく吹き飛ばす!!)
ゴウン、ゴウン、と加速を始めた粒子が、メビウス式加速器の中で急激に加速していく。この加速機の速度こそがメビウス式の特徴であり、ビルが地面に向けて傾き切るよりも早くその力は臨界を迎えた。
銃口から解き放たれるのは、空母級さえ土手っ腹から食い荒らして文字通り風穴を開ける過剰火力の暴食獣。ビルの先端に照準を合わせたオウルは、躊躇いなくトリガーを引いた。
「消し飛べぇぇぇぇぇぇーーーーーーーッッ!!!」
『グラトニー』の銃口から、膨大な破壊の奔流が解き放たれる。
荷電粒子砲の破壊力はビルの先端を飲み込むと、オウルの姿勢制御で次第に射角を変えて残る崩落部分を次々に飲込んでいき、最後には道路まで落下する全ての瓦礫を塵に帰す。空高く立ち上る光はどこか幻想的でもあり、最後に一際強い光を放って光が途切れたとき、そこには絶体絶命の窮地から助かった人々が呆然と空を見上げていた。
『グラトニー』はビルだけに飽き足らず、空の雲にまで大穴を空けていた。
事の一部始終を食い入るように見つめていたユアは呆然と空を見上げる。
「……助かったの? 私たち」
「そのようだな。うん、占いはある意味大当たりだが大外れでもあったか」
「え」
振り返ると、ビル崩落前までの光景そのままに息一つ乱していないオウルが平然と座っていた。
スマホのアプリがまた勝手に起動する。
『俺は何もしていなかったという
あれだけのことをしておいて、彼は爆速で戻ってきていた。
よく見たらバスの窓もしっかり閉まっている。
まるでさっきの光景が夢であったかのように。
ユアはまだ現実に意識が追いついていなかったが、ともあれ一つ言わなければいけないことがあるのだけは分かっていた。
「助けてくれてありがと」
「何のことだ?」
「庇ってくれたから」
ユアはそう言いながら、スマホの謎アプリの中に発見した送信機能を使う。
『そういう
オウルは面倒臭そうな顔を隠しもしなかったが、諦めたのか「どういたしまして」と小さな声で呟いた。
『テウメッサの言う通り、オウルは優しいんだね』
『気色悪いことを言うな』
『ツンデレだ。ツンデレヒーロー』
『うるさい。それ以上はブロックするぞ』
ユアは、テウメッサ達がオウルのことを好きな理由が少しだけ理解できた気がした。
自分も今、少しオウルのことを好きになったから。
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