2話 全員殺せば暗殺
テウメッサの用意した車に乗って家に送られるユアは、後部座席から窓の外に広がる景色を眺める。昨日ユアが殺されかけていたことも、この社会に平然と殺し屋が歩いていることも知らない皆は変わらぬ日常を送っていた。
ゆるやかな日常にながらふと思う。
「これ、ドラマや小説だと居場所を知られない為に目隠しとかするものじゃないんですか?」
「あそこはもう出払うから構わないよ。次に君が行ったときには名前も知らない人が新居を堪能しているだろうね。あ、そうそう。今更だけどはいこれ」
テウメッサが運転席から差し出したのはユアのポーチだった。
たちの悪い男に拘束された際に奪われたものだ。
うっかり存在を忘れていたユアは慌てて頭を下げる。
「すいません、ありがとうございます!!」
「一応取られる前と同じ状態には戻しておいたけど、違和感あったらごめんね。あと流石にPDCはぼくたちも手を出せなかったから紛失届けを出しておいたよ」
PDC――パーソナルデータカード。
ジルベス合衆国の国民全員が携帯を義務づけられている国民管理IDが登録されたカードだ。
身分証であると同時に保険証、資格証明、パスポート、クレジット決済などあらゆる機能を一枚でこなす。しかもカードの使用履歴は政府のセキュリティAIに監視されており、他の統合監視システムと連動することで本人以外の不正な利用の可能性が高い動きを即座に検知するので、不正利用もしにくい。
何より、非常に有り難いことに紛失時の再発行が無料かつ24時間以内に終わる。
世界中を見回してもこんな国民サービスはないだろう。
「私のPDC、どうなっちゃったんですか?」
「PDCは持っていると逆に足がつくから犯罪者は拉致するときはカードを見えない場所に捨てちゃうんだよね。スマホも実は完全に破壊されてたから同じものを可能な限り再現しておいた。チェックしてみて」
驚いてスマホを見るが、確かに色も保護カバーも何もかも同じだ。画面保護フィルムの貼り付けに失敗してちょっとだけ斜めになっている所まで再現されている。起動してみると、昨日から連絡が無いことを心配する友達のメッセージがびっしりだった。
慌てて無事だと返事すると何があったか追求が始まったので、どう説明すれば良いか分からず『家に戻ってから話す』と苦し紛れの先延ばしをした。
記憶を頼りにネットの履歴や登録された電話番号などを片っ端から漁ってみるが、どれも記憶に相違ない。アプリのログイン履歴まで再現されていた。
「サーペントに感謝しておくといい……ああいや、しなくてもいいか。スマホの状態を再現するために君の個人情報を漁りに漁りまくって電話会社のデータ、アプリの管理データ、PCと共有されたデータとかから引っこ抜きまくったみたいだし」
「それでこんなに再現出来るものなんですか!?」
「あはは、君が思っている以上にジルベスという国は監視社会だってだけさ。探せばどこかに断片化されたデータが見つかるものだよ」
ユアはサーペントの技術力にぞっとした。
彼はその気になれば特定の個人のデータを一日もかからずこれほどまでに集めることが出来る。そんな人間に暗殺を狙われてはどこに逃げても位置がバレてしまうだろう。それこそ国外に逃げようとしても、逃げようと行動を起こすまでの過程をリアルタイムで全て把握されるかもしれない。
「皮肉だよね。政府が犯罪抑止のために組み上げたネットワークが犯罪者に利用されるんだから」
「……テウメッサさんたちは、クアッドっていう組織なんですよね。命令に絶対ってことはどこかの組織に組しているんですか?」
「おっと、切り込んでくるね。答えはイエスでありノーかな。いいかいユアちゃん、殺し屋は無能だったり必要なくなったら切り捨てられるものさ。使い捨ての駒を本当の意味で組織の一員として扱う人間は裏社会になんて手を出さないよ」
「そんな……」
組織の命令は絶対だが、組織は彼らを守らない。
伝説の暗殺者集団とまで噂されながら、彼らは使い捨ての道具でしかないということだ。
「やっぱり、私の護衛に失敗すれば皆さんは……」
「それは君が気にすることじゃないさ。チョコレートを食べるときにチョコの原料がどんな経緯で手元に運ばれてきたか気にするくらい無駄なことだよ。要は失敗しなきゃいいだけさ。この話したらオウルは鼻で笑うだろうけど」
「あ、それも気になってたんですけど。オウルさんってクアッドのリーダーなんですか? なんだか年下なのに偉そうだし……」
「あははは! 偉そうなのは言えてる! 基本的には対等だけど、方針の最終決定権は誰か一人が持っていた方が良いだろ? オウルはその役なのさ」
ユアとしては話し合って多数決で決めた方がいい気もするが、それは平凡な小娘の考えだ。彼らには彼らの考え方があるのだろう。
その後は何故昨日から連絡が取れなかったのかを説明するカバーストーリーをテウメッサと一緒に考え、ちょっとした世間話をして、気付いたらユアの家に到着していた。
ユアはテウメッサに丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます。何から何まで世話になっちゃって。いや、これからも世話になっちゃうんですかね?」
「多分そうなるんじゃないかなぁ。ま、遠慮無く頼ってよ……ああ、そうだ」
テウメッサは思い出したように告げる。
「我らがリーダーのオウルは優しいやつだ。だから君も他の三人よりオウルに頼った方がいいよ」
「……? でも皆さん優しいのにオウルさんだけ嫌そうでしたよ?」
「オウルはツンデレなだけさ。彼がリーダーなのは、みんなオウルが好きだからだよ」
テウメッサはそのままひらひらと手を振って笑顔で別れた。
ユアは彼の言葉の意味を理解するには、クアッドのことを知らない。
オウルのことも、テウメッサのことも、なにも。
◆ ◇
テウメッサはアジトには戻らず繁華街の裏手にある場所に来た。
そこはこの一帯で活動するギャンググループの本部だった。
「失礼しまーす」
普通なら誰も近寄ろうとしない場所に、テウメッサは鼻歌交じりに入る。
否、そもそも本来ならギャンググループの建物には相応の見張りと防犯機能があるのに、彼の前にはそんなものは何ひとつなかった。それが既に異常だった。
テウメッサがドアを開けると、そこにはこの世の地獄が広がっていた。
事務所らしい場所に広がる死体、死体、死体の山。
血と硝煙、物言わぬ肉袋から漏れ出た汚臭。
壁には鮮血と弾痕が四方八方に飛び散り、安い拳銃と薬莢がそこら中に転がっている。
そんな中で、たった一人生き延びていたギャングらしき男がテウメッサを見て胸をなで下ろす。
「ああ、フォックスさん! 助けにきてくれたんすか! ここの連中ドアにロックかけやがって、中から開けられなくて困ってたんすよ!」
ギャングの男はテウメッサの偽名の一つでるフォックスの名で呼ぶ。
「災難だったね、ナウラくん」
「まったくっすよ。手間賭けさせやがって、クソが!!」
ナウラと呼ばれたギャングは足下に転がっていた女性の死体の腹を踏みつけた。恐らくは妊娠していたのか大きなお腹だったが、とっくに胎内の子供も死んでいるだろう。見るに堪えない残虐な光景を前にしてもテウメッサは顔色一つ変えずにこにこ笑っている。
ナウラは死体を踏みつけながらテウメッサに近づいてくる。
「フォックスさんがこいつらが手薄なタイミングを掴んでくれてマジで助かりましたよ。前々から抗争だらけで潰すしかないと思ってたのが、一回の襲撃で成功しましたからね!」
彼の仲間もこの死体の山の中には含まれているが、襲撃前に薬で恐怖心を麻痺させていることからそこには意識が向かないようだ。
「それでフォックスさん、貴方が来たってことは一網打尽成功って訳ですか? 本部襲撃と連動した『狩り』は!」
二つのギャンググループは前々から諍いが絶えなかったが、ここ一週間ほどでついに銃撃戦に発展するほど険悪な関係になった。そして決定打になったのが彼のグループの幹部格が惨殺された姿で彼らのグループの本部に送りつけられたことだ。
テウメッサは少し前からこのグループとは情報屋として繋がりを持っており、フォックスの名で情報提供をしていた。そして今日、彼の言う『狩り』が決行されたのだ。
テウメッサは彼の問いに笑顔で答えた。
「君が最後だよ」
「え?」
ぱん、と、乾いた銃声が響いた。
それは、ナウラと呼ばれたギャングが笑顔のテウメッサに床に転がっていた粗末な銃――『タウロフTT28』によって頭部を撃ち抜かれた音だった。ナウルは何が起きたか理解しないまま、その思考を終えた。
後から部屋に入ってきたサーペントが「いつ見てもえげつないねぇ」と笑う。
「大分仲良くしてたじゃない、趣味の話で盛り上がったりさ。撃つのに抵抗覚えたりしないの?」
「ないかなー。抵抗があるふりなら出来るけど」
まったく悪びれる様子も、喜ぶ様子もないテウメッサは銃を床にそっと置くと、手の表面の皮をべりべり剥いだ。実際には剥げたのは皮ではなく肉眼では視認しづらいほど薄く透明度の高い手袋で、指紋が残らない彼らクアッドの愛用品だ。
サーペントは微かな痙攣を繰り返すナウラの死体を見下ろす。
「彼も可哀想だねぇ。最後までテウメッサの『狩り』だったとも知らずにさ」
彼らの組織に送りつけられた惨殺死体はそもそもテウメッサが用意したものだ。
逆に、対抗組織には別の死体を送りつけていた。
実はその『別の死体』が大きな問題で、それはユアを拉致した挙げ句にパワードスーツ部隊に銃殺された男の遺体だったのだ。テウメッサは肩をすくめる。
「ギャングとはいえこの情報社会で生き残ってる程度には頭の回る連中だしねぇ。失踪した仲間を探す過程でユアちゃんの所に押しかけてきたら面倒じゃん? それにこいつらユアちゃんの生活圏まで活動の手を伸ばしてるし。で、面倒だから死体を再利用しつつちょちょいと小細工して両組織を全面抗争に追い込んでみたわけ」
「抜かりないだろうね?」
「この敵対ギャングもナウラくんのとこのギャングの根城に襲撃部隊を送り込んだよ。リーダーはじめ幹部格は全滅。一部ぼくの顔を知っている連中も全員暗殺済み。警察は馬鹿なギャング共が抗争で相打ちになった、で終わらせるだろう。彼らにとってハナから死んで当然のギャング同士の抗争なんて関わり合いになりたくない事柄だ」
結果、テウメッサは最小限の手間で事を終えることが出来た。
「じゃ、ぼくはこのことを面白おかしく脚色してオヤブンに報告しに行くよ」
「どのオヤブンだっての。マレスペードファミリーとかかい? ギャング共を鬱陶しがってたからさぞ喜ぶことだろうよ。それが自分たちを始末しやすくする為の演技だとも知らずにね」
「それが仕事だし? 大体サーペントは人の事言えないだろう? わざわざ現場に来たのは欲しいものがあるからだ」
「それはそう。こーゆーギャングは戸籍に載ってない連中のデータを結構持ってるからな。紙媒体でないことを祈りつつ、拝見拝見!」
事務所に転がる哀れで愚かな犯罪者たちに感慨を抱く者は誰もいなかった。
テウメッサは、自分はこういう男だと知っているからオウルを勧めた。
サーペントも恐らくオウルをユアに勧めるだろう。
ミケはコントロール不能なので分からない。
そうなれば、オウルしかいない。
(ユアちゃんみたいな普通の子は、俺なんかに心を許しちゃダメなのさ)
いつか彼女にも理解する日が来るのかもしれない。
何故クアッドのリーダーがオウルになったのかを。
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